奈良県出身の男性柔道家。1974年12月10日生まれ。身長164cm。柔道七段。
弘前大学大学院(医学研究科博士課程)修了。医学博士。ミキハウス所属。
「平成の三四郎」
柔道一家に育った天才で、背負投を得意としたことから「平成の三四郎」「小さな巨人」などの異名をとった。
男子柔道60kg以下級の選手として、オリンピックには3大会連続出場。
アトランタオリンピック、シドニーオリンピック、アテネオリンピックで金メダルを獲得。
全ての五輪競技を通じて、アジア人として初となる五輪3連覇を達成した。
2012年にはロンドンオリンピックへの出場を逃し、2015年8月24日に引退を表明した。
引退試合には交流のある北島康介、大畑大介、太田雄貴と、ミキハウス所属の寺内健らが駆けつけ客席から見守り、3回戦敗退が決まった直後に北島が花束を渡してねぎらった。
逸話
谷亮子が国民的な人気選手として日本中の期待を背負っていた現役当時と活躍時期がかぶっていたうえ、オリンピックでは野村の「男子60kg級」と谷の「女子48kg級」は同日に開催されることから、注目は常に谷のほうに集まってしまい、金メダルを獲得した3大会とも翌日のスポーツ新聞の一面は谷亮子であった。
これは鉄板の自虐ネタとしているが、実際には谷が全てのプレッシャーと注目を集めてくれていたので、同日に試合が行われて良かったとしている。
日本人として初の五輪3連覇の偉業を成し遂げ、競技の枠を超えリスペクトの声がたえないが、上原浩治が「なぜ国民栄誉賞が野村さんに渡らないんだろう?いまでも思ってます」と発言したように、国民栄誉賞が授与されないことを疑問視する声は多い。