概要
1953年2月28日、当時の衆議院予算委員会において当時の吉田茂総理大臣と社会党右派の西村栄一の質疑応答中に、吉田首相が「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなり、衆議院解散となった事件。
よく、古い歴史漫画とかでは吉田首相が「バカヤロー!」と叫んだといわれることがあるがこれは誤りであり、実際は「馬鹿野郎」とと小声で言ったのをマイクがたまたま拾ってしまったというのが真相である。
遠因となったのは通産大臣の池田勇人であり、「中小企業の一部倒産もやむを得ない」「所得の多い人は米を、所得の少ない方は麦を食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」など、度重なる問題発言を行い、野党から通産大臣不信任決議案を提出され可決。窮地に追い込まれた吉田が、衆議院予算委員会における執拗な質問にバカヤローと連発したものである。
この発言に対し西村議員は「何が馬鹿野郎だ。馬鹿野郎とは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて馬鹿野郎とは何事だ」と激怒。吉田首相は発言を訂正し、西村議員も了承したもののこの失言を議会軽視の表れとした社会党右派は「議員としての懲罰事犯」に該当するとして懲罰委員会に付託するための動議を提出。結果吉田内閣の解散へとつながった。