英語表記 | Denver Broncos |
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日本語表記 | デンバー・ブロンコス |
球団創設年 | 1959年 (1960年からAFLに参入) |
NFL参入年 | 1970年 |
ディヴィジョン | AFC西地区 |
本拠地 | コロラド州デンバー |
ホームスタジアム | エンパワー・フィールド・アット・マイルハイ(2001 - ) |
AFL優勝 | 無し |
スーパーボウル優勝 | 3回(第32回,第33回,第50回) |
カンファレンス優勝 | 8回(1977,1986,1987,1989,1997,1998,2013,2015) |
地区優勝 | 15回 |
※記録は2024年シーズン時点
概要
NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)を構成する32球団の1つで、AFC西地区に所属している。
ホームスタジアムはアメリカのコロラド州デンバー、球団本部はコロラド州ダヴヴァレーに置かれている。
チームカラーは橙色・紺色・白。チームロゴおよびヘルメットのデカールは、オレンジ色の鬣を靡かせた白い馬の頭である。
元々は第4次AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)オリジナルメンバー8球団の1つだった。
チーム名
地元コロラド州出身のウォード・ビニングの随筆に由来する名前で、駻馬(荒馬)のイメージから、ネーミングコンテストを経て決定された。
なお、ブロンコとは『アメリカ西部産の(半野生化した)小型の馬』を意味する。
本拠地球場
- マイルハイ・スタジアム(1960-2000)
- エンパワー・フィールド・アット・マイルハイ(2001-現在)
歴史
AFL時代
チームは1959年に創設された。当初はNFLへの参入を目指していたがNFL球団のオーナーの承認を得られなかったために、対抗リーグとして設立されるAFLへ加盟し、翌1960年から活動を開始した。
AFLでの10シーズンは、シーズン5割で終えた1962年を除き全て負け越し、優勝どころかAFL設立時から加盟していた8チームで唯一プレーオフへの進出を果たせなかった。
その低迷ぶりからテキサス州サンアントニオやジョージア州アトランタへ移転する話も持ち上がったが、オーナーが交替する度に移転計画は否決されデンバーの地に留まった。
NFL時代
1970年のリーグ統合によりAFC西地区へ配属された。
チームは1973年シーズンに球団史上初の勝ち越し。この年から7年連続でシーズン勝ち越しを記録し、1977年シーズンには初めてスーパーボウルへ進出(カウボーイズに10対27で敗退)した。
その後もスーパーボウルでは1986年、1987年、1989年シーズンと続けて敗退。スーパーボウルでの通算4連敗はヴァイキングスに続き2チーム目、現在でもヴァイキングス、ビルズと並ぶ最長連敗記録となっている。
1997年シーズン、チームはワイルドカードからスーパーボウルへ進出、31対24でパッカーズを破りスーパーボウルでの連敗を止め、初優勝した。翌1998年シーズンもスーパーボウルを制覇。当時のQBジョン・エルウェイには3連覇の期待もかけられたが、既に38歳となっていたエルウェイはこのシーズン限りで引退。チームも1999年シーズンはプレイオフ進出を逃し、3連覇は叶わなかった。
エルウェイがGM兼球団副社長としてブロンコスに復帰した2011年からチームは西地区を5連覇し、ペイトン・マニングをQBに据えた2013年と2015年にはスーパーボウルへ進出。2015年シーズン(第50回スーパーボウル)はパンサーズに勝利し、球団史上3度目の制覇を果たした。
2015年シーズン終了を以てP.マニングが引退すると、チームも歩調を合わせるように低迷期に入り、8シーズン連続でプレーオフ進出を逃した。
2024年はスーパーボウルで優勝した2015年以来となる2桁勝利(10勝7敗)で9年ぶりにプレーオフ進出を果たしたが、1回戦のワイルドカードラウンドでビルズに敗れた。
スーパーボウルの戦績
ブロンコスには「スーパーボウルでオレンジ色のユニフォームを着用した年は優勝出来ない」と云うジンクスがある。勝敗結果は以下の通り。
シーズン | 開催年月日 | 対戦相手 | 勝敗結果 | ジャージ |
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1977年(第12回) | 1978/1/15 | ダラス・カウボーイズ | 敗退(10対27) | オレンジ |
1986年(第21回) | 1987/1/25 | ニューヨーク・ジャイアンツ | 敗退(20対39) | ホワイト |
1987年(第22回) | 1988/1/31 | ワシントン・レッドスキンズ | 敗退(10対42) | オレンジ |
1989年(第24回) | 1990/1/28 | サンフランシスコ・49ers | 敗退(10対55) | オレンジ |
1997年(第32回) | 1998/1/25 | グリーンベイ・パッカーズ | 優勝(31対24) | ネイビー |
1998年(第33回) | 1999/1/31 | アトランタ・ファルコンズ | 優勝(34対19) | ホワイト |
2013年(第48回) | 2014/2/2 | シアトル・シーホークス | 敗退(8対43) | オレンジ |
2015年(第50回) | 2016/2/7 | カロライナ・パンサーズ | 優勝(24対10) | ホワイト |
主な球団関係者
永久欠番
※)2012年のペイトン・マニング入団に際して、球団およびフランク・トリプカの承諾の下で背番号18の欠番は一時的に解除される形となり、2016年にマニングの名前を併せて改めて永久欠番となった。
日本人チアリーダー
- 堀池薫子(2007-2008)
- 西村樹里(2012-2015)
関連項目
- コロラド州デンバーを本拠地にしているチーム