人類に打つ手はない
Size Does Matter.
概要
日本のゴジラシリーズのハリウッドリメイク作品。トライスター制作。
監督は『インデペンデンス・デイ』や『スターゲイト』などで大迫力のSFアクションを描いた、ローランド・エメリッヒが務めた。
1998年5月20日米国で公開、1998年7月11日に日本公開。上映時間139分。
本来は当時のゴジラシリーズの最終作になるはずだった『vsメカゴジラ』の後に公開される予定だったが、ヤン・デ・ボン版が東宝との合意に至らずにお蔵入りしたことや契約上のトラブルによる製作の遅れにより、さらに2年後の『vsデストロイア』にて国産シリーズが改めて終了した後に公開された。
ストーリー
南太平洋上で日本の漁船が沈没した。唯一生還した日本の老人は謎の保険会社派遣員のフィリップに「ゴジラ」という謎の言葉を呟くばかりで沈没原因は不明だった。
一方、チェルノブイリで放射能による生物の突然変異の研究をしていた学者のニックは米国政府の要請で、とある調査チームに参加させられる。
何か巨大な生物が船を沈めながらニューヨークへと向かっているというのだった。
誰もが怪物の正体をつかみきれないまま、とうとう巨大生物がニューヨークに出現し、街は大混乱に。
フィリップ、ニック、その元恋人でジャーナリストのオードリー、そして米軍は巨大生物の恐るべき力に翻弄されながらも何とかその謎を解き、倒そうと奔走する。
登場怪獣
- ゴジラ
- ベビーゴジラ
キャスト
キャラクター名 | 演者 | 吹き替え(劇場公開・ソフト版 / TV版) |
---|---|---|
ニック・タトプロス | マシュー・ブロデリック | 森川智之 / 高木渉 |
オードリー・ティモンズ | マリア・ピティロ | 勝生真沙子 / 深見梨加 |
ビクター・パロッティ | ハンク・アザリア | 堀内賢雄 / 同じ |
フィリップ・ローシェ | ジャン・レノ | 菅生隆之 / 銀河万丈 |
アレキサンダー・ヒックス | ケヴィン・ダン | 小山武宏 / 谷口節 |
オリバー・オニール | ダグ・サヴァント | 梅津秀行 / 内田直哉 |
エルシー・チャップマン | ヴィッキー・ルイス | 野沢由香里 / 小山茉美 |
ルーシー・パロッティ | アラベラ・フィールド | 松本梨香 / 雨蘭咲木子 |
チャールズ・ケイマン | ハリー・シアラー | 牛山茂 / 野島昭生 |
エバート市長 | マイケル・ラーナー | 青野武 / 石田太郎 |
メンデル・クレイブン | マルコム・ダネア | 福田信昭 / 塩屋浩三 |
カトウ | 加藤雅也 | 同じ / 同じ |
※『ゴジラ・ザ・シリーズ』に続投したキャラクターの吹き替えは、当該項目を参照。
評価
当時、『ジュラシック・パーク』などの公開により、CGを用いた新世代のVFXが世界に衝撃を与えていた。そんな中でのハリウッド版ゴジラ製作発表当初は当然大いに期待されたが、94年公開のはずが4年もずれ込むなど、製作のトラブルが目立った。
- 1994年公開予定の企画は、ヤン・デ・ボンたちによる通称デルガドザウルスというものであったが、ヤン・デ・ボンが大規模なミニチュア撮影に拘って製作費が跳ね上がったり、東宝怪獣(モスラ・ラドン・キングギドラ)の使用料について東宝との合意が得られず(このことが、グリフィンの構想や『ゴジラ・ザ・シリーズ』で東宝怪獣の登場が叶わなかったことに関係しているという説がある)、結局はお流れになってしまった。その後釜として、エメリッヒチームが起用された。
公開後の評価については、主に最期の描写をめぐり賛否両論となり、中島春雄ら東宝ゴジラ関係者はこの映画に関して概ね否定的な感想を述べた。
とはいえ、映像作品としての完成度は高く、エメリッヒの迫力満点の演出手腕は今作でも遺憾なく発揮されており、モンスターパニック映画として、特に『原子怪獣現わる』のリメイクとして見ればかなり面白いとの評価は得られている。
