概要
ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)に加盟している32球団の1つで、AFC東地区に所属する。
アメリカのバッファロー=ナイアガラフォールズ都市圏(ニューヨーク州北部)が本拠地で、現在のホームスタジアムと球団本部は同都市圏内のエリー郡オーチャードパークに置かれている。
チームカラーはロイヤルブルー、赤、白、ネイビー。チームロゴはバッファロー(実際はバイソン)を象ったデザインである。
現在のビルズは2代目に当たるが、名前が同じだけで初代チームとの繋がりは無い。
チーム名
『Bill』と云う単語には「請求書」や「100ドル紙幣」と云った意味があるが、このチームの名前とは全く関連しない。
このチーム名は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ワイルドウェストショーの興行やワイオミング州の開発などで名を残した人物バッファロー・ビル(1846-1917)の名前を、本拠地のバッファローに掛けたものである。但しバッファロー・ビルことウィリアム・フレデリック・コーディとバッファロー=ナイアガラフォールズ都市圏との間に直接的な縁故は無いとされている。
本拠地球場
- ウォー・メモリアル・スタジアム(1960-1972)※1
- ハイマーク・スタジアム(1973-現在)
※1)初代ビルズも1946年から1949年まで本拠地としていた(当時の球場名はシヴィック・スタジアム)。
歴史
ビルズ誕生以前
ニューヨーク州バッファローを本拠地としたアメフトチームとしては、1915年創設のバッファロー・オールスターズが最古である。
このチームは創設から暫くはシーズンごとに所属リーグとチーム名を替えながら、1920年にバッファロー・オール・アメリカンズとしてAPFA(アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション。NFLの前身)に加盟。1924年からバッファロー・バイソンズに改名した(1926年だけはバッファロー・レンジャーズを名乗った)。資金繰りの悪化からチームは1928年シーズンには不参戦。経営破綻を理由に1929年シーズンを以て消滅した。
初代ビルズ(AAFC)
1946年に設立したAAFC(オール・アメリカ・フットボール・カンファレンス)のチームとしてバッファローに創設された。
1946年シーズンはバッファロー・バイソンズを名乗ったが、「ありきたり過ぎる名前」を嫌った当時のオーナーが新たなチーム名を募集し、1947年からバッファロー・ビルズに改名した。
チームは1948年にAAFC東地区を制覇したが、チャンピオンシップゲームでクリーブランド・ブラウンズに敗退。翌1949年もプレイオフ1回戦でブラウンズに敗退した。
AAFCは1949年シーズン限りで消滅。チームは存続を望み、1950年シーズンからのNFL加盟を申請したが、NFLのオーナー会議で否決されたことで解散した。
2代目ビルズ(AFL→NFL)
現在のビルズは1959年に創設されたチームで、1960年シーズンから第4次AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)に参加した。
AFL時代は1964年と1965年に何れもサンディエゴ・チャージャーズを下してリーグ優勝を果たしている。
AFLがNFLと統合された1970年からはAFC東地区の所属となった。以降、エクスパンションで球団数が増え地区割りの変更が為されてもAFC東地区所属は変わっていない。
チームは1988年から1999年までの12シーズンで10回プレイオフへ進出(この間、1988年から1991年まで4年連続地区優勝)。1990年シーズンから4年連続でスーパーボウルに出場したが、その4回全てで敗退した。
2000年シーズンからはポストシーズン出場から遠ざかり、21世紀に入ってからのプレイオフに進出が(活動開始前だったNHLのシアトル・クラーケンを除く)北米4大スポーツリーグの全チームで最後になる不名誉を背負うことになったが、2017年にワイルドカード(地区2位)で18年ぶりにプレイオフへ進出。2020年シーズンはスーパーボウル出場こそならなかったが25年ぶりに地区優勝すると共にプレイオフでも勝利を挙げている。
2020年代に入ると、戦力が低下したペイトリオッツに代わってAFC東地区を牽引するようなチームになったが、プレーオフではチーフスやベンガルズに勝つことができずスーパーボウル進出を果たせていない。
スーパーボウルの戦績
ビルズは4年連続スーパーボウル進出のNFL最長記録を持っているが、同時に4年連続敗退のNFLワースト記録も作っている(出場4試合連続敗退はヴァイキングス、ブロンコスと並ぶワーストタイ)。
シーズン | 開催年月日 | 対戦相手 | 試合結果 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|
1990年(第25回) | 1991年1月27日 | ニューヨーク・ジャイアンツ | 敗退(19対20) | 0勝1敗 |
1991年(第26回) | 1992年1月26日 | ワシントン・レッドスキンズ | 敗退(24対37) | 0勝2敗 |
1992年(第27回) | 1993年1月31日 | ダラス・カウボーイズ | 敗退(17対52) | 0勝3敗 |
1993年(第28回) | 1994年1月30日 | ダラス・カウボーイズ | 敗退(13対30) | 0勝4敗 |
永久欠番
- 12 ジム・ケリー(クォーターバック)
- 34 サーマン・トーマス(ランニングバック)
- 78 ブルース・スミス(ディフェンシブエンド)
この他、準永久欠番として以下の番号がある。
- 44 エルバート・デュベニオン(ワイドレシーバー)
- 66 ビリー・ショー(オフェンシブガード)
- 83 アンドレ・リード(ワイドレシーバー)※2
※2)2004年から2010にかけて別の人物が使用していた。