背景
前年の1992年に発覚した東京佐川急便事件によって政治不信が進んだことで政治改革への期待が高まっていた。
その為、1993年5月31日に宮澤喜一首相は田原総一朗からインタビューを受けた特別テレビ番組『総理と語る』で、「(今国会中に衆議院の選挙制度改革を)やります。やるんです」と公約していた。
しかし、宮澤首相は自民党内の主流派と、(政治改革を求める)非主流の羽田派の意見をまとめきれず、結局政治改革関連法案は廃案となり先送りに。
これに反発した野党により1993年6月18日に内閣不信任案を提出されると、羽田派も自民党を造反する形でこれに賛成し、内閣不信任案は決議された。
こうして宮澤首相は(内閣不信任決議を受けての衆議院解散なので本来は69条のハズだが)日本国憲法第7条により衆議院を解散。「第40回衆議院議員総選挙」となった。
結果としては自民党は過半数割れの大敗。(野党第一党の日本社会党も64議席減)
逆に新生党や新党さきがけなどが躍進し、非自民・共産の8会派による連立政権へ政権交代を果たし、ここに55年体制は崩壊した。