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概要編集

ラム級仮装巡洋艦の3番艦。

数奇な運命を辿ったことで知られるラム級仮装巡洋艦姉妹だが、その中でも彼女は飛び抜けて数奇な運命を辿っている。


艦歴編集

第二次世界大戦の開戦時、姉妹の中で唯一イタリア本国周辺にいた。このため、他の姉妹とは縁が薄くなっている。


1940年11月12日、商船護衛任務中に部隊が連合国艦隊に捕捉され、交戦する(オトラント海峡海戦)。

これを辛くも生き延びるものの、護衛対象であった4隻の商船全てを失ってしまった。


1941年5月30日に輸送船団護衛中にイギリス海軍水雷艇トライアンフの雷撃を艦首部に受けて大破する。

負傷しながらも任務は続行し、応急処置を済ませた後、9月30日にトリエステに曳航し、同地のサンマルコ造船所にて修理される。

しかし、修理中の1943年9月8日にイタリアが連合国と休戦したため、ドイツ軍に接収される。

同年11月よりドイツ海軍に入籍し、機雷敷設艦キービッツ(Kiebitz)」として再就役する。

しかし1944年11月にリエカで空襲を受けた際に自沈。

ここで彼女の生涯は幕を下ろす…かに思われたのだが、浮揚・修理されることに。


その後、ユーゴスラビア海軍に売却され、「ガレブ(Galeb)」と名を改め、王室専用のヨットとして二度目の再就役を果たす。

同国の共産化以降はヨシップ・ブロズ・チトー大統領用ヨットとして運用された。

軍艦ではなくヨットとして運用されたためか、退役とは無縁でチトーや各国要人をもてなしながら悠々自適な余生を送る。

所謂御召艦の役割を担ったからか、チトーの没後も解体されることはなかった。


ユーゴスラビアの崩壊後はモンテネグロのコトル湾に保管された後、クロアチアのリエカに回航され、そのまま保管されている。

現存している貴重な第二次世界大戦時代のイタリア艦であり、リエカに行けば彼女と会うことができるだろう。

将来的には博物館船としての展示も考えられているが、具体的なことは決定されていない。


関連タグ編集

イタリア海軍 仮装巡洋艦 幸運艦

ドイツ海軍

ユーゴスラビア


チトー:ユーゴスラビアの共産化後は彼専用のヨットとして運用された。

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