鶴田浩二
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つるたこうじ
日本の俳優、歌手。昭和を代表する映画俳優の一人。
昭和を代表する歌手、俳優。戦争映画や任侠映画への出演の傍ら、歌手としても多くのヒットを残した。マイクを白いハンカチで包んで歌うのが特徴。
学徒出陣で出征し終戦まで海軍航空隊で過ごす。このことから「特攻崩れ」と称されることもあったが実際の所属は大井海軍航空隊整備科、つまり整備士だった。しかしそれはすなわち死地に赴く特攻隊員を見送る立場であり、特攻隊を題材にした作品では本物の特攻隊員のような熱演を見せた。
また映画出演やレコード発売などで多額の財をなし、その財を硫黄島の遺骨収集支援に使ったことでも知られる。
東映の任侠映画スターとして知られるが昭和30年代前半の一時期は東宝に在籍していた。東宝時代には親交のあった福田純が助監督から監督に昇進するにあたり自ら申し出て『恐るべき火遊び』にゲスト出演、その後『電送人間』にも出演した。さらに『空の大怪獣ラドン』の撮影中に負傷した佐原健二を気遣い、東宝演技課に怒鳴り込んだこともある。
とはいえいつでも専属マネージャーや取り巻きを引き連れるスター気質は東宝の社風に合わず、岡田茂の提案で東映に移籍することとなった。
1963年に任侠映画『人生劇場 飛車角』で大ヒット。映画が斜陽期に入りつつある中で高倉健と共に東映の任侠映画ブームを支えた。
1987年6月16日、肺癌の為慶應義塾大学病院で死去。享年62歳。
三女は女優の鶴田さやか。
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