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リアルチート(スポーツ選手)

りあるちーとなあすりーと

リアルチート科 - アスリート属に分類される項目。
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親記事「リアルチート」の項目が多岐に渡りすぎてページが重くなってしまったため、アスリートの項目をこちらに移動するものとする。

リアルチート級のスポーツ選手を追記したい場合はこちらにまとめてどうぞ。往年の名選手から最近の若手選手まで並べて記述しているが、現役選手に関してはある程度割り引いて読むことをおすすめする。競走馬などについてはリアルチート(人外)に記述している。

サッカー

サッカー王国ブラジルの国民的英雄であり「サッカーの神様」と称される伝説の名選手。
彼がつけていた背番号10はサッカーにおけるエースナンバーとして世界中に認知されている。

アルゼンチンサッカー界(とナポリ)の英雄にして神。1986年ワールドカップにてハンドの反則を犯して得点するもののそれを「神の手」という無茶苦茶な理屈で誤魔化し、その直後の「五人抜きゴール」で全てを正当化してしまった。更にマラドーナ教という自信を神とする宗教(半ば冗談ではあるが)まで作られる有様。
アルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナの後継者と名高いサッカー選手。
過去の大選手でさえ通算で3回が限度だったバロンドール(世界最優秀選手賞)を2009年から2012年まで4年連続で受賞した。
そして2015年にもバロンドールを受賞したことで通算受賞回数は5回となった。
ポルトガルのサッカー選手。
バロンドール受賞5回、イングランド・スペインで得点王を獲得するなど、メッシと共に現代のサッカー界では抜きん出た存在。
中でも、欧州最強クラブ決定戦であるUEFAチャンピオンズリーグでは6大会連続得点王というズバ抜けた記録を持つ。
しかも5回目は決勝で2得点し、ライバルのメッシを追い抜くと言うドラマ性まで付いてきた。

日本のプロサッカー選手。通称「キングカズ」。
50歳という年長者ながらも、Jリーグで精力的にプレイを続けており、Jリーグ連続得点記録18年という大記録を打ち立てる。また、最年長得点記録50歳14日<2017年3月現在>)の持ち主で、この記録はギネス世界記録に認定された。
また、2011年の東日本大震災のチャリティーマッチでは試合前に「試合でゴールを決めてカズダンスを踊る」と宣言。結果、後半37分に宣言通り見事ゴールを決め、カズダンスを披露して観客を熱狂させるという奇跡を起こした。

日本の女子サッカー選手。
15歳で代表デビューを果たし、20年以上にわたり女子サッカーの最前線で活躍し続けた。国際Aマッチ出場数とゴール数は共に男女通じて日本人最多であり、2011年の女子ワールドカップでは得点王とMVPに輝く活躍を見せ、なでしこジャパンのワールドカップ初優勝に貢献。翌2012年には女子のバロンドールにあたるFIFA最優秀選手賞を受賞するなど女子サッカー界におけるレジェンドと呼べる存在。
2015年シーズン一杯をもって現役引退を発表。現役最後となった皇后杯決勝では今シーズン初得点がこの試合唯一のゴール(決勝点)となる、千両役者の大活躍を見せた
女子選手としてはあらゆる能力に優れたオールラウンドプレイヤーであると同時に、男気あふれたリーダーシップでチームメイトを鼓舞することから一部のファンからは尊敬をこめて「兄貴」と呼ばれている。

野球

野球」というスポーツにおいて、最強クラスのリアルチート。「野球の神様」と呼ぶ人も多い。
ここでその偉業を列挙するととんでもないことになるので、当該記事を参照されたし。

