概要
正式タイトルは『ゴジラ』。
『ゴジラシリーズ』の記念すべき第1作にして、戦後日本の娯楽特撮の原点。
1954年に公開されるや否や大ヒットを記録し、当時の東宝の初日動員記録を塗り替えた日本映画の金字塔である。当時、東宝は厳しい経営難に陥っていたが、この『ゴジラ』の空前の大ヒットで一気に立て直しに成功したという。
もともと、東宝はインドネシアとの合作映画『栄光のかげに』を企画していたが、外交上の問題から中止となり、その代替企画が計画された。東宝内部でも一部の人間しか知らない特撮を主とした極秘映画企画で、ジャイアントの頭文字から「G作戦」と呼ばれた。プロデューサーは田中友幸、原作は香山滋、本編監督は本多猪四郎、そして特撮監督は円谷英二であった。
同時上映は花菱アチャコ主演の喜劇映画『仇討珍剣法』。ただし一部地域のみでの併映だったとされる。
当初は、往年の巨大なタコが暴れるパニック映画が構想されていた。その後、ビキニ環礁での核実験に伴う第五福竜丸の被爆事件に着想を得て、「海底二万マイルから来た大怪獣」という企画案からスタートし、反戦や核への怒りをテーマとした。ゴジラは核の悲劇を体現し、恐怖の象徴として不気味なイメージで描かれている。
ちなみに、「ゴジラ」の名前の由来は、東宝関係者にいた「"クジラ肉"が好きな"ゴリラ"のような容貌」の人物のあだ名「グジラ」からとられた。
単なる怪獣ものでは終わらない、時代を超えた強いメッセージ性を持つストーリーは、公開から60年以上が経った現在でも非常に高い評価を得ており、今でもシリーズ最高傑作の1つに数えるファンも少なくなく、現在でも度々再放送が行われることがある。
特に、2011年の福島原発の事故以降、核や放射能の恐ろしさを描いた本作にも再び大きな注目が集まるようになっており、事故の5年後に公開された『シン・ゴジラ』にも少なからず影響を与えたと言われている。
2014年には生誕60周年を記念して、ハリウッドからの10年ぶりの最新作の公開に先駆けて、6月にデジタルリマスター版が全国上映され、同年7月8日にはNHKのBSプレミアムでも放送された。その後、2016年には『シン・ゴジラ』公開を記念して同じくBSプレミアムでリマスター版が放送されている。
また、生誕60周年記念および『GODZILLA』公開記念として日本映画チャンネルより開催された、ファン投票により全ゴジラ28作の中からベスト・オブ・ゴジラを決定するゴジラ総選挙において、第一次投票で堂々の1位に君臨。決選投票候補である上位4作に選ばれている。
製作
撮影
日本初の怪獣映画であったため、当然ながら現場は試行錯誤の繰り返しだった。円谷監督は今作の特撮を監督する上で、『キングコング』(1933年)を参考にしたという(ちなみに、キングコングとはこの2作後の作品で直接対決を繰り広げている)。
当初は『キングコング』と同様、人形を使ったコマ撮りの予定だったが、制作期間の短さから着ぐるみ(スーツ)撮影に変わった。コマ撮りは細かな動きの描写ができ、比べて着ぐるみでは生物学的な動きはできず鈍い動きになるが、圧倒的な重量感と巨大な迫力が表現できた。
ゴジラ役でもある着ぐるみの中の人物に、元プロ野球選手の役者手塚勝巳と海軍出身の役者中島春雄が抜擢された。しかし、作られたばかりの着ぐるみは鉄の骨組みに分厚い皮膚で約100㎏もあり、のぞき穴も小さく視界が悪く、屈強な中島も苦心した。手塚に至っては3mほど歩いたところで重さで転んでしまったという。
それでも中島はさらに体力作りに励み、ゴジラの動きの表現に動物園の熊や象を参考にして役作りも励んだ。
ちなみに、中島はゴジラ役以外にも本作ではモブの新聞記者役でも出演している。
撮影セット(街のミニチュア)を作るために、再現するビルの管理者に設計図や三面図を貸してくれるよう頼んだが、作中でそのビルが壊されると説明するとほとんどが「ビルを壊すなんてとんでもない!」という理由で断られてしまった。
- 作中で銀座和光ビル時計台を破壊するシーン(本記事のメイン画像を参照)は本作でも屈指の名シーンの1つだが、当然ながら和光側は大激怒。東宝は「うちも日劇やられました」と説得したが、「それはお前ん所の事情だろ!!」と、火に油を注ぐ結果となってしまった。
