概要
1946年12月30日、「雪風」は特別保管艦に指定され、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となった。乗組員たちは最後まで入念に整備を行い、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆された。
1947年7月3日、「雪風」は上海に到着、7月6日に中華民国に引き渡されて「丹陽(タンヤン)」(DD-12)と改名された。これより中華民国海軍旗艦として行動することになる。
国共内戦での国民党軍の敗北に伴い、その他の艦艇とともに上海から台湾の基隆に逃れた。蒋介石総統が渡台した際には、その乗艦になったとされる。その後、左営で再武装工事を受け、引き続き中華民国海軍所属として第一線で活躍した。八二三金門砲戦や料羅湾海戦など、中国人民解放軍との間で発生した幾度かの実戦に参加したとみられる。
1953年8月には中華民国海軍総司令馬紀壯中将指揮のもとで太昭、太湖とともにフィリピンを訪問した。
1954年6月、ソビエト連邦油槽船「トープス」を拿捕した。艦齢20年をこえた「丹陽」は29ノットを発揮するのが限度だったという。
1959年8月3日、中国人民解放軍海軍護衛艦2隻と交戦、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた。1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが、機関の老朽化によって1965年12月16日に退役、1966年11月16日付で除籍された。
訓練艦として就役していたが、1969年夏に暴風雨により艦底破損、艦齢29年で解体処分となった。1971年12月31日までに解体された。
旧乗員が中心となって結成された「雪風永久保存期成会」(会長:野村直邦)などの活動もあり、「最後の日本海軍艦艇」(編集者注・実際にはこの時点で海防艦「志賀」が巡視船「こじま」として残存していた。なお、現在も健在な「宗谷」は艦艇ではなく「特務艦艇」の扱いであった)の日本への返還が希望され、実現一歩手前までこぎつけたとも言われる。だが台風による浸水で損傷した為に不可能になり、1970年に解体されたとの連絡があった。1971年12月8日、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。また、スクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている。
(wikipediaより、一部改変)
当初は旧日本海軍が現地に残していた艤装品を接収・流用して武装していたが、当時の日本自体が兵器生産や輸出など到底行えるような状態では無かった事と台湾側に代替品を自主生産出来るほどの工業技術基盤や設備等が無かった為に使用弾薬等の補給の目処が立たなくなり、後には当時支援国家であった米国からの供給を受けて米国海軍艦艇に使用されている武装を搭載するようになる。
再武装時
兵装転換時
ちなみに
艦船擬人化漫画「BattleshipGirl-鋼鉄少女-」(ガムコミックスプラス)の主人公は雪風だが、その原案にあたる「陽炎少女-丹陽-」はむしろこの丹陽としての活躍に焦点が当てられた作品となっている(そのさらに原案となった学術資料が丹陽のものなので当然なのだが)。
また、ゲーム「艦隊これくしょん」において、同じく戦時賠償艦となった「響」に、ソ連に渡って後の名である「ヴェールヌイ」としての姿が実装されたため、「雪風」にもこの「丹陽」としての姿が実装されるのではないか、と予想するプレイヤーも少なくない。・・・が、初期実装艦娘に改二が続々と実装される中で2018年11月時点でも雪風は初期実装仕様のままであった。
それから2年後、2020年11月1日に開催されたリアルイベント「鎮守府鰻祭り」にて、雪風の大規模改装として「丹陽」「雪風改二」が実装されることが発表された。
そして2020年11月13日、サービス開始から7年7か月の時を経てついに実装された。