人物
1976年9月22日(正確には9月18日なのだが、届け出が遅れた為に戸籍上は9月22日)、ブラジル・リオデジャネイロ出身。
現役時代の主なポジションはFW(センターフォワード:CF)。
速いドリブルと卓越したテクニックでゴールを量産。FIFAワールドカップの通算ゴール数は第2位の15ゴール。
利き足は左なのだが、多少精度は落ちるものの右でも遜色のないプレーを見せていた。
渡欧まで
16歳でグルゼイロECに入団。
13試合で12ゴールと言う驚異的なペースでゴールを量産。
デビュー間もないころから、点取り屋としての片鱗を見せていた。
実は18歳の頃(1994年)にグルゼイロECの一員として来日。ジュビロ磐田とプレシーズンマッチを行い、ハットトリックを記録している。
渡欧後
ブラジルでの活躍を買われ、僅か1年でブラジルを離れオランダのPSVアイントホーフェンへ移籍。移籍1年目にして30得点と言う破格の活躍。在籍した3シーズンで公式戦通算57試合55得点(リーグ戦に限っても46試合42得点)と言うチートクラスの成績を収めている。
この時の活躍に惹かれ、1996年にFCバルセロナへと移籍。僅か1シーズン限りの在籍となったが、スペイン国王杯(日本で言う天皇杯)・UEFAスーパーカップの2タイトルをもたらし、リーグ戦では37試合34勝と言う大車輪の活躍を見せた。
中でも約60メートルもの距離をDFを次々交わしながら独走しゴールを決めた試合は、今なお語り草となっている。
その活躍っぷりに、地元紙は「イル・フェノーメノ」(超常現象)と渾名されたほど。
今なお代名詞となっている「怪物」の愛称は、この頃に生まれた物。
また、当時指揮を執っていたボビー・ロブソンは「攻撃の戦術を持たない監督」として批判されていたが、これに対し「ロナウドが居る事が攻撃の戦術足り得る」と返したのは有名。(上の記録を見ていただければ、その言葉に偽りが無い事が窺える)
この後はインテル・ミラノ、レアル・マドリード、ACミランに籍を置き、母国ブラジルで引退した。
特にレアル・マドリード時代は、ジネディーヌ・ジダン、ルイス・フィーゴ、ロベルト・カルロスが並び立つ「超銀河系集団」として、クラブの歴史に名を残している。
引退の真実
引退前後、ロナウドの体に異変があった。
とてもアスリートとは思えない程に膨れ上がり、ファンからは「豚」と蔑称されるほどに太り、全盛期のプレイになぞらえて「走らねぇブタは只のブタ」と揶揄もされた。
だがこの異変、実は深い理由があった。
甲状腺異常によるホルモンバランスが崩れ、体形管理に支障をきたしていたのだが、治療を行わずにいた。
では、何故ファンやマスコミから冷たい言葉を投げかけられながらも治療行わなかったのか。
治療を行うには投薬が必要なのだが、そこで用いられる薬がドーピング検査に引っ掛かる恐れがある為に、治療に踏み切れずにいた事が、引退会見で明かされた。
サッカーファンの間では・・・
現在レアル・マドリードで活躍する、ポルトガル代表ストライカーであるクリスティアーノ・ロナウドと区別化する為、後者は「クリロナ」「CR7」と略して呼ぶのが通例。
そのため、サッカーファンが「ロナウド」と言ったら、よほどのライトファンでない限りこの項目で取り上げたロナウドを指す。近年ではこの項目のロナウドを「ロナウド・ナザリオ」と呼んで区別をつけるメディアも多い。
関連タグ
ロナウジーニョ:現代ブラジルの「ロナウド」
ドナルド・マクドナルド:アメリカでの呼び名が「Ronald」(英語読みでロナルド)