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概要編集

1948年6月25日鳥取市に生まれ、京都市で育つ。

愛称はジュリー。由来は女優のジュリー・アンドリュースのファンであることから。


1967年にGS系のバンド「ザ・タイガース」のボーカルとしてデビュー。

70年代からはソロのアーティストとして活動。


60年代後半~80年代前半にかけ、ヒット曲を量産し、一世を風靡。

甘いルックスと艶のある声が特徴。歌唱力も抜群。

時には派手なメイクや奇抜な衣装を身に纏うなど、ビジュアル系アーティストの先駆けとも言える歌手である。

映画・バラエティーにも数多く出演。


デビューして以来、現在でも精力的に活動を続けており、全国規模のライブツアーも継続的にほぼ毎年実施している。世に送り出した曲は延べ1000を超える。


かつての美貌と異なり、今ではカーネル・サンダースを思わせるような外見となってしまったが、その声は進化しつつも健在である。


略歴編集

1965年、ザ・タイガースの前身となる「サリーとプレイボーイズ」が結成。

メンバーは岸部一徳、森本太郎、加橋かつみ(1969年に脱退)、瞳みのる、岸部シロー(加橋の後釜で途中加入)。

翌1966年、沢田がボーカルで加入し、バンド名も「ファニーズ」に改名。

関西圏で人気を博す。ほどなくして上京し、1967年に「ザ・タイガース」としてレコードデビュー。

GSブーム下において、沢田は少女たちから絶大な人気を得る。


1971年、ザ・タイガース解散。

直後、タイガースで同じメンバーだった岸部一徳や、他のGS系バンドで活動していた萩原健一大野克夫・井上堯之らと共に、ロックバンド「PYG」を結成。


1972年、萩原健一の俳優業が多忙となり「PYG」は自然消滅。

沢田はそのままソロの歌手となり、残った楽器陣のメンバーも「井上堯之バンド」に改名、1980年まで沢田のバックバンドとして活動。


1975年、ザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。

しかし同年と、翌年の1976年にそれぞれ暴行事件を起こしてしまい、一時謹慎。


1981年、1度目のザ・タイガース復活。ただし、当時音信不通であった元メンバーの瞳みのるに配慮し、同窓会と称して活動。ソロの方と並行し、全国ツアーも行う。


1987年、伊藤エミと離婚。慰謝料は当時の芸能人カップルとして最高額の18億1,800万円である。


1989年、田中裕子と再婚。1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演したことがきっかけで、伊藤エミと離婚するまでは不倫の状態であった。


1991年、デビュー25周年を記念したライブを日本武道館で開催。


俳優として編集

映画「太陽を盗んだ男」「魔界転生」などで俳優としての評価も確かなものとする。

余談だがサムライスピリッツシリーズの天草四郎時貞の見た目は、魔界転生で沢田が演じた魔人天草四郎そのものである。一応歴史上の人物が元ネタのためかK9999みたいな問題にはならなかったようだ。


さらに「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」に出演。主に志村けんの弟分扱いなコントが好評を博し、志村とはプライベートでも親しい関係が続いている。そして、志村の死去に伴いお蔵入りの危機になった山田洋次監督の映画『キネマの神様』に、志村の代役として主役を務め、同作品は2021年に公開された。


ビジュアル面編集

前述の通り、沢田はビジュアル面でも特徴がある。ここに一部の代表的な曲を掲載。


●一例

「勝手にしやがれ」でのスリーピース衣装・帽子を投げるパフォーマンス

「カサブランカ・ダンディ」でのウイスキーを口に含み、霧のように吹く演出

「TOKIO」での電飾付き落下傘

「恋のバッド・チューニング」でのカラコン着用

「晴れのちBLUE BOY」でのアーミールック風の衣装


近年の主な動き編集

2008年に還暦を記念し、東京ドーム京セラドーム大阪に計54,000人の客を集めたコンサートを開催。約6時間半でフルコーラス80曲を歌唱した。

この際に帯同したバンドメンバー共々、歌詞用のモニターを使わずに暗譜で、しかも声を枯らさずに最後まで歌い切ったのだから、大変に凄いことである。


同年に「Long Good-by」という楽曲を発表したが、これはザ・タイガース時代のメンバーであり、解散後は親交を断っていた瞳みのるに向けたもの。

※曲自体は、同じく元メンバーの森本太郎によって2003年に制作・発表済


この曲をTVで披露したことがきっかけで、瞳にその想いが伝わることとなり、沢田は瞳と再会を果たす。これ以降、ザ・タイガースの復活の動きが出始める。


2011~2012年にかけては、沢田のツアーにタイガースの3人(瞳みのる、岸部一徳、森本太郎)がゲストで参加。瞳は40年ぶりのライブ出演とあり、チケットは軒並み完売。

最終日の日本武道館公演では、病気療養中で元メンバーの1人である岸部シローも登場した。


2013年には満を持して、瞳みのる込みでのザ・タイガースが再結成。

サポメンを使わず、オリジナルの5人(沢田研二、加橋かつみ、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる)のみで全国規模のライブツアーを開催し、悲願の完全復活となった。

最終日の東京ドーム公演では、2011~2012年の沢田のソロツアーの際と同様、再び岸部シローが表舞台に上がった。

なお岸部シローは、加橋が途中でタイガースを脱退した際に代わりで入ったメンバーだったので、6人がライブで揃うのは史上初のことであった。


2018年、この年のツアーの一環でさいたまスーパーアリーナでのライブが開催予定だったが、直前に公演キャンセルとなるトラブルが起きる。

観客動員数が想定より下回り、契約上の問題が生じたのが原因である。

この件はプロモーター側にも問題があったと思われ、いわば"ドタキャン"を実行した沢田だけを一方的に責められるものではない。


2023年、再びさいたまスーパーアリーナでライブが開かれ、約19,000人を動員。5年前のリベンジを果たした。当日は彼の75歳の誕生日であり、バースデーライブと銘打っての開催だった。ザ・タイガースのメンバー等のゲストも多数参加し、大変な盛況となった。

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