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異能生存艦

いのうせいぞんかん

異能生存艦とは、太平洋戦争において数々の激戦に参加しながらも決して沈まなかった不沈艦、駆逐艦「雪風」と特務艦「宗谷」に与えられた称号である。
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不沈艦・雪風編集

交戦

陽炎型駆逐艦8番艦、雪風

所属は大日本帝国海軍・第二艦隊・第二水雷戦隊・第十六駆逐隊。

当時最新鋭の陽炎型駆逐艦の一隻であり、エリート部隊であった第二水雷戦隊に所属していたこの駆逐艦は、その時点では単なる駆逐艦の一隻としか見なされていなかった。

しかし、戦局が激しさを増すにつれ、この艦は次第に頭角を現し始める。


稀代の「幸運艦」として。


いくつもの海戦に参加、戦艦や空母すら撃沈されるような激戦に叩きこまれようとも、雪風は沈むことはなかった。


その幸運ゆえに、「他の艦の運を吸い取っている」「死神」などと言われることもあった。

(これらの話は具体的な出典が無くリアルタイムでそう呼ばれていた形跡はない。円道祥之や有馬桓次郎らの著書で見受けられるそうだが、これらは2000年以降に出版された比較的新しい物で、それ以前に発行されている戦争経験者による著書や回想録等には雪風を「死神」といった記述は無い。雪風返還運動の際アノ「朝日新聞」にも雪風の記事は載ったが、その様な記載は一切なかった。また多くの艦が失われたレイテ沖海戦でも、例えば時雨以外全滅した西村艦隊には雪風は参加していない為無関係であり、雪風の目の前で多くの艦が失われたもの中で最大の戦いは坊ノ岬沖海戦だが、その海戦でも雪風以外に初霜・涼月・冬月は生還している。)


雪風は陽炎型の中でただ一隻生き残り、多くの艦の最期を看取り続け、そして終戦を迎えた。


中華民国へ賠償艦として引き渡され、名を「丹陽」と改められ、中華民国軍旗艦として、さらに戦い続け、老兵となりながらも、やはり沈むことはなく、1965年、退役を迎える。

そして1969年、生涯ただ一度の、そして最後の不運であろうか、台風により損傷、修復不能と見なされる。

そして日本へ帰ることは叶わぬまま解体され、台湾の地でその生涯を終えた。

ただその碇のみが、再び故国の地へと帰ったのである・・・


概要編集

・・・という、ほとんどオカルトじみた幸運を発揮した雪風を、「装甲騎兵ボトムズ」の異能生存体になぞらえたもの。

このような人物やキャラクターは往々にして「死神」とも呼ばれるが、戦場で生き残り続けた者が死神呼ばわりされることは現実、フィクションを問わずよくあることである。


厳密に言うならば異能生存体とは「周りもしくは自分がどんな状態になってもとりあえず生き残れる」というものなので、あまり負傷せず生き残った雪風よりは、下記のエンタープライズ、日本海軍ならば時雨青葉涼月あたりの方が相応しいかもしれない。


もう一隻の異能生存艦、「奇跡の船」宗谷編集

しかし太平洋戦争以前に生まれ、今もなお「船」として浮き続けている船がある。


南極観測船として知られ、戦時中には海軍所属の特務艦としてトラック島空襲も生き延びた奇跡の船、砕氷巡視船宗谷」。
日本海軍特務艦 宗谷


海軍所属時には、本来戦闘艦ではなかったにもかかわらず対潜戦闘や対空戦闘で戦果を残した。トラック島空襲時には一時座礁して放棄されるが自然離礁。大戦末期には内地周辺で決死の特攻輸送に従事しながら、戦後まで生き残ることができた数少ない特務艦艇の一隻となった。現在も、巡視船として唯一の保存船・日本海軍最後の一隻として海に浮かんでいる、昭和史そのものの生き証人である。


