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概要編集

ヨークタウン級航空母艦2番艦。

太平洋戦争の開戦の時点でアメリカ海軍に在籍していた7隻の正規空母(レキシントンサラトガレンジャーヨークタウン、エンタープライズ、ワスプホーネット)の1隻で、第二次世界大戦の期間を一貫して太平洋艦隊に所属していた。

太平洋戦争序盤の日本軍優勢の中、太平洋の守るべき広さに対して手持ちの絶対数が少ない正規空母の一部を大西洋艦隊にも振り向けなければならない苦しい状況のアメリカ海軍を支え、15回に及ぶ損傷に耐えて生き残った。


太平洋戦争の開戦時までに就役していて終戦時まで生き残ったアメリカ海軍の正規空母には、エンタープライズの他にもサラトガとレンジャーがあるが、1942年までのサラトガはいつも肝心な時に修理中、レンジャーは第二次世界大戦の期間を一貫して大西洋艦隊に所属していて空母対空母の大きな海戦に巻き込まれることがなかったため、太平洋戦争序盤の精鋭揃いの空母艦載機搭乗員を擁する日本海軍空母機動部隊を相手に何度も死闘を繰り広げて生き残ったのはエンタープライズだけであり、大戦中で最多の従軍星章(バトルスター)20個を得て、第二次世界大戦における最殊勲艦とされる。


愛称は「ビッグE」の他、「ラッキーE」「グレイ・ゴースト」「ギャロッピング・ゴースト」など。


来歴編集

1936年10月3日、ニューポート・ニューズ海軍造船所で進水。


1941年編集

真珠湾攻撃編集

1941年12月8日の真珠湾攻撃の当時は第8任務部隊司令官ウィリアム・ハルゼー中将の旗艦としてウェーク島に航空機の運搬中で、ハワイ西方約320kmの地点にいた。日本軍の捜索にあたったが、発見できなかった。

12月10日、オアフ島近海で第6偵察飛行隊(エンタープライズ所属)のSBDドーントレスが日本潜水艦「伊70」を発見、これを撃沈している。


1942年編集

マーシャル・ギルバート諸島機動空襲編集

真珠湾攻撃によって戦艦部隊が壊滅的被害を受けたために考案された航空母艦と護衛の高速艦艇によるゲリラ的なヒット・エンド・ラン戦法による襲撃に第8任務部隊として参加。

1月31日から翌日にかけてクェゼリン環礁、マロエラップ環礁、ウォッジェ環礁に所在する日本軍基地を攻撃した。


東京初空襲編集

4月18日に日本本土空襲の為にジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機を発艦させた第18任務部隊の「ホーネット」の護衛である第16任務部隊の司令官ハルゼー提督の旗艦になった。


珊瑚海海戦編集

4月30日、真珠湾を出港し全速で珊瑚海に向かったが、5月8日の珊瑚海海戦には間に合わなかった。


ミッドウェー海戦編集

5月28日、日本軍の来襲についての情報に基づき、第16任務部隊司令官レイモンド・スプルーアンス少将の旗艦として「ホーネット」と共に真珠湾から出撃。ミッドウェー島北方海域へ向かう。30日には修理途中の迎撃艦隊及び第17任務部隊の旗艦である「ヨークタウン」も出撃。日本海軍潜水艦が哨戒線につく前にすり抜けて配置につき、連合艦隊を待ち受けた。

6月5日、アメリカ海軍3空母の艦載機が、南雲機動部隊の4空母を攻撃。雷撃隊の攻撃は失敗に終わったが、「エンタープライズ」艦爆隊が「加賀」と「赤城」、「ヨークタウン」艦爆隊が「蒼龍」に爆弾を命中させ、炎上させた(後に雷撃処分)。

雲に隠れて無事だった「飛龍」の反撃で「ヨークタウン」が二度に亘る攻撃の被害を受け、伊168に雷撃されて沈没したが、「飛龍」も「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の艦爆隊の攻撃で炎上し、雷撃処分された。


第二次ソロモン海戦編集

ミッドウェー海戦から第二次ソロモン海戦までの間に雷撃機が新型のTBFに入れ替えられた。

8月24日、第二次ソロモン海戦では3群からなるアメリカ艦隊の第16任務部隊司令官トーマス・キンケイド少将の旗艦として出撃。第61任務部隊旗艦兼第11任務部隊旗艦「サラトガ」の艦爆隊が「龍驤」を撃沈するが、「エンタープライズ」は「翔鶴」艦爆隊から爆弾3発を受けて中破し、トンガタプ島工作艦ヴェスタル」による応急修理を受け、真珠湾に後退した。


南太平洋海戦編集

10月26日、第61任務部隊司令長官兼第16任務部隊司令官キンケイド少将の旗艦として参加した南太平洋海戦では「ホーネット」艦爆隊が「翔鶴」を大破させ、「エンタープライズ」艦爆隊も「瑞鳳」を中破させるが、「エンタープライズ」も中破し、「ホーネット」を残して退避した。日本側の3次に亘る攻撃は「ホーネット」に集中し、大破炎上。アメリカ側で雷撃処分を試みるも沈まず、有力な日本の艦隊が接近してきたために放棄され、漂流していたところを日本側によって雷撃処分された。

ソロモン諸島周辺で稼動可能な空母が一時的にゼロになり、「史上最悪の海軍記念日」と呼ばれた。


第三次ソロモン海戦編集

「エンタープライズ」は11月11日までニューカレドニア島で工作艦「ヴェスタル」による応急修理を受けていたが、ガダルカナルの戦況が危険になったため、「ヴェスタル」の要員を載せたまま急行し、13日、ヘンダーソン飛行場へ艦載機を送り込んだ。