配給収入(当時でいう「興行収入」)も、大コケしたという話を持ち出す人もいるがそれは事実ではなく、日本国内だけで30億円(現在でいう51億)、全世界合計で約400億円(当時のゴジラ映画歴代最高興収)となり、1998年内の米国内興行収入において9位、世界全体興行収入では3位の作品であり(参照)、一応は興行的に成功を収めている。しかも、これは中華人民共和国などの各国の市場規模が現在よりも大幅に小さい状態であったことも考慮するべきだと海外でも指摘されている。
また、日本では360万人の動員記録を残し、日米の動員数も海外のゴジラ関係の作品では『髑髏島の巨神』に次ぐ成績となっている。更にインフレーションを考慮すると歴代のゴジラ作品でも最上位クラスの興行成績であると各所で指摘されている(①)(②)(③)(④)(⑤)。
しかしその一方で作品自体はその年の「ゴールデンラズベリー賞」(ラジー賞)の最低リメイク賞にまで選ばれる結果となり、遂には『GINO【ジーノ】:Godzilla Is Name Only』≒「ゴジラとは名ばかりのパチモン(意訳)」という不名誉なあだ名を頂戴することとなってしまった。
- とは言っても、本作品に否定的な発言をしてきた監督たちの怪獣/モンスター映画もラジー賞にノミネートされている。
- ラジー賞の「権威」そのものは海外でも決して高い物ではなく、一種のネタとして扱われる部分が大きい。海外のコミュニティーでも、ラジー賞「だから」という理由でエメゴジを揶揄する声はかなり少なく、批判の大部分はゴジラのキャラクターへのものだった。
このほかに、SF・ファンタジー・ホラー作品を評価する「サターン賞」に何故かファンタジー部門でノミネートされたことがある(実際の受賞作は『トゥルーマン・ショー』)。
近年は再評価が世界中でされており(Google の検索予測にも「underrated」や「good」や「the best」などが並んでいる)、当時はこの作品を酷評したAVGNですら「認めたくはないが、特撮面に関しては素晴らしいし、ストーリーの娯楽性でも2014年の作品を上回る」と発言している。又、公開当時もゴジラのキャラクターへの批判が大多数であり、映画のクオリティー自体を否定する声はそこまで多くなかった。『ゴジラ-1.0』を監督した山崎貴も(「これが『ゴジラ』として受け入れられないことは理解できる」と発言してはいる上で)好意的に評価しており、ガイガン山崎の様な国内外の評論家にも再評価をする声が散見される様になった(①)(②)。また、後述の通りに山崎監督は本作にまつわる誤情報(デマ)の一つを別のインタビューにて訂正している。
また、ファンからの酷評と玩具の売り上げゆえにお蔵入りしてしまった続編の構想は(本作に否定的である人間もふくめて)数多くの国内外の怪獣ファンから高評価を受けており、この実写三部作が実現しなかったことを悔やむ声も多く見られる一方で、この三部作の製作中止は後に多くのファンを獲得することになるアニメシリーズ『ゴジラ・ザ・シリーズ』の制作に帰結した。
- 本作の続編の構想は「今作の評価をフォローするため」ではなく当初から存在していた。トライスター社が2003年まで権利を有していたのも「5年内に続編を製作する」という契約があったためである。エメリッヒ自身も続編の製作に乗り気だったとされている(参照)。
