海戦までの経緯
アメリカ軍は日本軍のラバウル基地を孤立化させるため周辺の島々を攻略する必要があり、ブーゲンビル島への上陸作戦が決定した。
日本軍はアメリカ軍の輸送船団と護衛を殲滅し、タロキナ地区から逆上陸すべく出撃。
→ 詳細は「wikipedia:ブーゲンビル島沖海戦」へ。
経過
1943年11月1日15時30分、日本の襲撃部隊はラバウルを出撃し、相前後して輸送隊も出撃する。アメリカ軍機に発見されたことから奇襲攻撃は不可能となり、輸送隊を帰還させ、夜戦での強襲へと作戦を変更する。
エンプレス・オーガスタ湾ではアメリカ軍の揚陸作業が続いており、ブカ島とショートランド泊地への艦砲射撃から戻った第39任務部隊が護衛していた。第39任務部隊は10月31日より睡眠を取っていないなど疲弊していたが、タロキナの沖合いへ出撃し襲撃に備えた。
11月2日0時27分、日本艦隊を第39任務部隊旗艦・軽巡モントピリアのレーダーが探知。
0時49分頃、アメリカ側が砲撃を開始。日本側は回避行動に移るが、衝突事故や陣形の乱れが発生し混乱する。アメリカ側も味方の射線軸への侵入、衝突事故などが相次ぐ。
川内が集中砲火を浴びて航行不能となる。
1時頃、アメリカの軽巡洋艦群が煙幕を張って退避したため、日本側は「数隻の米重巡を撃沈」と錯覚。
1時34分、日本側では大森司令官が『明日ノ敵機ノ来襲ヲ顧慮シ、全軍ニ対シ315度方向ニ避退スベキ』を電令して戦場から離脱。アメリカ側は日本艦隊を追撃。妙高との衝突で艦首を失った初風は敵駆逐艦群に集中砲火を浴びて撃沈される。
3時頃、アメリカ側が追撃をやめてツラギ島へ帰投し、戦闘は終結に向かった。
5時30分、戦場に取り残された川内が沈没。
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この敗北により大森司令官は更迭された。そして、日本海軍が「絶対負けるはずがない」と自負していた夜襲戦術がレーダーを駆使した砲撃・雷撃により破綻する契機となり、同月24日のセント・ジョージ岬沖海戦での日本の大敗により、レーダーの優位は決定的となった。