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ミレニアムシリーズ

みれにあむしりーず

平成に製作されたゴジラシリーズの第2弾。2000年以降に製作されたものが含まれる。
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概要編集

21世紀に入り、再び始動したゴジラシリーズ


東宝アメリカの映画会社:トライスターピクチャーズハリウッド版ゴジラを製作することを受け、1995年公開のゴジラVSデストロイアを最後にバーニングゴジラメルトダウンさせることでVSシリーズをいったん終結させ、その後続いていた平成モスラシリーズ1998年公開のモスラ3を最後に、新モスラインファント島に帰らせることでいったん終結させた。しかし、このころからゴジラの死を悼む声は多く、復活を望む声は決して少なくはなかった(『VSデストロイア』まで製作統括を担当していた田中友幸氏も、いつか必ずゴジラを復活させることを条件に、「ゴジラが死亡する」というシナリオを了承したとされる)。

そんな中、待望のハリウッド版ゴジラが公開されたが、そこに映し出されていたのは従来のゴジラとは似ても似つかぬ姿をした怪獣であり、世界中の多くのゴジラファンを失望させることとなった(そのためか、制作の背景を含めれば通算3作においてハリウッド版ゴジラに関連した演出や言及があった)。

正真正銘の日本版ゴジラが見たいという気運は最高潮に達し、東宝は遂に、1999年にゴジラの新作を公開することを発表、ここに新生ゴジラを主役としたミレニアムシリーズ(またの名を「新世紀シリーズ」)がスタートする事となった。


本シリーズは、昭和シリーズVSシリーズとその続編である平成モスラとは異なり、作品の一つ一つの世界観がつながっておらず、『ゴジラ×メカゴジラ』、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』以外は完全な一本完結型となっている。ただ、ゴジラが恐怖の象徴であり、基本的に人類とは敵対する関係にあるという点はVSシリーズから受け継がれており、どの作品にも共通して見られる。


興行不振とその要因編集

ファンからは大いに期待されていたミレニアムシリーズだが、残念ながら興行的には、初作の『ゴジラ2000ミレニアム(観客動員数200万人、興行収入16億5000万円)』と、このシリーズ最大の大ヒット作、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(監督:金子修介)(観客動員数240万人、興行収入27億円)』を除いて、それほど成功したとは言い難い結果に終わった。特に『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』は観客動員数が歴代ワースト3位(当時)の110万人と大コケしてしまい、これが決定打となって、ゴジラシリーズは、僅か5年で、再び終了する事が決定してしまう事となった(ただし、東京SOS自体はミレニアムシリーズのゴールが意識された作品でもある)。


思うようにヒットしなかった背景には、以下のような要因が考えられる。


1.テレビ特撮の増加編集

2000年代は所謂イケメンヒーローブームの真っ盛りであり、怪獣ものならお茶の間で平成ウルトラマンが毎週見れた。さらに時代は怪人に追い風が吹いており、東映平成仮面ライダーシリーズスーパー戦隊シリーズに至っては、ゴジラと同様、毎年コンスタントに劇場版を公開する等、ライバルが増えたことも観客動員数が減った原因となったことは間違いない。


2.時代の変化編集

終戦から50年以上が経過したことで、初代ゴジラのような戦争のメタファー的なものがウケなくなっていた。このため、ゴジラに社会問題を絡めて描写することが一層難しくなり、本来の魅力や恐ろしさを十分に引き出せなくなってしまった(もっとも、こうした傾向は昭和シリーズの中期以降からもあったのだが)。

一応、当時の東海村JCO臨界事故の直喩を盛り込んだりもしているが、東京に影響がなかったため福島第一原発事故のような広範囲の問題とはなっていなかった。


3.子供向けアニメとの併映編集

ゴジハム

2001年公開の『大怪獣総攻撃』から、子供向けアニメである『とっとこハム太郎(監督:出崎統)』の劇場版との併映を3年間行った(「巨大な怪獣ゴジラと、小さなハム太郎のカップリングならなかなか面白いのではないか」とのこと)。アニメ作品との併映自体は昭和シリーズでも行われていたが、今回は内容的に明らかにミスマッチすぎたのではないかという見方が多い。興行不振対策も狙いとしてあったことから東宝側としては、児童層にもゴジラを普及させたいという狙いがあったのだろうが、『ハム太郎』を目当てにやってきたちびっ子たちは、暴れまくるゴジラの姿に泣きじゃくってトラウマを植え付けられ(特にGMK)、逆にゴジラを目当てにやってきた大人たちは「ハム太郎なんてどうでもいいからさっさとゴジラを見させろ!」とじれったい気持ちになったであろうことは想像に難くない。


また、昭和期から平成初期までは単館基軸のロードショー映画館が全国的に基本的な映画館の興行システムであった。しかし、ミレニアムシリーズの展開と正に時を同じくして、全国的に爆発的にシネマコンプレックスが普及(2002年を境にシネコンと単館映画館のスクリーン総数の差が逆転する)、代わって都心を中心としたロードショー館は老朽化もあり閉館が進んだ(都心にシネコンが進出するのは主に2000年代後半から)。

それに伴って、特に郊外・小規模の映画館に多かった「自由席、入場券1枚で出入り自由、立ち見あり」の興行システムも廃れ、「指定席、開始前着座、最初から最後まで視聴が基本、1本1料金」という興行システムが主流になった。このことは、併映を基本とした子供映画の興行方式を根本から覆す(要は、見たい奴だけ見て後は帰るということが出来なくなってしまった)こととなり、特に無関係作品の併映そのものが時代遅れになる頃であった。