また、 「被害者としてのゴジラ」に焦点を当てている、「核を正当化することもないし、武器としての使用を検討するシーンすらない」、白熱光の企画段階の構想に近い原理のパワーブレス、当時の恐竜の知見に基づいた体型をしている、漁船を襲ったり足跡や歩く振動など初代を意識した描写がある、生物学者が主人公である、ゴジラが大波を起こして橋(桟橋)を破壊するシーンがある、映画のクライマックスにゴジラの同族が出現することを示唆するシーンが挿入されている、など第一作目の『ゴジラ』を思わせるシーンが散見され、「初代に現代風の異なるアプローチと解釈をしている」とも捉えられる描写もある。本作やエメゴジを嘲謔する鉄板のネタである「マグロ」に関しても、本家のゴジラ自体も田中友幸の書籍にて(昭和版の)主な食料源として鯨類や大型の魚類が明確に挙げられている。「呉爾羅」の伝承においても、大戸島周辺の海洋生物とくに魚類を食料源としていることが明記されている。なお、ゴジラとの関係性が少なくない「第五福竜丸」も「原爆マグロ」事件などの騒動を経ているが、2014年版では第五福竜丸の英名である「ラッキードラゴン」はゴジラを倒すために核兵器を使用する作戦の名称として使われており、「核兵器」に対する日米の根本的な考えの違いからも、かなりセンシティブなトピックである(参照)。
- この「日米間の核兵器への認識の違い」に関しては、山崎貴も『ゴジラ-1.0』に関するインタビューやイベントで幾度か触れており、『OPPENHEIMER』に関してもクリストファー・ノーランと対談を行っている。
- 本作が「フランスの核実験に責任転嫁している」という批判も散見されてきたが、フランスによる核実験は当時の社会情勢的にも注目度が高い事件であっただけでなく、本作がアメリカ合衆国の資本によるエンターテインメント作品である以上、「反核」とくに「米国の戦争責任」を真正面から描くことが政治的にも難しい状況であるのも事実である。
なお、「ゴジラが通常兵器で倒されたのは、米軍からの要求があった」という情報も見られるが、海外のコミュニティーとの情報共有が進んでいないため、これに関してはまだ憶測の域を出ない。しかし、『平成ガメラ』シリーズで戦闘機が墜落する描写がないのは、自衛隊からの要請があったということは判明しているので、エメゴジの描写に何らかの大人の事情があった可能性はゼロではない。
なお、本作の「南海の島に出自を持つ怪獣」「ニューヨークのビルに登る怪獣」「直接的な飛び道具を持たない怪獣」「(エンパイアステートビルの代用としての)クライスラービル」「特定の人間を追いかけた挙句に構造物の上で動けなくなった怪獣を人間が通常火器の連射で倒す」というのは、ゴジラにも大きく影響を与え、後述の『原子怪獣現わる』との関連性も強い『キングコング』にもどこか通じる部分があるのも事実である。
後作・他作品への影響
本来は三部作になる予定であり、続編の製作も示唆されていたが、上記の大不評に加えて玩具の売上が振るわなかったことなどが原因で没になり、本作の系譜はここで途絶えることとなった。ただし、続編の構想を活かして『ゴジラ・ザ・シリーズ』という本作の直系の続編となるアニメが製作されており、1998年から2000年にかけて放送された。
この映画の公開後、国内外で「正真正銘の日本のゴジラ作品が観たい」という気運が強まり、結果、1999年からミレニアムシリーズが製作されることになった。その第一作である『ゴジラ2000ミレニアム』におけるミレゴジの企画段階のデザインはエメゴジのデザインに大きく影響されており、とくに背びれと足の形状が顕著だった。ただし、映画製作の段階で実際にエメゴジのイメージが投影されたのは敵怪獣のオルガの方とされている。
また、『ゴジラVSデストロイア・パーフェクション』によると、エメゴジのデザインとゴジラジュニアの決定稿は、互いに良い意味で影響しあっていたらしく、ゴジラジュニアのデザイン段階ではデザインが交換されることもあったらしい。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』では、エメリッヒ版ゴジラが「前世紀末期ニューヨークを襲った正体不明の巨大生物」として言及される場面があり、そこでは「アメリカの科学者はゴジラだと主張しているが日本の科学者は否定している」という台詞が挿入されている。ただし、金子修介によるとあくまでも別であるとしているだけで決して貶しているわけではないとしている(参照)。
