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ペイトン・マニング

ぺいとんまにんぐ

アメリカンフットボールの元選手。ポジションはクォーターバック。1998年のNFLドラフト全体1位指名選手。
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概要編集

フルネームPayton Williams Manning(ペイトン・ウィリアムズ・マニング)
国籍アメリカ合衆国
出身ルイジアナ州ニューオーリンズ
生年月日1976年3月24日
身長・体重196cm、104kg
ポジションクォーターバック
プロ入り1998年ドラフト1巡目(全体1位
所属チームインディアナポリス・コルツ(1998-2011)、デンバー・ブロンコス(2012-2015)
背番号18(コルツ、ブロンコスともに永久欠番

経歴編集

プロ入り前編集

かつてニューオーリンズ・セインツなどでクォーターバックを務めていたアーチー・マニングの次男として生まれた。ミドルネームの「ウィリアムズ」は、母オリヴィアの実家の姓が由来である。

テネシー大学ではトッド・へルトンのケガを切っ掛けに1年生ながら出場機会を得て、在学中45戦に先発して39勝を挙げた。

その後テネシー大学のアメフトチームは2005年にマニングの名前で背番号16を永久欠番としている。

一方、へルトンはこの時のケガによりアメフトを諦めて野球に専念、MLBコロラド・ロッキーズに進んでいる。

プロ入り後編集

インディアナポリス・コルツ編集

1998年のNFLドラフト全体1位でインディアナポリス・コルツに指名されて入団。

プロ1年目から13シーズン全試合先発出場(227試合連続出場)。2005年に東京ドームで行なわれたプレシーズンゲーム(史上最後のアメリカンボウルとなった)にも出場している。

マニング在籍中にコルツは地区優勝6回。2006年シーズン(第41回)のスーパーボウルに勝利しMVPを獲得した。

2011年シーズンは首の手術の影響で全休し、シーズン終了後に解雇となった。

デンバー・ブロンコス編集

コルツ退団から約2週間後、デンバー・ブロンコスと契約を結んだ。ブロンコスの背番号18はフランク・トリプカの名前で既に永久欠番となっていたが、トリプカの快諾により使用が認められている。

2014年シーズンには対コルツ戦に勝利して、ブレット・ファーヴ以来史上2人目となるNFL全32チームから勝利を挙げたQBとなった。

2015年シーズンの第50回スーパーボウル(2016年2月7日開催)の勝利を以て、NFL史上初となる異なる2つのチームでスーパーボウルを制覇したQBとなったが、この1か月後に引退を表明した。

引退後、背番号18はコルツとブロンコスで永久欠番になっている(ブロンコスではフランク・トリプカと連名)。


家族編集

父のアーチー・マニングはプレイオフ進出経験こそ無かったがニューオーリンズ・セインツヒューストン・オイラーズミネソタ・バイキングスで通算14シーズンプレイしたQBであり、背番号8はセインツで準永久欠番のような扱いになっている(セインツ創設以来、アーチー・マニング以外の選手が背番号8を使ったことは無いと云われている)。

弟のイーライ・マニングは2004年にサンディエゴ・チャージャーズからドラフト全体1位指名を受けて(直後にニューヨーク・ジャイアンツへのトレードで)プロ入りし、第42回と第46回のスーパーボウルでMVPに選出されたQBで、背番号10がジャイアンツの永久欠番となっている。なお、NFLでの兄弟直接対決(通称マニングボウル)はペイトンの3戦全勝だった。

2歳上の兄、クーパー・マニングは大学時代に脊柱管狭窄症を発症したことによりプロフットボーラーになれなかったが、ペイトンは兄が学生時代に使用した「18」をプロのキャリアで使い続けた。なおクーパーの息子(ペイトンから見て甥に当たる)アーチ・マニングもまたQBであり、テキサス大学へ入学したことが報じられている。


関連項目編集

アメリカンフットボール NFL

インディアナポリス・コルツ

デンバー・ブロンコス

永久欠番

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