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概要

ラム級仮装巡洋艦の2番艦。
イタリア海軍所属の艦ながら日本と非常に縁が深く、後に日本海軍の一員として働くことになる。

艦歴

紅海艦隊

ラム2は1937年6月に、王立バナナ専売公社が運用するバナナ輸送船として、イタリアとイタリア領東アフリカを結ぶ航路に就役した。
まだ貨物船であった1938年7月にイタリアのトリエステで8人の船員が亡くなるガス爆発事故を起こしており、トリエステにはこの時の犠牲者を偲んでこの事故にちなんでつけられた名前の道が存在している。

1940年4月にエリトリアのマッサワでイタリア海軍に徴用され、紅海艦隊所属の仮装巡洋艦へと改装される。
同年6月10日にイタリアが第二次世界大戦に参戦するとイギリスの最重要拠点であったスエズ運河を通ることが出来なくなり、母国に帰れなくなってしまう。
紅海でも戦闘が始まったが、ラム2は自身の戦闘力不足などの事情もあり、マッサワ港に係留されたままニート生活を送っていた。
1941年、東アフリカの趨勢が連合国側に傾いたため、艦隊司令部は戦力に劣る通報艦仮装巡洋艦、大西洋での活躍が期待できる潜水艦をマッサワから脱出させる決断を下す。
前述の通りスエズ運河は通れず、母国イタリアへの帰還は不可能だが東に向かえば同盟国である日本があるため、通報艦と仮装巡洋艦は日本を目指すこととなった。
そして1941年2月20日に姉のラム1、通報艦のエリトリアと共にマッサワを脱出し、日本に向けての航海を開始する。
怪しまれないように分散行動を取り全艦無事にインド洋に出るも、ラム1はニュージーランドが運用中のイギリス海軍軽巡洋艦リアンダーに捕捉され交戦、そのまま轟沈してしまう。
姉という尊い犠牲を払いながらも3月にエリトリアと共に日本に接近するが、東京のイタリア大使館から「日本はいまだ中立国であり、交戦国に属する軍艦が入港することに同意できない」という電文が届く。
その電文を受け「自分たちは機関部にトラブルを抱えており、その修理のために寄港する」と日本側に通達。日本側もこれを受け入れ、紆余曲折ありながらもようやく神戸港に入港した。
しかし入港後、再びイタリア大使館から湾外で武装を外し、名称を変更するよう求められる。一度神戸港を出港し、洋上で武装解除を行い、艦名を「カテリア2(Calitea2)」へと変えた。
ようやく日本側も納得して神戸港停泊が許可されたのだった。

日本にて

当初は日本を拠点としての通商破壊を計画していたが、当時の日本は表向きには中立国だったため、イタリア軍籍の彼女らの活動を認めるわけにはいかず、しばらくは神戸港でエリトリアとともに日本海軍監視の下、またもやニート生活をしていた。

そして神戸港停泊の名目であった機関部の修理が終わると彼女らは日本に滞在する理由を失い1941年の8月末から9月にかけて日本を出航。
イタリアの租借地であり、アンツィオ級施設艦レパントと砲艦エルマンノ・カルロットが属するイタリア極東艦隊の母港である中国の天津へと向かった。
そこに到着すると極東における彼女らの処遇が検討されたが、それもうまくまとまらず、再びニート生活をすることに。

そんな中、1941年12月の太平洋戦争開戦により日本から公式に援助と行動の自由を認められる。
そのままイタリア極東艦隊に編入され、極東艦隊旗艦の地位を賜った。
日独伊軍事協定により日本側の運行管理下となり、川崎重工で冷蔵庫を増設し、日伊が共同で運用する給糧艦として補給を中心に任務をこなすことになった。
艦長であるパスクアーレ・マッツェーラ少佐以下180人のイタリア人乗組員に加えて菊地豊吉中佐、田中忠次郎二曹以下13人の日本人が乗り込み、艦の主導権はイタリア人に任せながらもいざというときには菊地中佐が命令を下すという体制になった。

日伊共同運用下で比較的平穏に航海を続けていたのだが、機関部を故障し、神戸港に停泊中の1943年9月8日にイタリア本国が連合国と休戦を宣言したため、神戸港で自沈する(自沈を阻止され、そのまま拿捕されたとも)。
その後、日本海軍が浮揚・修理し、「生田川丸」と名を改めて日本海軍に入籍し、再就役する。
日本海軍では生鮮食品を輸送する特設運送船給糧船)となり、各地に生鮮食品を届けた。元々はバナナを輸送する貨物船だったので、彼女とって特設運送船としての仕事は天職だったとも言える。
本来の主であるイタリア人乗組員はいなくなったが、日本海軍の支援に活躍した。
1945年1月12日、サイゴン湾にいたところをアメリカ海軍グラティテュード作戦に巻き込まれ、航空爆撃を受け、撃沈。
同年2月5日、除籍。