「ゴジラがヘリを追いかける」などの描写は、『怪獣大決戦:ヤンガリー』など後の作品でもオマージュされている。平成ガメラシリーズの制作陣も、「ゴジラがビルを突き破る」や「ゴジラが歩く振動で人間や自動車が跳ね上がる」などのシーンに影響を受けたとしている。
本作公開から10年以上経った2010年頃に再びアメリカでゴジラ映画が作られることになったのだが、その2014年版の監督を務めたギャレス・エドワーズ氏が撮影のためにカナダに入国した際、入国管理官にゴジラの撮影のために来たことを告げると「ぜったいに変なもんつくるんじゃないぞ!」と言われ、その後20分間に渡って入国管理官らとどうしたらより良いゴジラ映画を作れるかを真剣に語り合ったと話している。明言はしていないが入国管理官の述べた「変なもん」というのは十中八九本作を指しているとみて間違いないだろう。ギャレス監督は「エメリッヒは友人である」と述べているものの、このエピソードをインタビューにて持ち出したり他のエピソードでも1998年版を否定している。
『キング・オブ・モンスターズ』の監督であるマイケル・ドハティは本作を真正面から否定しており、『ファイナルウォーズ』を好む理由の一つとして「ジラ」を公開処刑したことを挙げている。一方で、『キング・オブ・モンスターズ』もラジー賞にノミネートされたり日米の興収が1998年版を超えられなかったのが皮肉的ではあるが。
『怪獣黙示録』では、ジラが出現したのはフランスであり、ジラの駆除に核兵器の使用が検討されるなど、ジラのキャラクター性だけでなくバックグランド的にもエメリッヒ版を意識した描写がされている。
上記の通り、『ゴジラ-1.0』を監督した山崎貴を本作を比較的プラスに捉えており、呉爾羅のデザインやシーンにはエメゴジの影響が見られると国内外で多数から指摘されている。
誤情報
以下は、おもに日本国内で散見されてきた論説だが、裏付けとなる情報に乏しいため、鵜吞みにするのは注意するべきである。エメゴジに限らず、国内外では外国初のキャラクターや作品に関する誤情報が跋扈することが度々みられてきたので、幅広くファクトチェックを推奨するべきである。
その1
- 本作や『マイティ・ジョー』が失敗したのでハリウッドが怪獣映画を敬遠する様になり、2005年の『キングコング』や『クローバーフィールド』の制作が先送りになったという話が一部の雑誌やネット上などで見られてきたが、事実ではない。
- 『キングコング』の企画が一度頓挫したのは1997年であり、この間にピーター・ジャクソンは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを優先させた。
- 『クローバーフィールド』が発足したのは、J・J・エイブラムスが2006年に『ミッション・インポッシブル III』のプレミアで来日した際にゴジラのフィギュアを見て触発されたことが出発点とされる。
その2
- ディーン・デヴリンの「『原子怪獣現わる』のリメイクを作るためにゴジラのネームバリューを利用した」という発言は、日本の『DVD&ブルーレイでーた』(現『DVD&動画配信でーた』)2013年8月号に掲載されているが、裏付けとなる情報がまったく確認されていない。
- この発言はそもそも海外のゴジラファンにはまったく知られていない。実際のところはその内容にガッカリした国内外のファンから皮肉で言われることはあっても製作側の人間が発したという明確なソースはない。
- ゴジラの熱狂的なファンが多い海外では、エメゴジへの風当たりは日本よりも強いため、この発言が実在するのならば、エメゴジへの批判材料として大きく取り上げられているはずである。実際にとあるアメリカ人のゴジラファンもこれを否定おり、本作に関するデマが真実であるかのように振る舞うことを好む人もいるとコメントしている(参照)。
