南極観測船とは、南極観測事業のため、観測及び機材人員等の輸送任務に従事する多目的砕氷船。
初代の宗谷の時代は南極調査船、探検船、冒険船とも呼ばれていた。
氷に閉ざされた観測基地に物資や人員を陸揚げするため、砕氷機能、ヘリコプター母艦としての機能は必須とされる。
当初は海上保安庁所属の巡視船宗谷がそれに当たったが、二代目の「ふじ」以降は海上自衛隊の自衛艦である砕氷艦がそれに従事している。
歴史
日本の南極観測が始まった1956年、当時諸外国の観測隊は砕氷船、補給船、調査船等で編成されているのが一般的だったが、新船建造の時間がなかった日本は宗谷を本格的な砕氷船に改造の際、輸送船、観測船としての機能を一隻にもたせる単船方式をとった。1958年第2次観測に失敗した南極本部は雪上車による輸送から大型ヘリコプターによる空輸主体に切り替えることにした。これにより宗谷は第三次改造の際日本初のヘリコプター母船(砕氷型ヘリコプター母船としては世界初)としての機能をもつことになり、輸送船、観測船、ヘリコプター母船の機能をもつ多目的砕氷船となった。
なお宗谷のヘリコプター運用実績は後継の南極観測船たる海上自衛隊の砕氷船(AGB)のみならず、海上保安庁のヘリコプター搭載巡視船(PLH)および海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の設計に活かされている。これらのヘリコプター甲板や航空艤装のレイアウトが類似しているのは、いずれも宗谷をルーツにしているからである。
さて、二代目観測船ふじ建造の際、小型の砕氷艦と耐氷型輸送艦とのセット方式も提案されたが、人件費等の問題で採用されず、宗谷と同じ単船方式を踏襲することになり、ふじは砕氷艦、輸送艦、観測艦、ヘリコプター母艦の機能をもつ多目的砕氷艦として建造され、三代目しらせ以降も単船方式を踏襲することとなった。
2008~09年度の第50次観測では二代目しらせの就役が間に合わなかったので、オーストラリアの砕氷船オーロラ・オーストラリスを傭船して観測支援が行われた。オーロラ・オーストラリスは1998年にプロペラ制御装置が壊れて氷海にビセットされた際、初代しらせによって救出された経歴があった。
保存船
歴代南極観測船は全て現存しており、退役後も記念船として海上で保存され現在でもその姿を見ることができる。
宗谷は南極観測船当時の姿に塗装して1979年から東京船の科学館前の桟橋にて繋留されていたが、東京都の新客船ふ頭の整備にともなう工事のため2016年9月23日、37年ぶりに岸壁を離れ対岸の岸壁に移動した。
ふじは1985年から愛知県名古屋港ガーデン埠頭にて繋留、2017年1月10日から3月24日まで32年目にして初の大規模リニューアル工事を経て再公開した。
しらせはウエザーニューズ社に買われ気象観測船SHIRASE5002と改名し2010年5月2日から千葉県船橋港にて繋留。2013年9月以降通常の一般公開はされていないが、年5回程イベントが開催されその時に一般公開がおこなわれる。
日本の歴代南極観測船
- 初代 宗谷 1938年6月竣工、1956~1962年、1次~6次、1978年10月退役
- 二代目 ふじ 1965年7月就役、1965~1983年、7次~24次、1984年4月退役
- 三代目 初代しらせ 1982年11月就役、1983~2008年、25次~49次、2008年4月退役
- 四代目 二代目しらせ 2009年5月就役、2009年~、51次~
関連する船
開南丸 ― 白瀬矗の南極探検に使用された木造帆船(漁船改造であり、砕氷能力が無い)。初めて南極に到達した日本の船である。