F4F6機・TBF15機は、ヘンダーソン飛行場への道中で操舵不能の戦艦「比叡」を発見し、雷撃を行った。「エンタープライズ」隊からの情報でヘンダーソン飛行場から基地航空隊が出撃し、「比叡」に損害を与えた。

14日、ヘンダーソン飛行場を砲撃した帰途の日本海軍外南洋部隊を空襲し、重巡洋艦衣笠」を撃沈するなど損害を与えた。


1943年編集

4年ぶりの帰国編集

1943年7月20日、ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所に入港した。修理の他、バルジ増設、対空兵装増設、消火設備の充実、新型艦上戦闘機F6Fへの入れ替えなどが行われた。

10月31日にブレマートンを出港し、11月6日に真珠湾に到着。


中部太平洋戦線での戦い編集

ガルヴァニック作戦が発動、海軍と海兵隊を主力とした中部太平洋における進撃が始まり、「エンタープライズ」もマキン上陸、マーシャル諸島沖航空戦トラック島空襲などに従軍した。


1944年編集

マリアナ沖海戦編集

第58任務部隊第3群司令官ジョン・リーブス少将の旗艦として6月11日からサイパングアムロタを空襲して、6月15日に始まったマリアナ諸島への上陸作戦を支援した。

マリアナ諸島を防衛するため日本軍機動部隊が出撃し、19日よりマリアナ沖海戦が始まった。

「エンタープライズ」の攻撃隊は空母「龍鳳」、「隼鷹」、「飛鷹」を攻撃した。「飛鷹」は「レキシントン」(CV-16)艦攻隊の攻撃により沈没。


台湾沖航空戦編集

8月4日、真珠湾で修理中の「エンタープライズ」に新型艦攻SB2Cが配備された。

10月7日、空母「フランクリン」、軽空母「ベロー・ウッド」、「サン・ジャシント」らと第4群を編成し、10月10日に沖縄、12日、13日に台湾、15日からフィリピンを空襲した。

反撃した日本陸海軍の基地航空隊が大戦果を報告し、10月19日、「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、艦種不明15隻撃沈・撃破」の大本営発表が行われたが、実際の被害は皆無であった。


レイテ沖海戦編集

10月20日、アメリカ軍はレイテ島に上陸。アメリカ軍の進攻阻止のため日本海軍は多くの艦艇を投入した。

10月24日のシブヤン海海戦では第38任務部隊第2群(「イントレピッド」、「カボット」)、第3群(「レキシントン」(CV-16)、「エセックス」)、第4群(「フランクリン」、「エンタープライズ」)の空母による5次に亘る空襲が行われ、後に戦艦「武蔵」が沈没した。「エンタープライズ」は第4次攻撃に参加した。

この戦いの後、12月、「エンタープライズ」は夜間空母となる。


1945年編集

硫黄島の戦い編集

2月16日より「サラトガ」と共に東京を夜間に空襲する。

2月19日からの硫黄島の戦いで第58任務部隊の防空を担当したが、21日に「サラトガ」が神風特攻を受けて離脱し、夜間空母は「エンタープライズ」だけとなり、苦しいやりくりが続いた。

日本海で日本軍輸送船を掃討中の3月18日、日本海軍機の500キロ爆弾が命中するが、不発弾だった。

3月20日、友軍の誤射により40ミリ機関砲が爆発。甲板に整列していた艦載機が次々と誘爆し大火災となった。1時間以内に鎮火したが司令塔の機能を喪失し、ウルシー環礁に帰還し修理を行った。


沖縄戦編集

4月5日、沖縄戦を支援するためウルシー環礁を出撃した。

4月11日、左舷後部に突入しようとした特攻機を撃墜したが、爆弾がバルジの直下で爆発した。浸水は免れたが、船体各所に損害が発生した。任務を2日間継続後、ウルシー環礁に帰還し修理を行った。

5月11日より損傷した「バンカーヒル」より第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将の旗艦を継承、14日、26機の日本機が飛来。特攻機1機(富安俊助中尉搭乗の零式艦上戦闘機)の直撃を受け大破炎上するが、17分で延焼を食い止め、30分で火災は消火。速度を落とすことなく旗艦として部隊の配置を守り続けた。15日、「エンタープライズ」は旗艦から外され、16日に任務部隊を離脱した。富安中尉の遺体がエレベーターホールの下で発見され、水葬に付された。

これが最後の戦闘になり、6月7日、ピュージェット・サウンド海軍工廠に到着し修理を受けた。


また、終戦後に乗組員が富安中尉の遺族を探し出し、彼の零戦の部品が遺族に引き渡された。

不沈空母とも言うべきエンタープライズを決死の特攻で大破させた富安中尉は、乗組員の間で「トミ・ザイ」と呼ばれ、彼は海軍関係者から「彼はこれまで日本海軍が3年かかって出来なかった事を、たった一人で一瞬の間にやってのけたのだ」と称賛の言葉を受けた。


戦後編集

終戦後は復員任務に従事して1万人以上をアメリカ本土へ輸送した。

記念博物館として保存する運動が行われたものの資金が集まらず、1960年5月、スクラップとして解体。


艦名はCVN-65(2012年12月1日退役)、CVN-80(建造予定)に受け継がれている。


関連タグ編集

エンタープライズ 空母 アメリカ海軍 ヨークタウン級 エンタープライズ(CVN-65) エンタープライズ(CVN-80)

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