こうした事情があったため、スタッフはやむを得ず実際に現場の街まで赴いて建物の正確なサイズを測定しなければならなくなった。ところが、ロケハンをしていたスタッフが「あの建物を壊そうか」等と話していたために、警察に怪しまれて職務質問されるというハプニングもあった。
後の作品ではちゃんと許可を取って壊すようにしているので大丈夫らしい(そっくりな架空の建物を壊す工夫をしたこともある)が、中にはゴジラに出たことで業績が改善したり、壊されることを歓迎されることもあったらしい。
こうした、着ぐるみとミニチュアを用いて巨大感を生み出すという独自の撮影法は、以降の特撮作品においても連綿と受け継がれてゆくこととなり、日本の映像技術・文化にも極めて大きな影響を与えることとなった。この制作体制は2001年にNHKの番組『プロジェクトX』で紹介されたこともある。
劇伴
1935年にアレクサンドル・チェレプニン賞を受賞し、当時日本を代表する音楽家として知られていた伊福部昭氏が楽曲を担当することになった。
特に、伊福部氏の「ゴジラのテーマ」は、日本の怪獣映画を象徴する有名な曲となり、以降のシリーズでもたびたび使用される人気作となった。他にも、『宇宙大戦争』や『怪獣大戦争』のテーマの原型となった「フリゲートマーチ」など、数々の名曲が生み出された。
伊福部氏はこの映画により名を高め、以降の東宝特撮には欠かせない存在となってゆくことになる。
なお伊福部氏は、自身も戦時中に軍の研究施設で働いていた際に病(本人は放射線障害と思っていた)を患ったという過去を持っており、自らも放射能に対して強い恐怖を感じていたことから、特別な思いを抱きながら制作に臨んでいたという。
兵器
作中でゴジラを人類側は近代兵器を駆使して迎え撃とうとするが、公開年の1954年は自衛隊発足と同年で制作の段階で物語での反映に間に合わず、作中の軍事組織は「防衛隊」という設定になっている。いわゆる、「東宝自衛隊」の始まりである。
作中での登場兵器は榴弾砲は155mm榴弾砲M1、戦車はM24軽戦車。そのほとんどが当時の自衛隊の装備で、米軍から供与されたもの。
街中でゴジラに戦車隊が砲撃するシーンは作中の名シーンの一つであり、「戦車が怪獣に戦いを挑む」という花形の始まりとなった。
ゴジラを東京湾で追撃するのは当時の自衛隊に配備されていないF-86F戦闘機だが、この戦闘機は翌1955年に米軍から自衛隊へ供与されており、配備前から登場している。同機と原型が同じ全天候要撃機型のF-86D戦闘機に似た、飛び出たレドームを持つ戦闘機も登場しているが、自衛隊へのF-86D供与は1958年から。
また、本作のポスターには零式艦上戦闘機が描かれており、宣材写真にはゴジラと零戦が交戦しているものもあったが、作中に零戦は登場していない。ゴジラと零戦が対峙するのは、約70年後の作品になってからであった(それでも交戦に至らなかったが)。
海中のゴジラを爆雷で攻撃するシーンでは、くす型警備艦が登場している(公開と同年に自衛隊配備となったが、映画公開直前は海上保安庁所属で、映画中でも海上保安庁としてクレジットされている)。
海上保安庁とは別に「海上保安隊」という架空の組織名もセリフとして出てくる。恐らく防衛隊が陸自に相当し、海上保安隊は海自に相当するのだろう。
また、劇中の新聞中では「防衛庁」(自衛隊を管理運営していた官庁)の記述も見られる。
あらすじ
太平洋上で船が次々に謎の遭難が相次いでいた。時を同じくして大戸島で嵐の晩に謎の巨大生物によって島が荒らされ、多数の犠牲者が出た。政府は調査団を島に派遣するが、そこで巨大な怪獣を目の当たりにする。それは大戸島近海の海底に潜んでいた太古の怪獣で、島の伝説の「呉爾羅」にちなみゴジラと呼ばれた。ゴジラは人類の度重なる水爆実験により目を覚ましたものと推測されたが、ついにゴジラは日本の首都・東京を襲撃する。ゴジラの猛威の前に人類のあらゆる攻撃は無力であり、東京は焦土と化してゆく。
