概要
メイン画像の人物『平賀源内』が復元したとされている摩擦起電器の事。静電気の発生装置。
なお、源内は『エレキテルの発明者』とも言われていた時期もあるが、現在は復元したの方が有力だろう。元々は壊れた起電器を長崎で入手したものを修理したとされている。
このエレキテルの原理や理論自体を源内はよくわかってないまま修理したらしい。
利用としては静電気でビビビとくるのを体感できる変わった機械という印象が強く、今でいうアトラクションにあたる見世物的な利用が殆どであり医療目的にも使われたらしいが医療機器としては定着しなかった。
のちに備中(備中松山)の松原右仲(前野良沢の弟子)や、阿波出身の医師である橋本宗吉(橋本鄭。大槻玄沢の弟子)が源内とは無関係な別のルートでエレキテルを入手して復元させ複数の電気実験を行っていた事が知られている(橋本のエレキテル復元は松原のエレキテル技術の延長線上にあり、源内と異なり成果が継承されている)。
特に橋本は、かのベンジャミン・フランクリンのごとく「十九間(約40m)の松の木を用いた『天の火を取る』試み」などを行っており、こうした各種の実験の結果を本にまとめて出版しようとしたが寛政の改革の前に頓挫した。
また幕末には佐久間象山が同様の(というか、より治療に特化した改良型の)エレキテルを復元改良して世に出している。
だが結局は日本においてこれらのエレキテルから電気の応用として発展する事はなく、さらに後世(明治時代の"お雇い外国人"による機械輸入と技術導入を発端とする「東京電燈」の設立)まで待たねばならなかった。
なお、エレキテルは2024年「日本に最初期の『電気』の概念をもたらしたもの」として、IEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers:米国電気電子学会)によって歴史的業績として認定されている(日本最初の復元者である源内の業績として扱われる事もあるが、基本的には「エレキテル」という「物品」に認定された業績であるため「源内のみならず松原・橋本・佐久間らエレキテルに関わった者全員に与えられるべき栄誉」なので、そこを混同しないよう注意を要する)。