概要
愛称は「友幸(ユウコウ)さん」。
1910年4月24日、大阪府の柏原市で生まれる。
大阪協同劇団での演劇活動を経て1940年に東宝に入社。その後、1947年の東宝争議に伴い退社を余儀なくされるも、1952年に復社、プロデューサーとして活躍するようになる。
1954年、アメリカの核実験から着想を得て、「G作品企画」(Gはジャイアントから)を発案。そして紆余曲折ありつつもその映画はゴジラとして世に出ることとなった。
ゴジラの成功の後、東宝の特撮映画のプロデュースはすべて田中が引き受けることとなる。
また、黒澤明や岡本喜八の映画もプロデュースした。
人物
よく強面なイメージで語られるが、実際は柔和で温厚な人物であったらしい。試写でまずいところがあると隣席の監督をつねってくる、メカゴジラの案をすぐに採用するなどお茶目な一面もあったという。
田中とゴジラ
ゴジラの生みの親の一人で、彼はゴジラを誰よりも愛していたという。
ゴジラの名前も田中が東宝の社員のあだ名(ゴリラのような風貌でクジラが好物のグジラ)からヒントを得て考え出したものである。
ファンからゴジラに関する質問が出た時(「何故日本を襲うんですか?」等)には「それはわからないんだよ。」と返していたという。
ゴジラ復活の時には、様々な小説家に脚本を依頼し、ゴジラVSデストロイアでゴジラが死ぬという案が挙がった時には猛反対したという。
最終的にゴジラはまた復活するという形で「ゴジラ、死す」を認めたが、田中は新時代のゴジラを目にする前に、1997年4月2日、86歳でこの世を去った。
生前最後に関わった作品は、モスラ2海底の大決戦だった。
関連タグ
東宝 特撮映画 怪獣
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