📅概要
昔、ローマの暦で「ついたち」という意味の「Kalendae (カレンダエ)」が由来。
月々の儲けを一日に計算していたことから、計算簿の意味になり、今の「カレンダー」を指すようになった。
絵や写真を組み合わせ、販促品ポスターの用途を兼ねることも多い。
基本的に1年1冊となっており、月ごとの表示のものがもっともポピュラーだが、毎日めくる「日めくりカレンダー」や、毎年買い替えなくともよいように工夫された「万年カレンダー」などその形態は様々。
実は1月1日の曜日が各曜日分と、うるう年の有無の14パターンを用意しておけば事足りる。が、やはり毎年新しいカレンダーを用意するのも楽しみのひとつというものであろう。
日本におけるカレンダーの始まりは陰陽寮に所属する陰陽師が作成した「具注暦」であった。暦道は賀茂氏が支配していたものの、賀茂氏の断絶以降は土御門家が引き継ぎ、これが明治6年まで続いた。
一方で鎌倉幕府の成立時、賀茂氏の一部が三島に移り河合氏を名乗り庶民でも分かる仮名暦である「三嶋暦」を作成した。この三嶋暦は賀茂氏断絶の混乱下にあった陰陽寮の暦よりも正確であったと言われていた。
賀茂氏は伊勢にも移り住み丹生暦を作成、これが伊勢御師に引き継がれ「伊勢暦」として発行された。
彼らの暦は暦注と呼ばれる占いが書かれていた。現在日本のカレンダーには「六曜」という七曜とは異なる曜日が記載されていることが多いが、これは旧暦を使っていた頃には日付の他にその日の占いを載せたカレンダーが人気で、その日の行動を占いで決めていた習慣があったほどだったが、明治になって太陽暦採用時に迷信付きカレンダーの廃止を決定。官暦として伊勢暦から暦注を抜き国家神道の記載を盛り込んだ「神宮暦」を伊勢神宮から頒暦したが、それでも占い付きカレンダーを求める人が絶えず、「お化け暦」や勝手に占い付きカレンダーを発行する民間企業が現れ、多くが規制逃れの為当時マイナーだった六曜を採用した為である。
敗戦により神宮暦が官暦の地位を失うと神宮暦においても略本暦で六曜を載せるようになった。の1946年には天社土御門神道本庁が再興本庁暦の発行をはじめ、80年ぶりに土御門家の暦が発行される事となった。2006年からは三嶋暦の会により現代版三嶋暦がカレンダー形式で発行されるようになった。お化け暦の多くも暦の専売制が廃止された事で高島暦や運勢暦、開運暦の名で公然と発行することとなった。一方でこうした迷信がケガレの意識と結びついているため行政などでは占い無しカレンダーを出すことがある。
カレンダー
※29日は4年に一度の「閏年」のみ