概要
第二次世界大戦中にカーチス社が開発し、アメリカ海軍に採用された艦上爆撃機。愛称は「ヘルダイバー(カイツブリ)」。
SB2Cは「Scout Bomber 2(2代目) C(カーチス社の社番)」の意。
「ヘルダイバー」としては観測機O-1を海軍で軽攻撃機として採用したA-3、艦上戦闘機XF12C-1をパラソル式単葉から複葉に改装した急降下爆撃機SBCに次ぐ3代目である。
全備重量は7.5tに達した。
1938年、アメリカ海軍は新型艦上爆撃機の競争試作を各航空機会社に指示した。
SBDドーントレスが制式採用されたばかりだったが、主翼の折りたたみ機構がなく、ヨークタウン級航空母艦での運用が不安視されたためであった。このため、基本性能の他、12×14mのエレベーター上に主翼を折りたたんだ状態で2機載せる事が求められた。
カーチス社は胴体が極端に短く占有面積を取らない設計案を提示し、海軍に採用されたが、これは後々までSB2Cの飛行安定性不足の原因としてつき纏う事となった。
1940年に試作機が初飛行し、1942年より前線への配備が始まった。
SBDよりも速度や爆弾の搭載量、航続距離、防御火力などが強化される一方、生産性や多目的性を重視した設計のため様々なトラブルに見舞われ、合格点が出されたのは3度の改修を経た1943年末であった。
現場では癖の強い操縦特性が嫌われ、SB2Cをもじって「Son of a Bitch 2nd. Class=サノバビッチ・セカンドクラス(二流のクソッタレ)」と呼ばれた。
しかし生産性の高さと性能はそれを補って余りあるもので、1945年10月の生産終了までに7,140機が生産され、太平洋戦争中期から後期にかけての主力爆撃機として活躍した。
イギリス、フランス、ギリシャ、タイ、イタリアなどにも供与され、一部は1950年代まで現役にあった。
緩降下爆撃
初期のSB2CはSBDで標準の高度15,000ft(4,572m)から急降下を行うと機体振動により命中率が低下、機体が損壊するおそれがあり、戦闘爆撃機のように緩降下爆撃を行っていた。
この問題は順次改善され、SB2C-4では問題なく急降下爆撃を行えるようになったが、航空機の高性能化により降下速度を上げられる緩降下爆撃の方が爆弾の貫通力で上回る事が分かり、緩降下爆撃が標準戦法となった。