端的に言うならば「メジャーリーグで一番多く投げた投手
先発登板数(815)、完投数(749)、勝利数(511)、敗戦数(316)、対戦打者数(29565)、投球回(7356.0)、被安打(7092)、自責点(2147)と、「投げ続けることで増える名投手の証」のメジャーリーグ最多記録を総なめしている。
そして、これだけ投げているにも関わらず肩や肘に痛みを感じたことさえないという、昨今の投手の故障事情からは考えられない特異体質だったという。
彼の偉業は「サイ・ヤング賞」として称えられている。
1950年代から60年代にかけて活躍した「鉄腕」と称された伝説の名投手。
1961年にはプロ野球最多タイ記録となるシーズン42勝を記録。1957年に打ち立てたシーズン20連勝は後述の田中が更新するまで56年間破られなかった。
特に1958年の巨人との日本シリーズでは、ほぼ一人で投げぬき西鉄の優勝に貢献し、翌日の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが躍った。

関西方面の諸兄には「解説がおもろいオッサン」という印象が強いが、現役時代は快足で鳴らした野球選手。
年間106盗塁、13年連続盗塁王は日本プロ野球においては今なお破られていない大記録
また、盗塁を阻止しやすくする投法「クイックモーション」は、韋駄天っぷりを遺憾なく発揮していた頃に別球団で活躍していた野村克也氏が対福本用戦術として編み出したモノ
ちなみに後述するイチローよりも先に国民栄誉賞を蹴った男。その理由については当該記事を参照されたし。

左足を大きく上げる独特の投球フォーム「マサカリ投法」から繰り出す150km超えのストレートと落差の大きなフォークボールを武器に活躍した名投手。
現役時代は奪三振に強いこだわりを持ち、当時のパ・リーグを代表するロッテのエースであった。
ここで終われば名投手ではあるがチートと呼ぶほどではない。村田の凄い所は引退後に作った数々の伝説である。プロを目指す子供達にプロの凄さを伝えるため、同年代ではとてもこなせない鉄人トレーニングを積み重ね、年齢を越えた鋼の肉体を作り上げ、50代後半で140km超えのストレートを披露し、2013年の始球式では63歳で135km(しかもストライクゾーン)を記録する超人ぶりを見せている。現役時代に顕著な活躍をした選手は数多くいれど、引退後にこれだけの伝説を多く残した選手はそうはいないだろう。

中日ドラゴンズで活躍した技巧派左腕投手。本名「山本昌広」。
生きた化石」「シーラカンス」と称され、投手の持つ「○○最年長記録」を度々更新。
現役晩年は「投げるだけで記録が成立する」という状況にすらなっており、それでいてチームの戦力として一軍で投げ続けるという離れ業をやってのけていた。
2015年にはプロ野球史上初の50歳登板を果たし、32年の現役生活に幕を下ろした。
なお、前述の田中将大は、彼がプロ入り3年目の時に生誕しており、さらにそれより若い世代の大谷翔平藤浪晋太郎濱田達郎らの台頭もあって「父と子」と言われることも多く、実際彼には娘がいるが、その娘は彼らと近い世代である。
ノーヒットノーラン最年長記録・沢村賞・名球会入りと数々の功績を持つ。
誰が言ったか、「プロ野球の歴史80年、山本昌の歴史30年」

今や誰もが知る野球界随一な安打製造機メジャー10年連続200安打単一シーズン最多262安打というアンタッチャブルレコードの持ち主。現代のサムライ
世界記録へ今なおストイックに挑戦し続け、2016年にはピート・ローズが保持するメジャー通算4256安打を日米通算ながら超え、日本人選手初メジャー通算3000安打(ついでにメジャー通算500盗塁)を達成した。
バットの根本から先端まで使ってヒットを打つバットコントロール、神速の盗塁と内野安打を生み出す脚力及び走塁技術、「エリア51」と称される広大な守備範囲高精度高速遠距離送球レーザービーム」と、走攻守全てにおいて世界最高峰な武器を持っている。器用万能の言葉が大変似合う。
27歳でメジャーデビューしてこれだけの記録を積み重ね、42歳にして3000安打目を三塁打で決める野球界の仙人
ちなみに国民栄誉賞の授与を二度にわたり辞退しているが、その理由は「まだまだ発展途上だから」というものであった。

