概要
面積は546.99km²、人口28,469人(2021年末)。
明治初年までは松山(備中松山藩)と称した。もと板倉氏の城下町。
幕末の戊辰戦争~五稜郭の戦いにおいて、藩主・板倉勝静が徳川幕府老中主座の立場にいたため幕府軍側についてしまったため明治維新において朝敵とみなされ新政府軍の誅罰対象とされた。
事態は山田方谷の尽力による勝静の隠居で事を収めたが、結局は明治維新以降も遺恨が尾を引き廃藩置県以降は「松山市(愛媛県)と重複する」事を理由に「松山」を名乗ることを明治政府から禁じられ、町人街であった「高梁」を名乗るように定められた。
1954年に市制施行。
名所
備中松山城を擁する臥牛山一帯は高梁川上流県立自然公園に属する。
一方で臥牛山の山麓には私立校の吉備国際大学があるため、若年層もそれなりにいる。
また吉備国際大学が管理をしている擬洋風建築物である「順正寮」(順正記念館)は、岡山県域最初の女学校校舎である。
順正寮の西にある伯備線・紺屋町踏切から西に伸びるのが「日本の道100選」のひとつに数えられる桜の名所紺屋川美観地区。備中松山城外堀跡である紺屋川沿いに高梁基督教会堂や藩校有終館跡などの歴史的史跡が並ぶ。
また同じく紺屋町踏切から北に伸びるのが頼久寺通り。小堀遠州による枯山水庭園で知られる頼久寺がある。さらに頼久寺通りを北に抜けると武家屋敷通りがあり、この通り沿いには複数の武家屋敷が保存公開されている石火矢町ふるさと村がある。
特にpixiv的なスポットといえば、旧川上町にある吉備川上ふれあい漫画美術館(名誉館長:富永一朗)が挙げられる。
また旧川上町地域には標高653.6mの弥高山があり、その山頂付近はキャンプ場と自然公園になっている。また弥高山山頂は冬季の雲海の名所として知られ、初日の出スポットでもある。さらに弥高山の山頂には四国八十八箇所のお砂踏み(地四国)がありパワースポットとしても知られる。
また旧成羽町地域にある吹屋ふるさと村は八つ墓村(1977年版)のロケ地であり、金田一耕助ファンの聖地として知られる。
交通
JR西日本(岡山支社管轄)伯備線が通る。中心駅は備中高梁駅。
岡山自動車道の高梁SAがあるが、最寄りICは賀陽ICである。
一般国道は、180号線、313号線、484号線が通じる。国道484号の「愛宕ループ橋」は高梁市街地を一望できる絶景ポイントのひとつ。