余談

マイナーな艦であり、「ラム2世」や「ラムⅡ」で検索してもほとんどヒットしないが日本海軍での艦名である「生田川丸」で検索すればいくつか参考サイトがヒットする。

日本人とイタリア人の交流

日本人とイタリア人が共同で運用するという極めて珍しい体制で運用されていた彼女だが、日本人とイタリア人の間では文化的な摩擦がいくつも起きていたと言われている。

代表的なエピソードとしてある時、スラバヤの電車に彼女の乗組員と重巡洋艦足柄の乗組員が乗り合わせたのだが、この日、イタリア兵たちは羽目を外して遊んでいたため上機嫌で車内で歌い始めたのである。
これに怒った足柄組がイタリア兵たちに抗議し、最終的に柔道で決着をつけることになり、電車を止めて近くの路上で各艦の代表1名が試合をし、最終的に足柄の兵が勝利。イタリア兵たちはもう歌わなかった。
さらに話はそれで終わらず、電車から両者が降りたところ、イタリア兵の一人が足柄の兵隊の腕を掴み、何かを抗議し始めた。
一度は田中二曹と足柄の副直将校が間に入ってその場を収めたが、後で話を聞くとそのイタリア兵はスラバヤで女性とデートをするつもりで人力車の手配までしたが、それを足柄の乗組員に見つかり、ストップをかけられ、人力車も取り上げられたと言う。
イタリア兵からすれば女性の前で恥をかかされ、人力車を取り上げられ、おまけに金まで帰ってきてないない上、自分の艦に乗る日本人に文句まで止められたことで田中二曹にまで怒りを露わにしていた。
この件を重く受け止めた菊地中佐は田中二曹に対してイタリア大使館宛に「イタリア側からの抗議があったのでバカモノと怒鳴った田中兵曹には、悪かったと謝らせている」という電文を打たせた。

他にもシンガポール武官府に勤めていた駒月勇氏がある時彼女を訪問したのだが、その時、士官室ではイタリア人たちが何かのお祝いで盛大にシャンパンを開けており、駒月氏は勧められるがままにシャンパンのグラスを飲み干したが、それが美味だったために何杯も飲み干してしまい、その後ふらつく足をどうにか立たせながら退艦した。この出来事を駒月は「あんなに辛いことはなかった」と記している。

田中二曹によるとイタリア兵の給料は日本海軍の4倍であり、上陸したときの金遣いも荒かった。艦内軍規も相当に緩かったようで「よくあれで戦争できるもんだなぁ」と考えさせられたようである。

現代日本との意外な関係

彼女には紅海艦隊で総料理長を務めたシェフであるアントニオ・カンチェーミ氏が乗っていた。
イタリアの休戦時に氏は捕虜となり、日本での生活を強いられるものの、1944年に日本で初めてとなる本格的なイタリア料理を在日外国人に振る舞った。
終戦後、氏はイタリアへの帰還を断念し、麻布に日本初の本格的なイタリアンレストランである「アントニオ」(現在は南青山に移転)をオープン。日本におけるイタリア料理のパイオニア的な存在となり、イタリア料理を通じて日伊親善に尽力した。
また、カンチェーミ氏の他にも

  • 宝塚に西日本初のイタリア料理専門店である「アベーラ(後に「アモーレ・アベーラ」に改称)」を開業。料理番組にも出演し、カンツィオーネを歌いながら調理するという姿が人気を博したオラッツィオ・アベーラ
  • 神戸で「ドンナロイヤ」を開業し、多くの料理人志望者の面倒を見たジュゼッペ・ドンナロイヤ
  • 多くのレストランやアメリカ軍基地を巡ってその腕をふるい、多くの日本人料理人を育て、その傍らで俳優業もやっていたルイジ・フィダンザー
が彼女の乗組員であったことが確認されており、彼らは戦後の日本においてイタリア料理人として活躍した。
そして彼らが指導した料理人たちの多くは日本のイタリア料理業界で活躍しており、イタリア海軍料理人が残した味は今でも日本に息づいている。

もし彼女が日本に来ていなければ日本におけるイタリア料理の普及、発展は現在と違った形になっていたかもしれないので、彼女の存在は日本の食文化に小さくない影響を与えたと言えるだろう。

非常にややこしい同名船

彼女は正式に改名された1943年11月30日から戦没する1945年1月12日まで「生田川丸」を名乗っていたが、全く同じ「生田川丸」という名前の商船が存在した。
こちらの生田川丸は1944年6月25日に進水・命名され翌月に就役、同年10月に戦没しており、なんと就役期間までもろ被りしている。どうしてこうなった
なおこちらは悪名高い2D型戦時標準船であり、ラム級と同様貨物船としては小型であったものの、はるかに低速であった。

関連タグ

イタリア海軍 仮装巡洋艦 イタリア料理
日本海軍 特設運送船

ラム1:行動を共にした姉。
エリトリア(通報艦):僚艦。紅海から日本まで行動を共にするが、母国の休戦でその運命は分かれることとなる。
ルイージ・トレッリ:短期間ではあるが極東艦隊時代の同僚だった。紆余曲折あって、どちらも最終的に日本海軍所属になるが、所属期間は被っていなかったりする。
足柄(重巡洋艦):前述した通り、スラバヤで乗組員同士が揉め事を起こしている。
檜(駆逐艦)樅(駆逐艦):撃沈される少し前に彼女らの護衛を受けている。

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