「マー君」でお馴染み、ニューヨーク・ヤンキースの大エース(予定)。
2012年から2013年にかけて、シーズン連勝記録と通算連勝記録の二つを更新。また2013年ペナントレースは24勝0敗と無敗でフィニッシュし、勝率10割をマーク。
さらにはペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズの優勝決定戦全てにおいてクローザーとして登板。いずれも無失点で切り抜け、楽天を創立9年目で日本一に導く。そのままメジャーリーグへと乗り込んでいった。野村克也氏の「マー君神の子、不思議な子」の言を体現してみせた。
奥さん大ファンだったアイドル事務所の一員で、シリーズ優勝の陰には彼女の並々ならぬ内助の功があったとも評される。
……えっと、これなんてパワプロ
……のはずが、平成27年に本当に田中本人プロデュースのパワプロがスマートフォンゲームにてサービス開始となった。

みちのくダルビッシュ」とも呼ばれる、北海道日本ハムファイターズの大至宝。
高校時代から速球豪打で鳴らしていたが、(多少のトラブルがあったにせよ)日ハム入団後は投打共にさらに磨きがかかった。
投手としては日本人最速の165kmを記録し、打者としても2桁ホームランを記録するなど長いプロ野球の歴史の中でも非常に珍しい二刀流選手。
2018年からはMLBロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに移籍し、今なお信じられないような活躍を残す「生きる伝説」
その群を抜いた活躍ぶりから「リアル茂野吾郎」、「現代のベーブ・ルースなどと様々な場所で騒がれている。

バスケットボール

アメリカが誇るバスケットボールの神様
全盛期には他の選手が決して真似できないような空中プレイで世界中を魅了した。

テニス

スイスのプロテニスプレーヤー。四大大会最多の20勝を始め、数々の歴代最多記録を持ち「史上最高のテニスプレーヤー」と称されている。

アメリカの女子プロテニスプレイヤー。2000年代以降の女子テニス界を代表する選手で、シングルスだけでなく姉のヴィーナスと組んだダブルスでも多くのタイトルを獲得している。

レスリング

ロシア出身のレスリング選手。13年間無敗で五輪3連覇など数々の偉業を成し遂げた「霊長類最強の男」。しかも「マットにゴリラを放った」と評されるような格闘家としての能力を備えるだけでなく、態度は紳士的、さらにロシアの国会議員を務めた経験もあるなどの知的な面すら持ち合わせる。いわばリアルザンギエフ

2015年9月のレスリング世界選手権女子53kg級で優勝し、五輪3連覇と世界選手権13連覇の世界大会計16連覇を成し遂げた選手。
2012年には世界選手権と五輪の計13連覇でギネス世界記録に認定され、女性アスリートとしては2人目となる国民栄誉賞を受賞。さらに、霊長類最強の男と呼ばれたロシアの男子レスリング選手アレクサンドル・カレリンにちなみ霊長類最強女子という称号まで手に入れた。
2001年全日本女子選手権56kg級準決勝で山本聖子に敗れて以来、2008年W杯団体戦で敗れるまで公式戦119連勝を記録。また個人戦に限れば以降負け知らずで、上記の'15年世界選手権優勝で個人戦200連勝に到達した。
リオ五輪では4連覇を期待されたものの、決勝でヘレン・マル―リスに敗れ銀メダルとなり、連勝はストップしてしまったが、その連勝記録である206という数字は記録より記憶に残る記録だろう。

フリースタイル女子58㎏級の日本代表。
上記の吉田沙保里の陰に隠れがちだが、彼女も相当な実力者であり、アテネ北京ロンドンリオデジャネイロの4大会連続で金メダルに輝き、前人未踏の女子個人種目四連覇を成し遂げるという快挙を達成している(日本選手のみならず、全競技通じ女子では世界初の快挙。さらに、五輪四連覇は、あのカレリンですらとうとう成し遂げることができなかった大記録でもある)。この偉業で、吉田に次ぐレスリング選手2人目の国民栄誉賞受賞者となる。
また、2015年の全日本選抜選手権の58kg級では、伊調との対戦を避けるために階級変更をする選手が続出し、エントリー選手が伊調を含めて3人しかいないという異常事態となった。


