ザイドリッツ
ざいどりっつ
(1721年2月3日~1773年11月8日)
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に重用され、卓越した騎兵隊指揮官としての能力で第一次・第二次シュレージェン戦争、七年戦争などで戦功を立てた。
特に有名なのが七年戦争の折での活躍である。
ロスバッハの戦いでは決定的な打撃力となり、またツォルンドルフの戦いではフリードリ2世の命に何度も背いてまで騎兵突撃のチャンスを待ち、効果的な側面攻撃で友軍の危機を救っている。
ロシア、オーストリア連合軍とのクーネスドルフの戦いでプロイセン軍は壊滅的な敗北を喫したが、その攻勢限界はロシア軍へのザイドリッツの騎兵突撃までであり、その攻撃が頓挫した瞬間をオーストリア軍のエルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン少将は勝機と判断し、それまで苦戦するロシア軍を救援もせず温存していた自軍の騎兵を初めて投入している。
またフライベルクの戦いでは歩兵を率いて戦い、その能力は騎兵指揮だけに留まらない事を示した。
しかし、若い頃に重ねた色事によって患った梅毒が彼の人生に影を落とし、戦傷の治癒に時間がかかり、早くに病没した原因となった。また妻の不貞や二人の娘の離婚など家庭的にも不遇で、親密だったフリードリヒ大王とも不和となり、死の数週間前に漸く和解した。
ちなみに、二人の娘は子孫を残すことができなかった。
同型艦はない。
艦名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイドリッツ=クルバッハに由来する。
モルトケ級巡洋戦艦の航用性を増す為に船体を拡大したものでフォン・デア・タン級巡洋戦艦に始まる第一世代ドイツ巡洋戦艦の最終形態とされる。ジュトランド沖海戦(ユトランド沖海戦)での強靭な防御力で有名。
→ 詳細は「wikipedia:ザイドリッツ_(巡洋戦艦)」を参照。
性能諸元
常備排水量 | 24,988t |
満載排水量 | 28,550t |
全長 | 200.6m |
全幅 | 28.5m |
機関 | 石炭・重油混焼缶×27基 高速型・低速型直結タービン×2組 4軸推進 |
最大出力 | 63,000馬力 |
最大速力 | 26.5ノット |
武装 |
|
装甲 | 水線300mm 甲板80mm 司令塔300mm 主砲前盾250mm 主砲天蓋70mm |
乗組員 | 1,068名 |
艦歴
1911年2月4日起工、1912年3月30日進水、1913年5月22日竣工。
8月17日、就役。高海艦隊第1偵察部隊に配属。
1914年6月23日、第1偵察部隊司令官フランツ・フォン・ヒッパー少将の旗艦となる。
8月28日、ヘルゴラント・バイト海戦では苦戦する軽巡洋艦部隊救援に巡洋戦艦モルトケ、フォン・デア・タンは出撃するも、旗艦であるザイドリッツは出撃が1時間遅れ、イギリス艦隊は既に後退した後だった。
11月3日、巡洋戦艦モルトケ、フォン・デア・タン、装甲巡洋艦ブリュッヒャー、軽巡洋艦4隻を率いてヤーマスを砲撃。
12月16日、巡洋戦艦モルトケ、装甲巡洋艦ブリュッヒャーを率いてハートルプールを砲撃。沿岸砲台の反撃で3発被弾するも損害は軽微で死傷者は無かった。
