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ジネディーヌ・ジダン

ずつきのひというな

ユベントスやレアル・マドリードで活躍したアルジェリア系フランス人サッカー選手。
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ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン(1972年6月23日~)

人物編集

1988年、ASカンヌとプロ契約し、2006年、レアル・マドリード在籍中に引退。2016年から2018年までレアル・マドリードで監督を務めた。

現役時のポジションは攻撃的ミッドフィールダーで、主にトップ下が主戦場だった。


「宇宙人」と言われた流れるようなテクニックと広大な視野、強靭なフィジカルを持ち合わせたプレイは現代版ファンタジスタの典型であった。ファンから「生まれ変わるならジダンになりたい」と言わしめ、「世界最高のサッカー選手」と讃えられた(「ハゲても良いのか?」のツッコミがお約束)。

ナポレオンに例えられたミシェル・プラティニ(現UEFA会長)の後継者として、「新将軍」の異名を持つ。

今も「サッカー史上最高の攻撃的MF」の呼び声も高い。


来歴編集

1972年、マルセイユ(フランス)でアルジェリアから移住してきた両親の間に生まれる。4男1女の末っ子。友人らと共にストリート・サッカーでスキルを磨いた。

1981年、地元マルセイユのASフォレスタに加入すると、すぐにチーム・キャプテンに抜擢された。

1982年、格上のチーム、USサン=タンリの一員となった。

1983年、SOセプテーム・レ・ヴァロンに加入。


1988年、エクス=アン=プロヴァンスでのトレーニングキャンプで、名門ASカンヌのスカウトの目に止まり、14歳でプロ契約。スペインマラガで行われたU-16欧州選手権で、初めてフランス代表としてプレー。

1989年、トップチームに昇格しプロデビューを果たす。


1993年、FCジロンダン・ボルドーへ移籍。

1994年、リーグ・アンの最優秀若手選手に選出される。8月17日、チェコ戦でフランスA代表デビュー。


1996年、トリノイタリア)のユベントスFCに移籍。リーグ戦、インターコンチネンタルカップ(後のトヨタカップ)制覇の原動力となる。

1996-97、1997-98シーズンと2年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出を果たしたが敗退し、ファンからは「不吉な黒ネコ」と呼ばれた。

1998年、FIFAワールドカップ・フランス大会でフランスが優勝。ジダンはFIFA最優秀選手賞・バロンドールなど個人タイトルを総なめとし、チームメイト・指揮官らと共にフランスよりレジオン・ド・ヌール勲章「シュバリエ」階級を贈られた。


2001年、レアル・マドリード(スペイン)に移籍。レアル・マドリードはロナウドロベルト・カルロスルイス・フィーゴと名だたるスター選手を擁し、現在に至る銀河系集団路線を生み出した(日本プロ野球で例えれば読売ジャイアンツのようなチーム)。このシーズンのUEFAチャンピオンズリーグを制覇。決勝で放った、ペナルティ・エリア外からのダイレクト・ボレー・シュートは今なお語り草となっている。

2002年、FIFAワールドカップ日韓大会前の韓国代表との親善試合で左太もも肉離れを起こし、さらに試合で受けたタックルで膝も痛め、本戦はデンマーク戦1試合の出場にとどまり、フランス・チームもグループ・ステージで敗退した。

2003年、レアル・マドリードではリーガ・エスパニョーラUEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップの3冠制覇を達成。ジダンは3度目となるFIFA最優秀選手賞を受賞した。

2004年、EURO2004後、若手に道を譲るため代表引退を表明。

2005年、FIFAワールドカップ・ドイツ大会でフランスが予選敗退の危機に陥り、当時のフランス大統領の説得まで受けて代表復帰。

2006年、ワールドカップ後の引退を表明。5月7日に行われた引退式では8万人を超えるファンが集まった。7月9日、ワールドカップ本戦決勝のイタリア戦に駒を進めるが、延長戦後半、マルコ・マテラッツィに挑発されて頭突きを食らわせ、一発退場となる。フランス代表はPK戦で敗れ準優勝に終わるが、ジダンはMVPを受賞した。


2009年、レアル・マドリードのクラブアドバイザーに就任。

2011年、ローレウス世界スポーツ賞の生涯功労賞を受賞。

2013年、UEFA公認指導者ライセンスを取得。

2014年、セグンダ・ディビシオンBレアル・マドリード・カスティージャ助監督に就任。

2015年、UEFAプロライセンスを取得。

2016年、レアル・マドリードの監督に就任。クリスティアーノ・ロナウドハメス・ロドリゲスを擁し2015-16シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで優勝。

2017年、2016-2017シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2016、リーガ・エスパニョーラで優勝。

2018年、2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップ2017で優勝。シーズン終了後、ジダンは監督を退任した。

2019年、成績不振により解任されたサンティアゴ・ソラーリの後任としてレアル・マドリード監督に復帰。


余談編集

  • 麻生太郎の著書「とてつもない日本」(2007年)に『「キャプテン翼」の影響を受けてサッカーを始めた』とあるが、ジダンがサッカーを始めたのは1977年頃であり、「キャプテン翼」が日本で連載を開始した1981年よりずっと前である。麻生はデル・ピエロと混同したのではないかという説がある。
  • 父親の影響で多少柔道の心得もある。
  • 普段は寡黙内向的だが、試合では激しい気性を見せる。

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サッカー選手 フランス代表 ジダン レアル・マドリード

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