- 前身となったヤン・デ・ボンによるバージョンは1994年の公開を目指しており、エメリッヒやデヴリン等はヤン・デ・ボンたちが降板してから起用されたこと、ヤン・デ・ボン時代のゴジラは東宝版に近い見た目であった、などの判断材料から、デヴリンの「『原子怪獣現わる』のリメイクを作りたかった」という発言と矛盾している。
- この「デヴリンの発言」を載せた『DVD&ブルーレイでーた』もとある作品の解説では、何一つソースがないのにもかかわらず某有名キャラクターの能力を捏造しているなどの「前科」がある。デタラメだったりミスリードする洋画の誤情報は、日本の映画雑誌には散見されてきた。
- 『原子怪獣』云々の話はゴジラファンでもあるAVGNことジェームズ・ロルフ氏が今作に関する批判として発しており、件の雑誌が発売されたのはロルフ氏の動画公開の数か月後だったため、これを誤訳したという説も出ている。なお、「間の抜けた『原子怪獣現わる』のリメイクのようだ」と言う旨のコメント自体は、米カンザス大学の教授であるゴジラファンのウィリアム・M・ツツイ氏の著作『ゴジラとアメリカの50年』内でも確認できるため、米国のファンでは同じ印象を抱く者がそれなりにいたようである。
- 20周年となる2018年にアメリカのメディア取材に応じたデヴリンのインタビュー(主な内容は作品への反省)にてデヴリンは自身をゴジラの大ファンだと公言しており、「ゴジラの大ファンの自分と、そもそもやりたくないのにやらされていたエメリッヒとの情熱のズレが作品に大きく影響をしてしまった」など、近年は本作の公開記念日にあわせて何度か「反省」や「後悔」を公式に発言している(①)(②)。
- デヴリンの「反省」についても賛否両論ある。というのも、デヴリンをここまで追い込んだ界隈への疑問や(デヴリンはPTSDを発症したとされている)、この作品を愛するファンがいる以上はデヴリンがこのような発言をするべきではなかった、などの意見が国内外のネット上で散見される。
- エメリッヒにやる気がなかったことは事実らしく、『ゴジラ 1954-1999 超全集』でも「当初は乗り気じゃなかったが、デヴリン達による大幅にデザインが変更されたゴジラのデザイン画を見て初めてやる気を見せた」と書かれている。
- 『エンパイア』のインタビューなどでは、「本当はやりたくなかった」「ゴジラの背びれの数などが指定されたり、人を食べる描写が許されなかったりなどの制約でやる気を削がれた」「もともとゴジラにそれほど思い入れがないうえ東宝からゴジラの取り扱いに関してびっしりと文字が書かれた75ページにも及ぶ注意書きを送りつけられた」「クビにされる様にワザと突拍子もないデザインとプロットを提出したら東宝に受諾されてしまった」などと発言していたり、当時はエメリッヒ自身がやりたかった隕石を題材としたディザスタームービーの企画がゴジラに関わるように誘導されていたために保留になり、その間に『アルマゲドン』に先を越されてしまった、とも発言しているとされる(参照)。
- このうち、「75ページにも及ぶ注意書きを送り付けられた」「ゴジラに関して思い入れがない」というのはおおむね事実であるが、「没にするために提出した」というソースもは確認されていない。まず受け入れらないであろうと思っていたのはストーリーではなくデザインであり、そもそもエメゴジのデザイナーはエメリッヒではなくパトリック・タトポロスという全然違う人物によるもので、上記のデヴリンのインタビューでも「エメリッヒは情熱をもってストーリーを作っていたし、映画への情熱はあった」と語っているので、「映画作りには真剣だったがファンには受け入れられなかった」と考えるのが妥当と思われる。
- また、エメリッヒはお蔵入りしてしまった続編にも他の多くの関係者よりもやる気を見せていたとされている。
- この発言はそもそも海外のゴジラファンにはまったく知られていない。実際のところはその内容にガッカリした国内外のファンから皮肉で言われることはあっても製作側の人間が発したという明確なソースはない。
