概要
1950年代に頻繁に繰り返された水爆実験や、それによって起こった第五福竜丸のビキニ環礁核実験被爆事件を1つの切っ掛けにして、1954年に『ゴジラ』が制作された。そのためゴジラが暴れだした原因も、核実験の連続により安住の地を追い出されたために怒りを買った設定になっている
2作目の『ゴジラの逆襲』から、ライバル怪獣との対戦要素が取り入れられた。この流れを決定付けたのは1962年公開の3作目にしてシリーズ唯一のコラボ作品、初のカラー作品などのエポックをもつ『キングコング対ゴジラ』から。そして4作目『モスラ対ゴジラ』で歴代東宝怪獣との戦いが始まる。
『モスラ対ゴジラ』ではモスラの方が人間の味方ということでゴジラが悪役だった(そのためタイトルは『モスラ』が先である)が、5作目の『三大怪獣 地球最大の決戦』でキングギドラの脅威から地球を救ったことから人間を護るヒーロー的な要素が徐々に描かれ始めることになる。ただ、このころはまだ明確に人類の味方となるわけではなかった(敵怪獣に対しての切り札的な存在ではあるが、普段は危険な存在として描かれる)。完全に人類の味方サイドとなったのは『怪獣総進撃』以降となる。
同時に、ゴジラも徐々に人間臭い挙動を見せるようになり、『怪獣大戦争』ではキングギドラを倒した後でシェーを踊って見せたり、敵を倒した後で大喜びしたり、誇らしげに鼻を掻いたりと感情表現が豊かになった。
…が、これらは同時にゴジラの「核の申し子」としての側面を薄れさせることとなってしまい、ゴジラが本来持っていた核兵器や戦争への批判といったメッセージは後半の作品では殆ど描写されなくなってしまった(もっとも、『南海の大決闘』や『ゴジラ対メガロ』など、製作陣が反核・反戦の精神を忘れてはいないと思わせる描写や台詞・設定が見られる作品は存在する)。
50年代~60年代にかけては、日本映画の黄金時代に作られただけあり、観客動員数も今とは比べ物にならないほど多かった。特に、『キングコング対ゴジラ』は初回観客動員数1120万人という空前絶後の大ヒット作となっている(1255万人はリバイバルを含む数字)。しかし、1970年代に差し掛かると、娯楽の多様化や家庭へのテレビの普及、洋画作品の台頭などが重なり、徐々に観客動員数に陰りが見え始め、1975年公開の『メカゴジラの逆襲』では観客動員数97万人と、遂に100万人を下回ってしまった(ちなみに、これは歴代ゴジラシリーズの中でもダントツのワースト記録である)。これにより、東宝は莫大な製作費のかかるゴジラシリーズの製作をいったん打ち切ることを決定。以降、1984年までの9年間、ゴジラシリーズは製作されない年が続く事となった。
作品一覧
公開年 | タイトル |
---|---|
1954 | ゴジラ |
1955 | ゴジラの逆襲 |
1962 | キングコング対ゴジラ |
1964 | モスラ対ゴジラ |
1964 | 三大怪獣 地球最大の決戦 |
1965 | 怪獣大戦争 |
1966 | ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 |
1967 | 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 |
1968 | 怪獣総進撃 |
1969 | ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 |
1971 | ゴジラ対ヘドラ |
1972 | 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン |
1973 | ゴジラ対メガロ |
1974 | ゴジラ対メカゴジラ |
1975 | メカゴジラの逆襲 |
関連項目
アダム・ウィンガード:アメリカの映画監督。ゴジラシリーズの大ファンで、特に昭和ゴジラが好きであると公言しており、製作総指揮を執った『ゴジラxコング:新たなる帝国』ではその影響が色濃く表れている。
昭和ゴジラ→平成ゴジラ