概要
1957年6月1日生、熊本県矢部町(現:熊本県上益城郡山都町)出身。
魚屋の長男として生まれるが幼稚園児時代にはすでに他の子より頭一つぶん体格が大きく、小学校入学時点では6年生用の服でないと入らないほどの体格となっていた。
その体格でいたずらや喧嘩に明け暮れるやんちゃ坊主だったため、近所や同級生から苦情の山がくるほどだったという。
これを叩き直す目的で小3のときに地元の柔道場に入れられてから才能を開花させるようになり、中学校では熊本市内の柔道強豪だった藤園中学に進学。大会で活躍し本人もオリンピック出場を真剣に考えるようになった。
高校は一旦九州学院に進学するが途中で東海大相模高校に転校し、高2ですでに社会人も交えた全国大会で上位に食い込む程になった。
大学は東海大学に進学、様々な大会で連勝記録を打ち立てる。
強力なライバルたちの存在や様々な国際的事情によりなかなかオリンピックに出場することは叶わず、1984年8月にロサンゼルスオリンピックでやっと出場が叶った。
そして伝説的な試合ののち金メダルを獲得、同年国民栄誉賞を受賞。
しかしけがに苦しみ、翌年1985年にわずか28歳で現役を退いた。
公式戦では通算成績528勝16敗15分、引退まで203連勝を打ち立てるなど、圧倒的な強さでインパクトを残した。
その後は指導者や柔道連盟の要職、東海大の教員などを歴任し2011年より東海大副学長。
全日本柔道連盟も2017年より会長を務めている。
2019年6月からはJOCの会長に就任した。