概要
ミッドウェー海戦にて沈没した赤城、加賀の後を引き継いで編成された、第三艦隊第一航空戦隊(一航戦)の翔鶴、瑞鶴、そして三航戦の瑞鳳の三隻。もしくは瑞鳳に代わって一航戦に編入された新型の装甲空母・大鳳を翔鶴型の二隻と合わせて新一航戦と呼ばれる事が多い。なお、第三艦隊ならびに上級組織である第一機動艦隊は南雲機動部隊の後継であり、また実質的に日本海軍最後の機動部隊であった。
第三艦隊と第一機動艦隊の中核を成した一航戦は、運命の戦場、マリアナ沖海戦へと挑むこととなる。
大戦中期の翔鶴、瑞鶴、瑞鳳。
大戦後期の翔鶴、瑞鶴、大鳳。
タグとしては、このいずれかのトリオが描かれているイラストにつけられている。
艦これの二次創作界隈においては一航戦=赤城、加賀ペアという印象が強いため、区別する意味で新の文字が入っているものと思われる。
なお、『艦これ』においては「一航戦=赤城・加賀」という認識は公式でも一貫しているようで、一航戦の名を冠する流星改(一航戦)にフィットが存在するのはそちらの方であり、翔鶴・瑞鶴へのフィットは控えめ(村田隊の方が大きい)、大鳳に至ってはフィット自体が存在していない。これは雲龍型や一航戦に属していた経験のある軽空母も同様である。
史実の新一航戦
ミッドウェー海戦後に編成された新生機動部隊こと第三艦隊の主力を務めたのは、五航戦に所属していた翔鶴・瑞鶴の二隻と、三航戦所属の瑞鳳であった。
五航戦時代は赤城・加賀の一航戦に比べると練度で劣る(赤城や加賀の生き残りからは馬鹿にされていたともされるが、仲が良かったとの資料もあり真相は不明)とされていたが、第三艦隊には旧一航艦の搭乗員が多数配属され、練度不足は解消されつつあった。
しかし第三艦隊と新一航戦の初陣となった42年8月の第二次ソロモン海戦では、米軍の反攻速度を読み違えたために訓練が不十分なまま出撃。米空母エンタープライズを撃破するが日本側も龍驤を失ってしまう。
42年10月26日に生起した南太平洋海戦では、戦線復帰したエンタープライズを再撃破し、空母ホーネットを沈没に追い込む。珊瑚海、ミッドウェー、第二次ソロモンと続く四度目の航空決戦で、米海軍を「南太平洋において出撃可能な空母が一隻もいない」状態にまで追い詰めた日本軍であったが、肝心の戦略的目標はなかなか達成できず「戦闘に勝って戦争に負けた」というパターンが続いた。
南太平洋海戦で艦爆・艦攻の搭乗員を多数失った一航戦はその後、発動された「ろ号作戦」の為に、残った艦載機と搭乗員を陸上基地に引き抜かれる。11日間の激戦で179名が戦死し、再建された一航戦は再度壊滅した。ある時、小沢治三郎は参謀に「折角再建させたのに上の馬鹿共が持って行きやがる!」と愚痴ったという。
海軍はろ号作戦で消耗した戦力をどうにか建て直し、44年3月1日には空母機動部隊の第三艦隊と水上打撃部隊の第二艦隊を統括して「第一機動艦隊」を創設。マリアナ沖海戦直前には空母9隻、艦載機498機を有する大規模空母機動部隊となっていた。
しかし制海権を失いつつあった当時、米潜水艦等による妨害で訓練もままならない状況へ陥り、練度の低下はまぬがれないものであった。
なお練度に関しては「発着艦がやっとな新米だらけ」と呼ばれる事が極めて多い一機艦であるが、飛行時間は開戦時と比べて大差はなく、真珠湾攻撃に参加した搭乗員も多数配属されており、一概に「低練度の新人ばかりである」とは言えないだろう。
艦載機の方は彗星艦爆や天山艦攻といった新鋭機が配備された一方で、戦闘機の更新は遅れ、主力は依然として零戦であった。
零戦も改良が進み、旧式の二一型では無く、攻撃力と防御力を強化した新鋭の五二型であったものの、この頃の米軍はすでに対零戦戦術を徹底しており、また米軍もF4Fの後継機であるF6Fヘルキャットの大量投入を始めていたため、艦載機性能の優位さは完全に失われていた。
本来の計画ではこの時期には戦闘機を烈風へ更新しているはずであったとされ、予定外な事続きに小沢中将は胃を痛めたという。
米機動部隊に対し戦力で劣る一機艦は、基地航空隊の第一航空艦隊と連携して戦う予定であったが、一航艦は6月18日時点で既に壊滅的打撃を受けており、一機艦はおよそ倍の戦力を持つ米機動部隊相手に単独で戦わなければならない状況に陥っていた。
さらに海軍乙事件によって作戦計画書が米軍の手に渡り、「あ号作戦」の内容が知られてしまうが、日本軍は関係者の責任論議に終始し、肝心の機密漏れへの対処はおざなりに扱ってしまった。
19日、一航戦より第一次攻撃隊122機が発艦。だが小沢中将が一縷の望みを賭けたアウトレンジ戦法も、米軍の早期警戒戦術の前に敗れ去る。攻撃隊は圧倒的多数の敵戦闘機に奇襲を掛けられ、89機を喪失。「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれる一方的な戦闘となった。海戦全体では総航空戦力の約8割にもなる398機を失い、さらに大鳳・翔鶴・飛鷹が米軍の攻撃によって沈没した。惨敗を喫した第一機動艦隊は21日に撤退。7月9日、サイパン島は陥落する。
