マニー・パッキャオ
まにーぱっきゃお
本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。
1978年12月17日にフィリピン、ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェで母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる。
一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家で、初等学校6年の時両親が離婚してから家計を助けるため路上でフィリピンのパン「パン・デ・サル」や花や煙草を売っていた。
またボクサーになる前は建設作業員として働いていたことがある。
8歳からボクシングのまねごとを始め、週末に広場で開かれる草ボクシングの試合をして、14歳の時マニラへ出稼ぎに行き本格的にボクシングを始め、フィリピンナショナルアマチュアボクシングチーム入りを果たし政府から住居と食事の保証を受けるようになるが戦績は64戦60勝4敗ながら大きな大会での実績は無かった。
1995年1月22日、16歳1か月でライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破、アジア人初そしてボクシング史上二人目、史上最多タイ記録となるメジャー世界タイトル6階級制覇王者になる。
全盛期は強豪が相手でも果敢に打ち合いに挑みKOを狙うハードパンチャーで、スピードとスタミナに優れリングを縦横無尽に動いて手数で圧倒する試合スタイルで、「The Destroyer(破壊者)」「Pacman(パックマン)」のニックネームを持つ。
2021年8月、WBA世界ウェルター級タイトルマッチで、同級スーパー王者ヨルデニス・ウガス(キューバ)に0-3の判定負け(113-115、112-116×2)を喫した。2年1か月ぶりの試合で、団体内の王座統一に失敗。この試合を最後に同年9月29日、正式に引退を表明した。(日刊スポーツより)
一部例外を除いて、彼によってKOあるいは全ラウンド通してボコボコにされたボクサーの悉くがその後のキャリアを滅茶滅茶にされている。こんな化け物と4渡に渡り、いずれも史上に残る殴り合いを演じたファン・マヌエル・マルケスの怪物性も特筆すべきだろう。
因みに日本の選手では、フライ級の寺尾新(八王子中屋)・スーパーバンタム級の千里馬哲虎(千里馬神戸)が対戦、共にTKOて敗れている。
2022年大晦日にはなんとRIZINへ緊急参戦することが伝えられた。今後の活躍に期待したい。
獲得した世界タイトル
WBC世界フライ級王者(防衛1回、1998年~1999年)
IBF世界スーパーバンタム級王者(防衛4回、2001年~2003年)
WBC世界スーパーフェザー級王者(防衛0回、2008年)
WBC世界ライト級王者(防衛0回、2008年~2009年)
WBO世界ウェルター級王者[1度目](防衛3回、2009年~2012年)
WBC世界スーパーウェルター級王者(防衛0回、2010年~2011年)※WBO世界ウェルター級と同時に戴冠。
WBO世界ウェルター級王者[2度目](防衛1回、2014年~2015年)
WBO世界ウェルター級王者[3度目](防衛0回、2016年~2017年)
WBA世界ウェルター級王者(防衛0回、2018年~)
- 国会議員として2010年に当選してから2期連続で下院議員を務め、2016年からは上院議員を務めている。
- 2014年6月にはフィリピンプロバスケットボールリーグの新チーム「起亜ソレント」のヘッドコーチに就任、同年8月にドラフト11巡目で同チームから指名され、選手としても契約、フィリピンプロバスケットボールリーグ史上で最も背が低く、最も年をとったルーキーとなった。
- 俳優としてもフィリピンのテレビ局ABS-CBNの番組やフィリピン映画のエキストラとしてスタート、映画の主役も何回か務めた。
その他、自国ではビリヤード店の経営したり、歌手デビューもしている。
- 紛争を止める⋯パッキャオの地元、ミンダナオ島ではイスラム教とキリスト教の紛争(モロ紛争)が起きているが、パッキャオが試合をすると「皆でパッキャオを応援しよう」と、テレビの前に集まるという。