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概要編集

1932年5月14日、聖マリアンナ医科大学理事の息子として神奈川県川崎市に生まれる。本名は加藤正好


中央大学法学部卒業後、1953年「ミスター平凡コンテスト」で準ミスター平凡に選出されたのをきっかけに、東宝ニューフェイス第六期生として東宝演技研究所に入学。

研究所卒業後、東宝と専属契約し1954年『さらばラバウル』で石原忠名義で映画デビュー。1956年の『殉愛』から当時の名優佐野周二から息の長い俳優にしたいと佐と二の名前を貰い、東宝の藤本真澄によって佐原健二と名付けられる。


同年公開された『空の大怪獣ラドン』で東宝特撮映画の主役に抜擢され、『地球防衛軍』『美女と液体人間』でも主演。それ以降、善玉・悪玉を問わず多くの東宝特撮映画に出演した。

共演することの多かった平田昭彦とは親友の間柄で、1984年に平田が亡くなるまで親交は続いていた。

また『ラドン』出演以降関わることの多くなった監督の本多猪四郎からは、「ホンダイズム」と呼ばれるリアリティある演技指導、特技監督円谷英二からは特撮に関するすべてを叩き込んでもらい、二人を恩師として深い尊敬の意を表しているほか、本多や円谷からも「ケン坊」「ケンちゃん」と呼ばれて可愛がられていた。


数多くの東宝特撮映画に出演、主演している事から「ミスター東宝特撮」の異名も持つが、一方で東宝のもう一つの看板シリーズであるサラリーマン映画にも出演する事が多かった。


日米合作の『勇者のみ』撮影中の1964年に本多、円谷からロケ地であるハワイのカウアイ島で円谷プロダクション第1回作品の出演依頼を受け、『ウルトラQ』の万城目淳役で主演する。

その後は東宝との契約の為一度活躍の場を映画に戻したが、円谷の長男円谷一に依頼され、『ウルトラセブン』に出演。それ以後も平成ゴジラシリーズや『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンメビウス』で長官、参謀役を演じ特撮に欠かせない俳優となっていった。


1976年に東宝を退社。『西部警察』や『スクールウォーズ』といった人気ドラマに出演したほか、2004年から2007年までは円谷プロダクションの芸能部に所属していた。


現在は映画、テレビの他トークショーにも積極的に参加し、ファンの要望で「ゴジラ」「東宝特撮」「ウルトラマン」の三つのカテゴリーを使い分け、当時の制作秘話を語っている。


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