対ゴジラの秘策を持つと噂されていた青年科学者・芹沢大助博士は、密かに開発していたオキシジェンデストロイヤーならばゴジラを倒し得ることを、かつての恋人・山根恵美子に告白する。それが悪用されれば、ゴジラ以上の恐るべき災厄になると考え、オキシジェンデストロイヤーの使用を躊躇う芹沢だったが、恵美子の懇願と被災者たちの悲痛な姿を見て、遂に使用を決断した。
自ら潜水服を着て、東京湾の海底で眠るゴジラにオキシジェンデストロイヤーを仕掛ける芹沢。装置の作動と共に、ゴジラは苦悶しながら白骨と化し葬られた。だが人々が歓喜に沸く中、芹沢は二度と浮上して来なかった。彼は命綱を切り、自分の命と共にオキシジェンデストロイヤーの秘密を永遠に葬り去ったのだった。
ゴジラの設定
「今からおよそ二百万年前―学問的に言うとジュラ紀と呼ばれる時代に生息していた、海生爬虫類から陸生獣類に進化する際の過渡期的生物」(劇中での山根博士の説明による)。
身長 | 50メートル |
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体重 | 2万トン |
武器 | 放射能火炎(白熱光) |
メイキングの段階では、「頭部は原爆のきのこ雲」を暗示させるような形状で方向づけられており、かなりグロテスクかつエイリアンチックな外見であった。また、それより以前は米国の古典的な大ダコ怪獣として企画が始まった(その意味で、『フランケンシュタイン対地底怪獣』は二重・三重の意味でも「ゴジラではなし得なかった対決」の体現であった)。
1953年に公開された『原子怪獣現わる』も作品製作に大きな影響があり、ゴジラが「太古の生物」という設定のきっかけにもなった。
ゴジラの鳴き声の表現は、音楽を担当した伊福部昭がコントラバスの「スル・ポンティチェロ」と呼ばれる奏法の音を使用することを発案し、最終的に音響技師の三縄一郎が録音テープを逆回転させるなどして、完成に至った。また、ゴジラの足音も伊福部が制作している。
なお、上記の山根博士の解説は思いっきりジュラ紀の時期を間違えているが(ジュラ紀は約1億5000万年前)、香山滋の原作及び小説版でもこの表記であり、一部では「人類誕生の歴史に合わせてあえてこの表記にしたのではないか」等の説がある(実際、ジュラ紀の時期が二百万年前という発言は今作のみであり、次作以降は現実の正しい年代となっている)。
なお、絵コンテの段階では鬼瓦・獅子舞・山猫のごとき風貌をしていて、積極的に人間を捕食したり逃げ惑う人間を狙って白熱光で殲滅する、二又に白熱光を吐いたりする、などの特徴が見られ、非常に恐怖心を煽った。
海中で積極的に白熱光を使うのは、後のエメリッヒ版ゴジラの続編にも活かされた。
キャスト
尾形秀人 | 宝田明 |
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山根恵美子 | 河内桃子 |
芹沢大助(芹沢博士) | 平田昭彦 |
山根恭平博士 | 志村喬 |
新吉 | 鈴木豊明 |
田辺博士 | 村上冬樹 |
萩原記者 | 堺左千夫 |
南海汽船社長 | 小川虎之助 |
政治 | 山本廉 |
国会委員長 | 林幹 |
大山代議士 | 恩田清二郎 |
対策本部長 | 笈川武夫 |
稲田大戸島村長 | 榊田敬二 |
老いたる漁夫 | 髙堂國典 |
大沢婦人代議士 | 菅井きん |
大戸島の若い娘 | 川合玉江 |
ダンサー(国電/遊覧船の女) | 東静子 |
新吉の母・くに | 馬野都留子 |
田辺博士の助手 | 岡部正 |
ダンサーの連れの男(国電/遊覧船の男) | 鴨田清 |
船舶会社無電課長 | 今泉廉 |
テレビ塔のアナウンサー | 橘正晃 |
GHK実況アナウンサー | 帯一郎 |
大戸島島民 | 堤康久 |
大戸島島民 | 鈴川二郎 |
しきねのGHKアナウンサー | 池谷三郎 |
ゴジラ、毎朝新聞のデスク | 手塚勝巳 |
ゴジラ、毎朝新聞記者、変電所技師 | 中島春雄 |
以下ノンクレジット
新聞記者、遊覧船上のアベックの男 | 石原忠 |
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電車の運転手 | 須田準之助 |
