概要
1917年に日本の柔道家前田光世(リングネーム「コンデ・コマ」、ブラジル名「オタービオ・ミツヨ・マエダ」)が、ベレン(ブラジル)の銀行家ガストン・グレイシーの長男のカーロス・グレイシー(1902年9月14日~1994年10月7日)に柔術を指南し、その後カーロスが「グレイシー柔術」と呼ばれる技術体系を築きあげた。
・・・とされてきたが、近年では前田がカーロスを直接指導したという話はほぼ否定されつつあり、少なくともカーロスが本格的な指導を受けたのは前田の高弟筋であったことが同時代資料により判明している。
カーロスは5人の妻との間に21人の子供を授かり、グレイシー柔術はカーロスの子供たちや末弟のエリオ・グレイシー(1913年10月1日~2009年1月29日)により勢力を広げていった。
エリオはカーロスと確執を起こした兄のジュルジに代わり様々な試合をこなし、ブラジルへ来た日本の柔道家木村政彦と死闘を繰り広げている。
1993年にUFCが創立されると、エリオの六男ホイス・グレイシーが第一回大会で優勝し、その後の格闘技史を大きく変えた。ホイス以外にもヒクソン・グレイシー、ヘンゾ・グレイシーらがUFCやPRIDE、VTJに出場し、90年代の格闘技界を彩った。
一族の特徴
食事
食事に関しては非常にストイック。ホイスの場合、12日間の食事メニューをきっちり決め、それを守っている。「アルコールを摂らない」「水をたくさん飲む」「デザート禁止」「チーズは食べない。酢は酸性の食材なので単独で摂らない」「加工食品はできるだけ摂らない」という食事のルールがあり、これらは一族を世界最強の格闘一族にしようと考えたカーロスが試行錯誤をして考案したもの。
現在ではスポーツ医学が進んだこともあり、すべてのグレイシーがこの食事を守っているわけではない。また、その食事メニューの特徴から温暖なブラジルであれば可能だが、それ以外の地域で実践することは少々難しいとされる。
ルール変更
グレイシー一族では試合に先立ってルール変更を申し出ることが多かった。伝統的なブラジルの格闘技界は、お互いの気が済むまで戦わせるというブラジルの喧嘩作法に乗っ取り基本的に時間制限か30分を超える長時間かつレフェリーによる判定やストップを行わないことが多く、グレイシーはこうした環境で技術を磨いてきたためこれに準じた強く求めていた。
しかし、総合格闘技がスポーツ化していくと1試合の時間が長くなることは興行上旨味がないため、総合格闘技ビジネスが拡大していくのと反比例してグレイシーの影響力が下がっていくにつれ、グレイシーもこうしたルール変更を求めることはなくなっていった。
タップの拒絶
こちらも比較的長くグレイシーのメンバーはどれだけ強く極められてもタップすることはなかったが、クロン・グレイシーなどはタップすることに特に抵抗がないようで、この傾向はほぼ廃れつつある。
こうしたタップを拒否する傾向も、プロモーターからすれば試合が必要以上に危険な物になってしまうというリスクを孕んでいるように映り、疎まれる一因となっていた。
主なグレイシー一族
カーロス派
- カーロス・グレイシー⋯ブラジリアン柔術創始者。5人の妻と21人の子をもうけた。92歳没。生涯ベジタリアンだった。
- カーウソン・グレイシー⋯カーロスの長男。カーウソンは優れたコーチであり、多くの柔術家と総合格闘家を育てた。
- キーラ・グレイシー⋯カーロスの次男であるホブソンの娘の娘。06世界柔術選手権優勝。
- カーリー・グレイシー⋯平直行(範馬刃牙のモデルになった人)に柔術を伝授。
- カーロス・グレイシーJr/カーリーニョス⋯5人目の妻の子。グレイシーバッハ創立者でありIBJJF創設者。
- ホーウス・グレイシー⋯カーロスの四男。全盛期は一族でも最高の実力の持ち主とされ、柔術にレスリングやサンボなど他の組技格闘技の技術を取り入れ、柔術の秦かに大きく寄与した。1982年に事故死。
- ヘンゾ・グレイシー⋯ホブソンの次男。アメリカで柔術を根付かせた功労者の一人であり、また総合格闘技の将来を見越していち早くボクシングやレスリングの練習も積極的に行っていた。名伯楽であり、主催するヘンゾ・グレイシーアカデミーは多くの名選手を輩出している。
- ホジャー・グレイシー⋯母はカーロスの娘ヘイラ、父はホーウスの高弟マウリシオ・ゴメス。2000年代後半から2010年代前半まで最強柔術家の名をほしいままにし、柔術の世界大会で10度優勝、ADCCを2度優勝。2009年の大会では階級・無差別全ての試合を一本勝ちするという圧倒的な成績を上げた。
- エリオ・グレイシー⋯カーロスの弟。小柄で喘息持ちだったためブラジリアン柔術を教えられた。木村戦では両腕を折られてもガッツを見せ木村から「日本にもこんな侍はいない」と感嘆された。
- ホリオン・グレイシー⋯エリオの長男。UFC共同創設者。柔術赤帯9段。柔術を世界に広めた人物で、選手としてよりもプロモーターやトレーナーとして才能を発揮した。
- ヘウソン・グレイシー⋯エリオの次男。日本で柔術を初めて教えた人物の一人であるエンセン井上に柔術を教えており、日本の柔術発展に一役買っている。
- ヒクソン・グレイシー⋯当該記事参照。
- ホクソン・グレイシー⋯ヒクソンの長男。体に父への愛を強調した刺青を入れるほど父を愛していたが、怪死を遂げてヒクソンのその後の人生を大きく変えてしまう。
- クロン・グレイシー⋯ヒクソンの次男。ADCC優勝。日本でも何度か試合を行っている。
- ホイラー・グレイシー⋯エリオの五男。競技大会での実績は兄弟の中でも随一で、ADCC3連覇、世界柔術選手権4連覇を達成。
- ホイス⋯エリオの六男。UFC殿堂第一号であり、20世紀末以降の格闘技界に最も影響を与えた人物の一人。