1915年1月25日、巡洋戦艦モルトケ、デアフリンガー、装甲巡洋艦ブリュッヒャー、軽巡洋艦4隻、水雷艇18隻を率いてドッガー・バンク沖で作戦中、イギリス海軍第1、第2巡洋戦艦戦隊を主力とする艦隊の迎撃を受け、第1巡洋戦艦戦隊旗艦ライオンの砲弾を3発被弾。前甲板、艦中央舷側への被弾は軽微であったが、第五砲塔のバーベットに命中した1弾は装甲に食い止められ内部には入らなかったもののその爆発は再装填室の装填準備中の炸薬に引火し火災が発生し、それは第4砲塔に逃げようとして砲員が鉄扉を開いた為に第4砲塔にも延焼し2基砲塔を破壊して159名の戦死者を出したが、弾薬庫への迅速な注水命令が下され、第2ポンプ長ヴィルヘルム・ハイトカンプ、消防士フランツ・ミュラーが煙を吸い両手に重傷を負いながらも熱した注水弁を回して注水した為に弾薬庫誘爆による艦の破壊は免れた。(ドッガー・バンク沖海戦)
修理はヴィルヘルムスハーフェンで行われ、3月31日までの期間を擁した。
8月3日、第一次リガ湾進攻作戦に参加。
11月24日、カイザー・ヴィルヘルム運河で座礁。
1916年4月24日、第一偵察戦隊司令官代理フリードリヒ・ボーディッカー中将の旗艦としてヤーマス、ロストフト砲撃作戦中に左舷舷側魚雷発射管後方に触雷して11名の戦死者を出す。この為、水雷艇V28に収容されたボーディッカー提督は旗艦を巡洋戦艦リュッツォウに変更して作戦を行い、ザイドリッツは飛行艇L7と2隻の水雷艇に護衛されてヴィルヘルムスハーフェンに帰港し、修理には5月29日まで費やした。
5月31日、巡洋戦艦リュッツォウ、デアフリンガー、モルトケ、フォン・デア・タン、軽巡洋艦10隻、駆逐艦30隻と共にスカラゲック海狭に行動中、イギリス海軍第1巡洋艦戦隊、第2巡洋艦戦隊、第5戦艦戦隊を主力とする艦隊と交戦。巡洋戦艦デアフリンガーと共同でイギリス海軍巡洋戦艦クイーン・メアリーを撃沈するが、クイーン・メアリーより砲弾2発を被弾し、1発は上部構造物を貫通して小規模な火災を起こしたに過ぎなかったが、1発は第四砲塔のバーベットを貫通して引き起こされた火災は弾薬庫に達し、砲塔員をほぼ全滅させ、旋回不能となるもドッガー・バンク海戦の戦訓による対策で誘爆は回避された。
次に戦艦バーラムもしくはヴァリアントの砲撃で左舷・右舷主砲塔が使用不能となり、第四砲塔も再び貫通され爆発を起こし、副砲2基も使用不能となった。
また第1砲塔の真下に1本の魚雷が命中たが、この時点では未だ最高速度を維持していた。
その後、英独海軍本隊も更に加わったこの一大海戦海戦終了時には21発の砲弾を被弾、魚雷1本被雷し、魚雷と破壊された艦首部からの最大で5,300トン以上に及ぶ浸水で一時航行不能となるも、第一砲塔弾薬庫密閉で得た浮力により3ノットの速度でヴィルヘルムスハーフェンに辛うじて帰投した(ユトランド沖海戦)。戦死者は98名、負傷者は55名であり、修理には10月1日までを費やした。
1917年10月26日、ユトランド沖海戦で失われたリュッツォウに代わり継承していた第1偵察部隊旗艦を巡洋戦艦ヒンデンブルクに譲る。
1918年、第一次世界大戦が終結。休戦条約によりスカパ・フローに回航され抑留される。
1919年6月21日、講和条約案の内容に不満な抑留艦隊司令官ルートヴィッヒ・フォン・ロイターの命令で、スカパ・フローに抑留されていた他の大海艦隊艦艇と共に乗員の手により自沈した。
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の四番艦として起工されたが未成に終わった。
1936年12月29日起工、1939年1月19日進水。
11月4日、建造中止。
1942年6月、軽空母へ設計が変更される。
12月、ヴェーザーと改名され工事が再開。
1943年6月、建造中止。ケーニヒスベルクに回航される。
1945年4月10日、自沈した。
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