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概要

ラム級仮装巡洋艦の2番艦。
イタリア海軍所属の艦ながら日本と非常に縁が深く、後に日本海軍の一員として働くことになる。

艦歴

紅海艦隊

1940年4月にエリトリアのマッサワを母港とする紅海艦隊に配備される。
同年6月10日にイタリアが第二次世界大戦に参戦するとイギリスの最重要拠点であったスエズ運河を通ることが出来なくなり、母国に帰れなくなってしまう。
しばらくは紅海にて通商破壊等の任務に勤しんでいたのだが、1941年、東アフリカの趨勢が連合国側に傾いたため、艦隊司令部は戦力に劣る通報艦仮装巡洋艦潜水艦をマッサワから脱出させる決断を下す。
前述の通りスエズ運河は通れず、母国イタリアへの帰還は不可能だが東に向かえば同盟国である日本があるため、通報艦と仮装巡洋艦は日本を目指すこととなった。
そして1941年2月に姉のラム1世、通報艦のエリトリアと共にマッサワを脱出し、日本に向けての航海を開始する。
2月20日にはインド洋に出るも先行していたラム1世がニュージーランド海軍に貸与中のイギリス海軍軽巡洋艦リアンダーに捕捉され交戦、そのまま轟沈してしまう。
姉という尊い犠牲を払いながらも3月にエリトリアと共に日本に到着し、神戸港に入港した。

日本にて

日本に着いたはいいが当時の日本は表向きには中立国だったため、イタリア軍籍の彼女らの活動を認めるわけにはいかず、しばらくは神戸港でエリトリアとともに日本海軍監視の下、ニート生活をしていた。

1941年12月の太平洋戦争開戦により日本から公式に援助と行動の自由を認められ、天津のイタリア租界にいたアンツィオ級施設艦レパントと砲艦エルマーロ・カルロットが属するイタリア極東艦隊に加わる形となる。
艦名を「カテリア2(Calitea2)」と改名し、就役する。またこの時、極東艦隊旗艦の地位を賜る。
日独伊軍事協定により日本側の運行管理下となり、川崎重工で冷蔵庫を増設した後、給糧艦として補給を中心に任務をこなしていたのだが、機関部を故障し、神戸港に停泊中の1943年9月8日にイタリア本国が連合国と休戦を宣言したため、神戸港で自沈する(自沈を阻止され、そのまま拿捕されたとも)。
その後、日本海軍が浮揚・修理し、「生田川丸」と名を改めて日本海軍に入籍し、再就役する。
日本海軍では生鮮食品を輸送する特設運送船給糧船)となり、各地に生鮮食品を届けた。元々はバナナを輸送する貨物船になる予定だったので、彼女とって特設運送船としての仕事は天職だったのかもしれない。
1945年1月12日、サイゴン湾にいたところをアメリカ海軍グラティテュード作戦に巻き込まれ、航空爆撃を受け、撃沈。
同年2月5日、除籍。

余談

マイナーな艦であり、「ラム2世」や「ラムⅡ」で検索してもほとんどヒットしないが日本海軍での艦名である「生田川丸」で検索すればいくつか参考サイトがヒットする。

彼女には紅海艦隊で総料理長を務めたシェフであるアントニオ・カンチェーミ氏が乗っていた。
イタリタの休戦時に氏は捕虜となり、日本での生活を強いられるものの、1944年に日本で初めてとなる本格的なイタリア料理を在日外国人に振る舞った。
終戦後、氏はイタリアへの帰還を断念し、麻布に日本初の本格的なイタリアンレストランである「アントニオ」(現在は南青山に移転)をオープンし、イタリア料理を通じて日伊親善に尽力した。
もし彼女が日本に来ていなければ日本におけるイタリア料理の普及、発展は現在と違った形になっていたかもしれないので、彼女の存在は日本の食文化に小さくない影響を与えたと言えるだろう。

関連タグ

イタリア海軍 仮装巡洋艦 イタリア料理
日本海軍 特設運送船

ラム1世:行動を共にした姉。
エリトリア(通報艦):僚艦。紅海から日本まで行動を共にするが、母国の休戦でその運命は分かれることとなる。
ルイージ・トレッリ:短期間ではあるが極東艦隊時代の同僚だった。紆余曲折あって、どちらも最終的に日本海軍所属になるが、所属期間は被っていなかったりする。

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