その3
- エメゴジが「ミサイル6発で倒された」という意見が国内外問わずに数多くみられたが、実際は「対艦ミサイルを12発」である。しかも、ハドソン川での戦闘では、失神したかの様な描写があったが、実際は魚雷2発を耐えており、その後傷跡などの描写は見られない。(とはいえ、数の問題ではなくそもそも『それで倒れた』という部分が問題とされているが)
その4
- ベビーゴジラが人間を食べていたという説は間違いである。小説版によると、ベビーが人間を襲ったのは魚の匂いが付いていたからであり、実際に人間を食べて栄養にしている描写はない。「ゴジラによる人間の捕食」という表現自体が、エメリッヒが東宝側に申請して却下されて「モチベーションが削がれた」理由の一つに挙げており、そもそも許可されていなかった。
その5
- 本作のゴジラは全てCGというわけではなく、実際は着ぐるみやギニョールや大規模なアニマトロニクスが意外な程に多く使われており、大がかりなミニチュアと併せてAVGNが本作品を(渋々ながらも)再評価している理由の一つになっている。
その6
- 海外では、本作のせいでゴジラシリーズ自体が凋落したという噂が長年広く信じられてきたが、『ゴジラ-1.0』を監督した山崎貴はこれを否定しており、1998年の公開時点ではすでにゴジラというコンテンツ自体の人気が落ちていたために、たった一つの作品(本作)の責任でどうこうなる問題ではないとコメントしている(①)(②)。
その7
- ローランド・エメリッヒが日本文化を嫌いであるために、ゴジラの評判を落とそうとあえて本作をこの様に製作したという噂が海外で拡散されて批判の材料にされたが、これもとあるYoutubeの動画がジョークとしてネタにしたことが拡散されたためだとしている(参照)。
- 「ローランド・エメリッヒが日本文化を嫌っている」という情報自体も特にソースがない。
余談
- 小説はソニー・マガジン版と集英社版の2タイプがあり、ソニー・マガジン版は資料性があるが、ニックとオードリーのキャラクター性がより優れており、ゴジラにも同情的なのは集英社版だとされる(参照)。
- 公開当時はこのような宣伝もあった。
- 日本では金曜ロードショーで2001年と2004年の2回放送されている。午後のロードショーや専門チャンネル等含めれば回数はそれよりも増える。
- ミニチュア特撮を担当したジョセフ・ビスコーシル氏は『ウルトラマンパワード』で特殊効果を担当していた人物。今作のソフト版吹替は東北新社が製作している為、『パワード』の日本語吹き替えで参加していた声優が多数登板している。
- ミスタードーナツとのタイアップが行われており、国内ではゴジラから逃げる人を所ジョージが店舗に誘導するというコラボCMが放映された。作中でもミスドのドーナッツが登場する。
- エメリッヒの代表作である『インデペンデンス・デイ』の続編の『リサージェンス』は、「(エメゴジのためにお流れになった)隕石映画を意識した UFO の描写がされている」「エイリアンクイーンの描写がエメゴジと似ている」などが指摘されており、また、「副題が『シン・ゴジラ』の英語版の題名と同じ」という奇妙な偶然もある。
- アメリカのアニメ『サウスパーク』でハリウッド映画が引き合いに出された際、主人公達が「ハリウッド?あのバカみたいなゴジラ映画作ってるとこ?」と言い放つシーンがある。ちなみに『サウスパーク』の作者は大の日本文化好きで、ゴジラやモスラなど日本の怪獣特撮映画をパロディした回を制作した事もある。
- 日本の小説『ブレイブ・ストーリー』で主人公が叔父とこの映画を見た時に「あんなのはゴジラじゃない」「俺の知ってるゴジラはあんなでかいトカゲじゃない」と言っていたと回想する場面がある。その叔父の異世界における人物がでかいトカゲの怪人なのは皮肉である。
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