変電所技師(配電室係員) | 夏木順平 |
対策本部員(通信担当) | 緒方燐作 |
伝言文を通信員に渡す男(対策本部員) | 宇野晃司 |
新聞記者、ゴジラから逃げる男 | 鈴木孝次 |
ゴジラから逃げる男、サーチライト係(海上保安庁監視班) | 加藤茂雄 |
巡視船しきね乗組員 | 中西英介、井上武男(海上保安庁) |
スタッフ
製作 | 田中友幸 |
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原作 | 香山滋 |
監督 | 本多猪四郎(本編)/円谷英二(特撮) |
脚本 | 村田武雄/本多猪四郎 |
音楽 | 伊福部昭 |
撮影 | 玉井正夫(本編)/有川貞昌(特撮) |
編集 | 平一二 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1954年11月3日 |
上映時間 | 97分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ハリウッド版
1956年に、海外版の『怪獣王ゴジラ』(GODZILLA, King of the Monsters)が作られたが、レイモンド・バー演じる主人公のアメリカの新聞記者が東京に立ち寄った際にゴジラに遭遇するという内容に再編集されたもので、この中では政治色・反戦・反核のメッセージ性は完全に消されている(東西冷戦の只中であった当時の情勢を考えると仕方がないとも言えるが…)。
本多監督も本来はこういった編集は不本意であるとする一方で、「当時の映画の海外契約はフィルムの買い取り形式で、編集権は海外の会社にあったから仕方がない」と語っている。
一方レイモンド・バーは沖縄戦で負傷した過去を持ち、奇しくも戦争で傷を負った俳優であった。
ちなみに、ゴジラの英語表記である「GODZILLA」という言葉が生み出された記念すべき作品でもある(しばしば勘違いされるが、この綴りを考案したのは米国人ではなく日本人である)。
また、“King of the Monsters”というフレーズは、後に“怪獣王”と翻訳されて日本に逆輸入され、以降ゴジラの肩書の1つとして定着することとなった。
さらに、2019年に公開されたハリウッド版ゴジラのタイトルの元ネタにもなっている。
後年への影響
今作の人気により、『ゴジラ』はその後続々とシリーズが作られ、他の映画会社もこれに肖ろうと次々と怪獣映画を製作・放映することとなり(そのうちの一つが大映のガメラである)、日本の映像分野に怪獣文化が根付くことになる。海外でも、『怪獣ゴルゴ』のように影響を受けた作品は少なくない。
また、後年『ゴジラ』で特技監督を務めた円谷英二氏が「お茶の間でも特撮作品を見せよう」ということで円谷プロを設立してウルトラシリーズが放送を開始し、さらに、このウルトラシリーズに対抗する形で東映が仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどの数々の特撮作品を世に送り出すこととなった。
このように『ゴジラ』は怪獣映画だけでなく、すべての日本の娯楽特撮の原点とも言える存在であり、この作品がなければウルトラマンも仮面ライダーもスーパー戦隊もメタルヒーローも誕生することはなかったかもしれないのである。
加えて、現在世界的に人気を博している日本のアニメやゲーム作品等の中には、ゴジラやその影響を受けて製作された特撮作品から多大なインスピレーションを受けたものも少なくない(これとかこれなんかが有名)。
そう考えると、この第1作『ゴジラ』は娯楽特撮のみならず、戦後日本のサブカルチャー全般に無視できない程の絶大な影響を与えたと言っても決して過言ではないだろう。
余談
- 公開当時は「ゲテモノ映画まかり通る」といった批判的評価も多かったが、三島由紀夫、小津安二郎、淀川長治、手塚治虫、水木しげるなどは当時から高評価で紹介していた。
