概要
1478年に成田氏によって築城された。
沼池の中にある島に建てられた城で沼自体を水堀の役目として使用していた。
関東七名城のひとつとされる。
豊臣秀吉の小田原攻めの際には城代、成田長親が家臣農民らを集めて約3000人で籠城することになる。
これを「忍城の戦い」と呼ぶ。
対する石田三成を総大将とした部隊は利根川の水を引き入れ忍城に対して水攻めを決行する。
この水攻めは「日本三大水攻め」のひとつとされる。
しかしこの水攻めは失敗し、小田原城が開城するまで城は持ちこたえることとなった。
失敗の理由は諸説ある。
江戸時代には忍藩10万石の政庁となった。
現在御三階櫓が再建されたが、本来とは別の場所に建てられたため「模擬櫓」と言われている。