4.怪獣やモンスターに対する子どもたちの意識変化編集

現代ではモンスターに対する子どもたちの見方もかなり変化してきており、ポケモンデジモン等のように、「自分のパートナーとして一緒に敵と戦う」という内容の方が人気が高い傾向にある(親戚筋ともいえるウルトラシリーズでも、仲間にした怪獣を使ってバトルを行う『大怪獣バトル』なるものが登場しており、後にTVシリーズ化された)。対して、ゴジラは人類と共闘することはあるものの、完全に味方としてのポジションではなく、どちらかといえば「相互理解が不可能な怪物」といった描かれ方をされることが多い("共闘"という描写に関しても、「共通の敵がいた場合に結果的にゴジラに救われた」と言った方が正しい)。

このように、怪獣やモンスターに対する捉え方が大きく変わってしまったことも、子供たちがゴジラに親しみが持てなかった要因として挙げられるだろう。


5.繋がらない世界観編集

昭和シリーズのいくつかの作品やVSシリーズの全ての作品は、時間軸・世界観に繋がりがあり、それぞれの作品の結末ごとに、「次はどんな展開になるのかな?」と、期待する者もいたという。だが、このシリーズでは、『ゴジラ×メカゴジラ』と『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』以外は、世界観が全く繋がっておらず、1つの作品の結末と次回作の最初の展開が違うため、次の作品に期待を持てなくなったものが、多くなったようである。


6.国産シリーズの復活が早すぎた編集

トライスター版が不評だったとはいえ、僅か2年、『ゴジラVSデストロイア』も含めれば4年でのシリーズ復活は早すぎたのではないかという意見もある。

そもそも1995年の『VSデストロイア』、1996~1998年の『平成モスラシリーズ』、1999年の『ゴジラ2000』と実は東宝特撮映画は毎年連続して作られていて、復活というほどの休止期間はなかったともいえる。

川北紘一監督は自伝で「モスラ2の後頃からゴジラ復活は言われていたが、まだ三年しかたっていないのにと思った」「(感想は失礼だと前置きしつつ)会社として方針を練りきらず試行錯誤のまま終わってしまったように思う」とこの点を述べている。


7.同じような怪獣が出てしまった編集

ミレニアムシリーズ6本の映画のうち、ゲスト怪獣にモスラが3回、メカゴジラが2回登場し、キングギドラカイザーギドラを「ギドラ系」とみるとこれも属性が被っている。実際「怪獣の知名度」という問題はあった(「GMK」には当初カマキラスアンギラスバランなどが候補に挙がっていたが「無名」「地味」として却下された)のだが、マンネリ化したところはあった。

なお川北紘一監督は『ゴジラVSスペースゴジラ』にてメカゴジラを続投させる案が挙がった際に却下している。


結論編集

様々な要因を解説したが、やはり、3と5が、客足が遠のいた最大の要因ではないかという見方が強い。

幾分年数が経過していたとはいえ、当時はまだ90年代の『平成シリーズ』の印象が根強く、何かとあちらと比較されてしまいがちであったことも、思うように人気が伸びなかった要因と考えられる。


その後編集

2004年公開の『ファイナルウォーズ』で再度製作を打ち切ったゴジラシリーズだが、完全に製作を終了したわけではなく、あくまで休止という意味合いである模様。実際、『ファイナルウォーズ』のラストシーンでも今後のシリーズ復活を示唆するような台詞があったため、製作側も遅かれ早かれゴジラシリーズを再始動させるつもりであったことは間違いない。


ただ、撮影終了後に東宝はこれまでゴジラ映画などの海上シーンで使用されていた大プールを解体・撤去しており、ゴジラシリーズをはじめとする東宝特撮が1つの大きな節目を迎えたことは疑いようがないと言える。


シリーズ再始動編集

一時期先端映像研究所による3D映画としてのの企画が持ち上がったが、その後責任者である坂野義光氏がハリウッドに渡ってそこでの3D映画のプロジェクトに加わり、やがてこの企画から発展して制作されたレジェンダリー版『GODZILLA』が2014年に公開されると本作は世界的なヒットを記録し、ゴジラの知名度がいまだに健在であることを証明した。


東宝もこれと並行する形で海外におけるゴジラの商品化権をすべて買い戻すと同時に、自社映画の海外展開および配給を担当する子会社「TOHO Grobal」を設立。さらに、北米でも定期的にゴジラに関するイベントを開催するなどして、地道に北米を中心とした海外市場の足掛かりを築いていった(これが後に『ゴジラ-1.0』の北米での大ヒットに繋がることになる)。

さらに、キャラクターコンテンツとしてのゴジラをどう展開するかの重要な意思決定機関である「ゴジラ戦略会議(GODZILLA CONFERENCE 通称:ゴジコン)」を発足した。


2014年12月8日、東宝はおよそ10年の沈黙を破り、再びゴジラシリーズを始動することを発表


それから2016年に公開された『シン・ゴジラ』を皮切りに、日本でも新たなゴジラ作品の制作と展開が再び始まるようになり、さらに海外でもゴジラを中心とした独自の怪獣映画のシリーズが作り続けられるようになるなど、その強大な存在感を再びスクリーンにもたらしつつある。


作品編集


同時期に発売されたビデオゲーム編集

  • ゴジラ怪獣大乱闘
  • 『ゴジラ怪獣大乱闘アドバンス』
  • 『ゴジラ怪獣大乱闘 地球最終決戦』
  • 『ゴジラアンリーシュド』

関連項目編集

東宝 怪獣映画 東宝特撮 東宝怪獣

ゴジラシリーズ 昭和ゴジラ 平成ゴジラ 令和ゴジラ GODZILLA

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