陸上競技

1990年代の棒高跳びで、世界中から尊敬を集めた棒高跳び選手。
保持していた記録は2014年2月15日に破られはしたものの、実に21年に渡り保持し続けた人の姿を借りた鳥類
噂程度だが、練習(非公式記録)で6m20(現世界記録は6m16)を飛んだとさえ言われている。

1980年代から90年代における陸上界のスーパースター。
100m、200m、リレー、走り幅跳びの4種目において圧倒的な強さを誇り、出場したオリンピックで通算10個のメダル(内金メダル9、走り幅跳びは4連覇)、世界選手権で通算10個のメダル(内金メダル8)という空前絶後の記録を残している。
短距離走の現・世界記録保持者。
当人曰く「これから本気出す」というから、その素質は底知れない。
そして、2016年リオデジャネイロオリンピックで五輪からの引退を表明するも、最大の見せ場である男子100m決勝で、流しながらのフィニッシュで9秒81で優勝し、同種目史上初の三連覇を果たした

競泳

アメリカの競泳選手。バタフライ、自由形、個人メドレー、各種リレーと多種目に渡って通算39回の世界新記録(この内バタフライ二種目、400m個人メドレー、リレー三種目は現在でも世界記録)を樹立した、通称「水の怪物」。
一人で多種目をこなせて、しかも4大会連続でオリンピックに出場していたため、気が付けばメダル獲得数、金メダル獲得数はオリンピックアスリート史上一位に。特に北京五輪での活躍はめざましく、1大会で8個の金メダルという空前絶後の大記録を樹立。そのうち7個が世界新記録というバランスブレイカーっぷりを披露した。
一番得意としていた200mバタフライでは「2001年に15歳で世界記録を破ってから、自分で打ち立てた世界記録を何度も自分で破り続ける」という、短命がデフォの競泳選手とは思えないような事をやってのけている。

ウィンタースポーツ

オーストリアのスキー選手。高速系種目で名をあげ、特にスーパー大回転は長年無敵であった。煉瓦作りの仕事で肉体改造に成功した逸話がある。長野オリンピックの滑降競技中風によって転倒し、防護ネットを越えて50m転落したが、3日後には復帰しスーパー大回転・大回転で金メダルを獲得。2001年にはバイク事故で選手生命を危惧されるほどの大けがを負ったが回復し、2006年のトリノオリンピックでスーパー大回転銀メダルを獲得。そのため「ハーミネーター」というニックネームで知られた。

アメリカのプロスノーボーダー。スノーボード界を代表するスーパースターで年収は10億円以上とされている。Xゲームやオリンピックなど数々の世界大会で圧倒的パフォーマンスで幾度も優勝を果たしている。

日本のスキージャンプ選手。通称「レジェンド葛西」。
40歳を超えた現在でもスキージャンプの第一線で活躍し続けており、2018年までにワールドカップで17勝冬季オリンピックにも日本人最多の8大会連続出場するという大記録の持ち主。長い間オリンピックでの成績には恵まれていなかったが、7大会目の出場となるソチオリンピックにて41歳8ヶ月にして遂に初の個人メダル(銀メダル)を獲得し、冬季オリンピックの日本人最年長メダリストとなった。

日本のフィギュアスケート選手。
東日本大震災後に17歳で世界選手権メダリストとなり、初出場となったソチオリンピックで史上初となるショートプログラム100点超えを達成し、19歳で金メダリストに。
続く世界選手権も制覇し、史上2人目の三冠王者となった。
同年末の中国の大会では、流血事故により頭を7針縫う怪我を負いながらも、頭に包帯を巻いたまま滑りきるという少年ジャンプっぷりを見せつけた挙句、満身創痍のまま年末のGPファイナルを連覇するという主人公属性ぶりで「宇宙人か」と世界を戦かせた。2015年には史上初のフリー200点超えトータルスコア300点超えを成し遂げ、元祖宇宙人プルシェンコに「違う惑星から来た人間だからね」と仲間認定を受けた。また、2017年世界選手権ではショート、フリー、トータルあわせて11度目の世界記録更新(2017年4月現在)を達成。国際スケート連盟(ISU)の公式カウントが「Mr Record Breaker」とツイート(外部リンク)した。なお、その後も記録は更新されている。
2018年の平昌オリンピックでは男子シングル史上4人目66年ぶりとなる五輪連覇を達成した。なお、日本人の冬季個人種目での五輪連覇はこれが初となる。

