海上保安庁と海上自衛隊に同名の船が実在する(した)が、現在は巡視船そうや(PLH01)及びこれを擬人化したイラストのみが存在する。
そうや(PLH01)
海上保安庁が運用する、ヘリコプター搭載型巡視船(PLH)。同型船なし。1978年11月に就役後、1995年10月に「てしお」(PM15)が就役するまでは砕氷機能を持つ唯一の巡視船だった。就役以来、北海道を管轄区域とする第一管区海上保安本部に所属し、釧路を母港とする。
経歴
「宗谷」の後継船として1978年7月3日進水、11月22日竣工。
先代「宗谷」の運用実績を生かし中型ヘリコプターを1機搭載する砕氷船として建造され、その設計はその後の「つがる型」「みずほ型(初代)」「しきしま型」など海上保安庁の大型巡視船のプロトタイプとなった。
- ヘリコプター格納庫(宗谷では露天係止だった)、指揮管制を統合管理するためのOIC室、揺れ軽減のためのフィンスタビライザーなど巡視船では過去に例のない新機軸を多数導入。本船で初めて組み込まれた仕様の多くが後の大型巡視船の標準装備になった。
- 3ノットで1mの連続砕氷能力、最大で約1.5mの砕氷能力を有する。
- 進水式には宗谷の後継艦、二代目南極観測船ふじ(AGB5001)が居合わせた。
- PLH型に搭載されるヘリコプターにはそれぞれ愛称がついており、そうやに搭載されるヘリコプターには「せきれい」と名付けられる。
- 1979年の観閲式にて、当時就役したばかりのつがる(PLH02)はそうや型の2番船と紹介されたが、そうやと異なり砕氷機能は無い。おおすみ(PLH03)就役後はつがる型に分類された。
就役時のハル・ナンバーはPL01、就役後、初めての北洋哨戒に出る時は宗谷の後継船、200海里時代の申し子、ヘリ巡第一船という事で世間の期待も大きく、1978年12月31日NHKのテレビ番組「ゆく年くる年」に出港風景が生中継され年明け後、そのまま多くの報道関係者をのせ北方四島沖の哨戒に出た。
その後、大韓航空機撃墜事件・北海道南西沖地震の海上捜索、流氷に閉じこめられた船舶の救出、ロシア国境警備隊との折衝、海氷の調査などに活躍。
2008年1月1日までにあげた実績は救助出動件数473回、救助隻数90隻、救助人数1373人、総航程76万海里。
2009年、通常の巡視船の耐用年数である25年を超えたことから海上保安庁が建造した巡視船としては初の大規模な延命工事が施され、OICの換装、ヘリコプター移送装置の搭載など最新巡視船並みの機能が整えられた。少なくとも2020年代中頃までは引き続き活躍する見込みである。
東日本大震災では、津波の被害を受けた釜石港に係留され救難基地としての役割をつとめた。
2016年の消防巡視船「たかとり」の退役に伴い(現在も訓練設備として使用されている先代「宗谷」を除くと)最古参の巡視船となっている。先代「宗谷」と、鉄道省/国鉄連絡船の「宗谷丸」は、太平洋戦争を生きのび戦後も長く活躍した類稀な幸運船であり、「そうや」もこの両船から強運と長寿を受け継いだのかもしれない。
2015年3月2日、就役時から運用していたベル212型ヘリコプターからシコルスキー76C++型に機種転換した。
そうや(MMC-951)
海上自衛隊に存在した機雷敷設艦。海上自衛隊史上唯一の機雷敷設艦で、旧来の敷設艇(えりも及び日本海軍の各敷設艦・敷設艇)が担っていた機雷敷設任務の他に掃海隊群旗艦および母艦としての機能を持ち給油設備やヘリコプター運用設備も持っていた。1971年就役、1996年除籍。以降の機雷敷設任務は掃海母艦が兼任する事となったため、日本海軍・海上自衛隊通じて現状最後の機雷敷設専用艦艇である。