マリアナの敗北によって三度と壊滅した機動部隊はこれ以降、人的資源の問題や海軍の方針転換から(高くて脆い機動部隊より、安くて固い基地航空部隊を優先した)、完全に再建されることはなかった。
マリアナ沖海戦後、一航戦で唯一生還した瑞鶴は44年8月10日に第三航空戦隊へ編入され、そこでかつての仲間であった瑞鳳と合流。その後、瑞鶴や瑞鳳たち一機艦第三艦隊は捷号作戦発動後の10月20日にフィリピン海へ進出。25日の海戦にて沈没した。
一航戦の名は雲龍型を中心とした部隊に引き継がれたものの、第三艦隊ならびに第一機動艦隊は11月15日に解散。ここに日本機動部隊の歴史は事実上幕を下ろしたのだった。
なおこの際、ウィリアム・ハルゼー率いる米軍第三艦隊は、マリアナ沖海戦で翔鶴と大鳳が戦没したことを把握しておらず、基地航空隊に沈められた軽空母プリンストンを、未だ健在である日本の空母機動部隊によるものと誤認、さらに武蔵を撃沈したことで栗田艦隊が無力化したと二重に誤認し、「本命」である機動部隊を叩き潰そうと、戦艦6隻・空母11隻をはじめとする計70隻の大艦隊で、実際には「囮」の小沢艦隊を追ってしまった。
もしもこの陽動が成功していなければ、米軍第三艦隊は栗田艦隊への攻撃を続けていたであろうし、そうなれば栗田艦隊の損害は敵のほとんど全攻撃を引き受けて沈んだ武蔵一隻では終わらず、連合艦隊そのものがレイテ沖で息の根を止められていた可能性が高い。(後世、続く坊ノ岬沖海戦で戦艦大和を無駄死にさせた事から、『レイテ沖海戦で連合艦隊の主力が全滅したほうが良かった。1945年の惨禍も避けられたし、軍の心が折れて綺麗サッパリと講和の糸口にできたのに…と連合艦隊の存在を否定することを言われてしまう原因ともなった)
瑞鶴・瑞鳳も、そして先駆けて散っていた翔鶴と大鳳も、最後の最後まで戦友たちを守ったのであるが、全滅したほうが良かったと言われては虚しくなるのだが…。
かくして、栗田艦隊はレイテ湾を目前にして反転。多くの艦を失った海戦は完全な敗北に終わる。栗田健男はこの海戦後からの後半生、ひいては後世において、連合艦隊の最後の花道を奪った無能な男と酷評をされている。
ただし栗田の行動に関しては、イギリス首相チャーチルが「あの戦場と同様の経験をした者だけが栗田を審判できる」と評したり、最近では「栗田は至極当然の判断を下したにすぎない」等と再評価する意見も出てきており、かつてのような非難一色の評価では無くなってきているものの、海戦のことを聞かれると、相手が自分の孫であろうと、露骨に不機嫌になるなどの証言が残されている事から、軍人としての名誉の回復を果たしたかったが、状況が許さなかった事を心残りにしていた様子が伝わっている。
瑞鶴たちの犠牲によって守られた艦、そしてその乗組員が多数存在するが、結果的に連合艦隊がその後は有名無実化した事から、レイテに連合艦隊そのものが散ってくれたほうが良かったという論調もある(1945年の本土空襲の惨禍が防げた可能性があるからだという)事から、戦後に賠償艦として生きながらえさせるよりも、死に場所を与えたほうが軍艦としての幸せと考える風潮があったのも事実である。彼女たちと共に戦った第六〇一航空隊は、基地航空隊となって、終戦まで戦い続けた。
提督諸氏は、この悲しい史実を覆すよう、十分な訓練と補給、史実で叶わなかった新型機の配備などをもって、彼女たちを勝利に導いてもらいたいものである。
第六〇一航空隊
ろ号作戦後の新一航戦の飛行隊には、それまでにない特徴があった。それが、第六〇一航空隊の存在である。
従来の機動部隊の飛行隊は、各空母ごとに編成され、艦長の指揮下にあったのだが、これには司令部からの指揮がやりづらいこと、飛行中に母艦が機能不全に陥った際に僚艦に着艦する場合に混乱が生じることなど、様々な弊害があった。
そこで、飛行隊を空母ごとに分けるのではなく、部隊全体で一つの飛行隊としてまとめ上げることになった。
ろ号作戦終了後、翔鶴、瑞鳳の飛行隊を中核として編成された第六〇一航空隊は、編成が大鳳・翔鶴・瑞鶴の三隻となった後も継承され、マリアナ沖海戦に挑んだ。
マリアナ沖海戦での敗退後は、新一航戦唯一の生き残りである瑞鶴の艦載機としてレイテ沖海戦に参加、そこで瑞鶴も失われた後、基地航空隊へと変わり、硫黄島防衛戦、沖縄戦などに参加、終戦まで戦い続けた。
2014年8月に開催されたAL作戦/MI作戦と同時に、第六〇一航空隊所属機が複数配備された。
史実でも戦った零戦52型丙、彗星、天山のほか、機種転換によって零戦52型丙は烈風(六〇一空)へと更新され、流星(六〇一空)も2015年2月のイベント「迎撃!トラック泊地強襲」のE-2乙作戦以上での突破報酬として実装された。
いずれも通常の同型機よりも強力な機体となっており、大鳳が夢見た「十分な補給と訓練が」施された「流星と烈風の編隊」が現実のものとなった。