- 当時の予告動画では、「アメリカ映画を凌ぐ特殊技術撮影 恐るべし!」というキャッチコピーが使われていた。本当に当時のアメリカ映画を凌いでいたのかはともかく、現在ハリウッドで活躍するクリエイターの重鎮たちの中には、公開当時本作を観て衝撃を受けた者も多かったと言われており(実際、レイ・ハリーハウゼンや若きスティーブン・スピルバーグも強い衝撃を受けたという)、あちらの映画界にも大きな影響を与えたことは間違いないと思われる。
- なお、この70年後に本当の意味でゴジラがアメリカ映画を凌いだと言っても過言ではない出来事が起こるのだが、それはまた別のお話。
- 作品の人気が高まった頃にアンケートがとられたが、ゴジラへの同情的な声が増え、ゴジラが死ぬことへの抗議もあったという。
- 当時、国民には再軍備化の兆しが見える吉田茂内閣の日本政府に不信感が高まっていた時期で、国会議事堂がゴジラに壊されるシーンでは観客が総立ちで拍手する劇場も多かったという。また映画内では、有名な「バカヤロー解散」への皮肉なのか、菅井きん演じる婦人議員が報道管制を敷くと立案した与党議員に「バカモノ!」と叫ぶシーンがある。
- 前述のとおり建物のミニチュア再現に設計図を作中で壊されるという理由から貸してもらえず、スタッフ自ら測量して再現したが、今作が成功しシリーズ化すると、逆に方々から「うちの建物も映画で壊して欲しい」という申し込みが増えたという(次回作の大阪城などがその良い例である)。
- また、観客の中には、映画を観終わった後、銀座の和光ビルや松坂屋がちゃんと建っているかどうか思わず確認してしまった人もいたという。本作の特撮シーンの完成度の高さが窺えるエピソードである。
- 公開当時、1955年に島村出版株式会社より、小説(近年で言うところのノベライズ)が発刊された。著者は原案者である香山滋本人。「ゴジラ・東京編」「同・大阪編」の二作が発刊された。これらはそれぞれ『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』のノベライズである。内容は、やや少年向けにアレンジが為されているが、映画と内容はほぼ同じ。
- 『東京編』は、少年向けゆえか主人公を尾形ではなく新吉に変更。劇中での尾形のシーンもいくつかが新吉に差替えられるなど、出番も増やされている(芹沢にオキシジェンデストロイヤーを使用するよう説得するシーンなど)。なお、『大阪編』の方はほぼ変更はない。
- また、『東京編』では、『東京ゴジラ団』なる存在が登場。ゴジラを首領と崇め奉り、ゴジラの駆逐に反対する山根博士が仲間ではないかと疑われていた。
- 長らく絶版だったが、1993年に小学館スーパークエスト文庫より、東京編・大阪編の二作を一冊にして復刻された。同文庫が絶版となった後、ちくま文庫より2004年に復刻。こちらには「獣人雪男」の原作小説も、併せて掲載されている。
- なお、1984年の84ゴジラ公開時に講談社X文庫より、84ゴジラとともに初代ゴジラのノベライズが発売されている。こちらの著者は海原俊平。尾形が主人公で、映画の内容に極めて忠実なノベライズとなっている。
関連タグ
オキシジェンデストロイヤー:本作のキーアイテム。
ゴジラの逆襲:続編。
ゴジラ(1984):本作以外の昭和シリーズをリセットした続編。
ゴジラVSデストロイア:本作を意識する要素が含まれる完結編。
シン・ゴジラ:本作を含むすべてのシリーズを初めてリセットした作品。
ゴジラ-1.0:1940年代を舞台に本作をリブートした作品。
君の名は:本作と同年に公開された松竹映画。本作の公開から62年後の2016年に初代から数えて29作目となる『シン・ゴジラ』が公開されたのだが、それとほぼ同時期にこれとほとんど同名のアニメ映画が数年後の『ゴジラ-1.0』と同じ神木隆之介主演で公開され、どちらもその時のゴジラ作品を上回る成績を出したことから「因縁」と呼ばれるようになった。
福島県須賀川市:円谷英二生誕の地として知られており、円谷英二ミュージアムには初代ゴジラのスーツが展示されている。このスーツは『ゴジラ須賀川に現る』という特別映像に登場したもので、ミュージアムでは映像の上映も行われている。
初代ゴジラ→ゴジラの逆襲