日本のスピードスケート選手。
スピードスケート選手としてはかなり遅咲きとなる30歳近くから覚醒した選手であり、
500mで2016/17年シーズンから公式戦(W杯や世界選手権含む)負け無しと言うとてつもない記録を打ち立て続け、比較的苦手(安定して優勝出来ないと言う意味で)な1000mで世界新記録を叩き出す事までやってのけた。
平昌オリンピックでは1000mで銀メダル、500mでは五輪最高かつ低地リンク(スピードスケートではスケート場の標高で大きくタイムが違い、500mで0.5秒は軽くタイムが違う)史上初となる36秒台を叩き出して金メダル。
その直後の世界選手権では疲労の蓄積により棄権したものの、500mと1000mを1日1本ずつ滑ってその合計成績で競う大会の2日目の500m滑ってトップ取りつつ「体調不良で1000mは無理である」として棄権した為やっぱり500mでは未だに負けていない。

モータースポーツ(F1)

1930年代から50年代までの長きにわたり活躍したアルゼンチンのレーシングドライバー。F1には1950年の初戦から参戦し、1958年に引退するまで通算24勝の成績を上げ、1968年にジム・クラークが更新するまで個人最多勝記録であった。勝率47.1%、46歳での最年長チャンピオンという記録は未だ破られていない。紳士的な人柄で知られ、F1の歴代ベストドライバーという評価もなされている。

危機回避能力が極めて高いことで知られ、多くのドライバーを巻き添えにした複合事故に8回も遭遇しているが、そのたびに一人だけ事態を見抜いて危機を回避している。彼の現役時代はモータースポーツに危険はつきものと考えられ、レーシングドライバーの死亡率は極めて高かった。彼が長く活躍できた要因として、事故死を逃れてきたことも見逃せない。引退後も最後まで事故に遭うことなく1995年に85歳の天寿を全うし、国葬で送られた。

ドイツ出身で主にフェラーリに搭乗した、ファンジオ以来最高のF1ドライバー。チャンピオン獲得回数7度、通算優勝91回、通算PP獲得68回、通算FL獲得76回という成績を持ち、その記録は現在でも破られず、その速さは「湾岸戦争の原因はミハエル・シューマッハ」、「クルマが3台に見える」、「クラッシュしても1位を取れる」などという伝説が作られるほど。

モータースポーツ(F1以外)

フランスのWRCドライバーで、シトロエンのドライバー。巧みなグリップ走行を使い、WRCにおいて前人未到の9連覇、通算勝数78勝、を成し遂げた。バイクスピークでも新記録を打ち立てて総合優勝を成し遂げたことがある。

日本を代表する自動車チューニングの雑誌・OPTIONの創設者で、それだけでなく日本を代表する自動車イベントである東京オートサロン熱走!! Exciting Car ShowdownD1グランプリドリフトマッスルを創設した人物。
それらを創設した実績だけでなく「不死身の男」と呼ばれるほど死んでもおかしくないエピソードが多く、「300km/hでガードレールに接触した後も走行」、「300km/hで走行中ぶ鳥が正面グリルへ突き刺さってもそのまま走行」「乗っていたマシンが出火しても走行」の他、中でも2003年にストリームZシルバーステイツにて最高速チャレンジを行った際、時速344km/hでの大事故で左リアタイヤが破裂し、240km/hまで減速するものの、スピンしながら10回転も横転したにも関わらず生還したというエピソードはテレビで紹介されたほどの伝説となっている

「日本一速い男」という異名を持つレーシングドライバーであり、その異名に恥じない活躍っぷりを見せ、悪天候でライバルたちがためらう中優勝、デイトナ24時間レースでは2位を9周引き離して優勝、R32型スカイラインGT-Rのデビューイヤーである1989年度の全日本ツーリングカーレース(JTC)では全6戦中4戦でポールポジション獲得を成し遂げている。
ちなみに1987年にホンダからF1のシートを譲られたものの、それを辞退した。