…ただし、宗谷は戦時中の活躍だけを見れば雪風と同様「本人が生きているというだけで戦況は変わらないどころか、悪化していく中でも生き続けなければならない」という異能生存艦の名に相応しいものの、戦後の海上保安庁所属時代は戦闘に巻き込まれた事もなければ、南極観測をはじめ多くの事業の成功の立役者となっており、幸運の船ではあっても異能生存体とは言いがたい。


一方で保存船になってからの状況をみると、日本の船舶の保存事情は劣悪であり、船の科学館で宗谷と肩を並べていた羊蹄丸は既に解体されて久しく、海軍艦艇最後の生き残りであった志賀をはじめ多くの保存船が姿を消す中、ボロボロになりながらも健在な宗谷はやっぱり異能生存船なのかもしれない。


海外の異能生存艦編集

コムーナ

ロシア海軍の異能生存艦。第一次世界大戦前の1913年に進水し1915年に就役(就役時の名称はヴォルホフ)した潜水艦救難艦。以来、ロシア帝国からソビエト連邦ロシア連邦に至る激動の20世紀のロシア史を駆け抜ける。本艦は任務の特質上戦闘に直接参加した事はなかったが、ロシア革命第二次世界大戦を生きのび(レニングラード包囲戦ではドイツ軍機の爆撃を受けた)、就役から100年以上が経過した21世紀の現在もなお、サルベージ船として黒海艦隊にて現役である。


エンタープライズ(CV-6)

ヨークタウン級航空母艦2番艦)

アメリカ海軍の異能生存艦。太平洋戦争中には日本軍の攻撃により何度も中大破しているが、そのたびにドックで修理が施され、あるいは傷が癒えないうちに最前線に復帰し、アメリカ海軍の反攻の立役者となった。太平洋戦争開戦前に建造され、終戦まで無事に生き残った三隻の航空母艦のうちの一隻(他の二隻はサラトガとレンジャー)であり、第二次世界大戦において最も活躍した航空母艦である。ただし上記のとおり日本軍との戦闘で大きな損傷を受けたことが一度ならずあるので、雪風や宗谷よりも「異能生存体」の本来の意味に近い存在かもしれない。日本海軍の航空母艦でたとえれば戦後まで生き残った翔鶴といったところだろう。


ウォースパイト

イギリス海軍の異能生存艦。第一次、第二次両世界大戦に参戦し、世界屈指の殊勲艦と激賞される戦艦。「傷だらけの不沈艦」「オールド・レディ」の異称を持つ。「戦いのあるところ必ずWarspiteあり、と海軍では言われている」 という言葉が残る通り、かのユトランド沖海戦を皮切りに数多の作戦に参加、戦果を稼ぎに稼いだ。エンタープライズ同様、激戦の中で中大破を繰り返す(事故によるものも多いが…)もののその度に再び立ち上がる不屈の闘志を見せつけてイギリスの勝利に貢献。操舵装置に故障癖があるのにフィヨルドに突っ込んで中にいたドイツ軍駆逐隊を叩き潰したり、中破状態からロクに修理もせずに次の作戦に参加するなどの無茶もしているがキッチリ生存。終戦後、旧式な上に損傷も酷かったためスクラップにされることが決定するも荒天をいい事に乗員すらいないのにスクラップ業者から逃げ出すことまでやってのけた。


BAP プーノ(ABH306)

ペルー海軍の異能生存艦。1976年に病院船となり、世界で最も高い航行可能な湖であるチチカカ湖で活動している。この艦の前身は1872年の就役から働いてきた貨客船ヤプラを改装しているため戦闘には参加していないが、病院船として就役してからさらに40年以上たった2020年でも現役という点で異能生存艦と言えるだろう。

 余談だが、姉妹船であるヤヴァリ(MV Yavari)も幸運船で現在は博物館船として現存している。


関連イラスト編集

ボトムズアイキャッチ風

メインに貼りたかったが自重した。

関連タグ編集

艦船 幸運艦 異能生存体

砲甲艤娘カンムス:関連イラストを考えるとこちら寄りだといえる。

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