概要
フルネーム | Thomas Edward Patrick Brady Jr.(トーマス・エドワード・パトリック・ブレイディ・ジュニア) |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州サンマテオ |
生年月日 | 1977年8月3日 |
身長・体重 | 193cm、102kg |
ポジション | クォーターバック |
プロ入り | 2000年NFLドラフト6巡目(全体199位) |
背番号 | 12 |
所属チーム
- ニューイングランド・ペイトリオッツ(2000-2019)
- タンパベイ・バッカニアーズ(2020-2022)
来歴
プロ入り以前
アイルランド系アメリカ人の父と、ドイツ、ノルウェー、ポーランド、スウェーデンにルーツを持つ母との間に生まれた。
高校時代はアメフトの他に野球やバスケもしており、キャッチャーとしてMLBからも評価され、1995年にはエクスポズからドラフト18巡目で指名されたが、アメフトを続けるために契約しなかった。
進学を希望する大学へ自身のハイライト動画を送り、最終的にミシガン大学へ進んだ。
入学時点で大学内での序列は“7番目のクォーターバック”だったが、その当時の中心選手が卒業(NFL入り)した後、1998年から1999年は先発QBに定着。1999年はドリュー・ヘンソンとの併用(1Qブレイディ→2Qヘンソン→調子が良いほうが後半に出場)と云う起用をされたが、大学通算25先発で20勝の戦績を残した。
なお1998年・1999年の夏休みには保険会社のメリルリンチでインターンをしていた。
プロ入り
2000年のNFLドラフトにてニューイングランド・ペイトリオッツから6巡目(全体199番目)で指名され、契約。
プロ2年目の2001年シーズンに自身初となるスーパーボウル制覇。以後、退団までに11度の進出・6度の優勝を成し遂げ、ペイトリオッツに黄金時代をもたらした。
2020年、タンパベイ・バッカニアーズとの2年契約を締結。入団に際してクリス・ゴッドウィンから背番号12を譲渡されており、“TB12”が「Tom Brady」と「Tampa Bay」のダブルミーニングになった。
2020年シーズンにはペイトリオッツから勝利を挙げてNFL史上4人目となる全チームから勝利を達成したQBとなる。この年はポストシーズンも勝ち上がり、スーパーボウルでは前人未到の通算7度目の優勝。またAFC・NFC両方のカンファレンスでスーパーボウルを制覇した史上初のQBとなった(※1)。
2021年シーズン、ディヴィジョナルプレイオフに敗れた後、2022年2月に一度は引退を表明するも約40日で撤回して現役続行を宣言した。
2022シーズンはプロ選手生活23年目で初の年間負け越し(8勝9敗)を喫するも、バッカニアーズは地区優勝を決めてプレイオフ進出。しかしワイルドカードゲームで敗退し、2023年2月には2度目の引退宣言をした。
引退後はFOXスポーツと10年3億7500万ドルで契約を交わし同放送局の解説者となったが、その一方でラスベガス・レイダースの球団株式を購入しようとしている。
2023年9月、ペイトリオッツはブレイディの球団殿堂入りと、彼が使用した背番号12を永久欠番とすることを発表。特例により引退後僅か1年4か月の2024年6月12日付で球団殿堂入りと永久欠番化が決まった(※2)。更に、ペイトリオッツの本拠地であるマサチューセッツ州が6月12日を“トム・ブレイディの日”に制定することも発表された。
- ) QBとして複数のチームでスーパーボウル優勝は先にペイトン・マニングが(コルツとブロンコスにて)達成しているが、マニングの場合はどちらもAFCのチームであり、AFC,NFC両カンファレンスで優勝達成はブレイディが初めてだった。
- ) 球団殿堂入りの可否は通常ならば引退から4年経過したうえで投票によって決められることだが、ブレイディは引退から約1年4か月で且つ無投票で選出されている。
プライベート
2006年2月に、ブラジル出身のモデル、ジゼル・ブンチェンと結婚。2人の子どもが生まれたが、2022年の引退即撤回が影響したのか同年10月に離婚した。
ジゼル・ブンチェンとの交際が始まる前は女優のブリジット・モイナハンと付き合っており、モイナハンとの間にも子どもが1人いる。