「モンスター田嶋」という愛称で知られている、ダートトライアル中心に活躍するレーサー。
アジアパシフィックラリー選手権で2輪駆動部門で1996年~1999年度、2001年、2002年度でシリーズチャンピオンを獲得し、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで2006年度から2011年度まで6年連続で優勝を獲得している。
レーサーだけでなく、「モンスター・スポーツ」の社長として実業家としても成功している。

D1ドライバー。史上最強のD1ドライバーであり、1000馬力超えのエンジンを搭載したマークIIをはじめとする重量級マシンを下手な軽量級マシンより速いコーナーの新入速度を武器としており、上位の常連である。2008年と2016年にはシリーズチャンピオンを決め、2012年には海外版D1であるフォーミュラ・ドリフトとフォーミュラ・ドリフト・アジアのシリーズチャンピオンを決め、特に2016年シーズンは開幕戦から3連勝を果たしてシーズン6戦中4戦優勝という圧倒的な成績を残して最終戦前にシリーズチャンピオンとなった。

あのドリキン・土屋圭市も憧れる日本を代表するレーサーの1人。
'72年の富士GCシリーズNo1富士300キロスピードレーススーパーツーリングレースにおいて、豪雨の中全車を周回遅れにして1位を獲得している。
レーサーとしては高齢となった後も活躍し、全日本耐久選手権においては1985年から1987年まで3連覇を果たし、1989年には49歳で4度目の制覇を遂げ、'94年のル・マン24時間レースでは55歳でクラス優勝を果たし、富士スプリントカップの「レジェンドカップ」においては70代の年齢を感じさせないドライビングを見せた日本最強の高齢者ドライバー


柔道

柔道家。
引退から逆算して203連勝、外国人相手に生涯無敗をという大記録を打ち立てた伝説の柔道家で、国民栄誉賞を受賞した。

陸上競技

ハンマー投げの世界的選手。
実は持久力勝負以外はほぼ何でもこなせる万能選手

体操

日本が生んだ体操界の至宝。
体操の6種目全てにおいて安定した演技を見せるオールラウンダーであり、高難易度の技を連続で成功させる技術に加え、見る者を魅了する美しい芸術性を兼ね備えている。
世界選手権の個人総合では史上最多となる6連覇、オリンピックでも個人総合で2連覇を達成するなど、体操界の絶対王者として君臨する存在であり、海外からも「キング・コウヘイ」と賞賛されている。

相撲

第48代横綱。
優勝32回・45連勝などを記録したことから「昭和の大横綱」と称され、「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれるなど戦後の日本を象徴する存在であった。

第58代横綱。
端正な顔立ちと筋肉質な体格から「ウルフ」の愛称で呼ばれた名力士。「昭和最後の大横綱」と称され、歴代最強と評価する声も多い。

将棋・囲碁

稀代の天才棋士1996年将棋界初の7タイトル(竜王名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)を総ナメにするという前人未到のあり得ないような偉業を成し遂げ、過去10年間における延べ70人のタイトルホルダーのうち半分の35人が彼であるという、将棋界のレジェンドというかもうである。
ちなみに趣味チェスでも日本ランキング1位という鬼スペックぶり。

21世紀生まれ初の、史上最年少でプロデビューした将棋棋士。史上5人目の中学生棋士。2017年4月、王将戦1次予選で小林裕士に勝ち、プロデビューからの連勝記録を更新した(11連勝)。その後も連勝は続き、同年6月に行われた竜王戦本戦1回戦で5組優勝の増田康宏に勝ち、神谷広志が30年近く保持していた28連勝の記録を抜き、デビューから無敗のまま歴代最多連勝記録を更新した。

囲碁界の頂点に立つ若き棋士。中1でプロ入りし史上最年少の20歳で名人のタイトルを獲得。その後も七大タイトルを総なめにし史上初の2度の七冠と年間グランドスラムを達成している。

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