経歴
元F1ドライバーであるヨス・フェルスタッペンと、ベルギー人の母の下に生まれる。父親の指導の元でカートレースを始め、数々の大会でチャンピオンとなる。
その後2014年に四輪(フォーミュラカー)レースデビューとしてヨーロッパF3に参戦し、1年目ながらシリーズ3位となる。その活躍に目を付けたメルセデスとレッドブルから育成ドライバーとして契約しないかと誘われていたが、結果として同年にレッドブルに加入した。しかしそれから間もなく、翌年からレッドブルの姉妹チームであるトロ・ロッソからのF1デビューが発表された。
ただ、当時フェルスタッペンは(ヨーロッパでの)成人年齢でもない16歳であり、自動車の運転免許も取得していない(というより出来ない)状態。更にフォーミュラレースに出場した経験も上記の1年のみであることから、批判的な声は少なくなかった。
このような事態になった経緯は後にレッドブルの幹部から語られており、下位カテゴリーから経験を積んでいきたいと考えていたメルセデスに対し、レッドブルとしては契約を確実なものにするためにはF1デビューを確約させることしか無いと考えたためである。
これを受けて国際自動車連盟(FIA)は、F1に参戦する条件の一つであるスーパーライセンスを発給する条件として
『18歳以上であること』
『自動車の運転免許を取得していること』
『最低2年は下位フォーミュラを経験していること』
などの条件を追加した。
F1での経歴
2015年、トロ・ロッソからF1デビュー。ちなみにチームメイトは(競技は違うが)フェルスタッペンと同じ2世ドライバーであるカルロス・サインツJr.である。
この年は、セバスチャン・ベッテルが保持していた
・最年少出走記録∶17歳165日
・最年少入賞∶17歳180日
を更新。表彰台に立つことは無かったが、トロ・ロッソの歴史上最も多くのポイントを獲得した(後にピエール・ガスリーが更新)。
2016年、(色々とトラブルがあったこともあり)シーズン途中でダニール・クビアトとのシート交換という形でレッドブルに移籍することが決定。その初戦となった第5戦スペインGPでは、当時激しく争っていたメルセデスのルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグが同士討ちでリタイアしたこともあり首位に立つと、キミ・ライコネンの猛追を凌ぎ優勝。これにより、ベッテルの最年少優勝記録を18歳227日に更新。オランダ人ドライバーとしても初優勝を果たし、称賛を集めた。また、雨の中で行われた第20戦ブラジルGPではタイヤ戦略のミスのせいで残り15周時点で12位であったものの、怒涛の追い上げを見せて3位でゴール。ここでも称賛を集めた。
その後、メルセデスの圧倒的な強さや、ルノー製パワーユニットの戦闘力不足、自身のミスがありながらも、度々表彰台に立つなど健闘を見せ、将来を期待されるドライバーとして成長していった。
2019年、レッドブルがパワーユニットを、関係が悪化していたルノーからホンダに変更。開幕戦のオーストラリアGPでは3位表彰台を獲得し、ホンダに11年ぶり、そして2015年の復帰後初の表彰台をもたらした。第9戦オーストリアGPでは一時は8位まで順位を落とすも、大逆転でシーズン初優勝。ホンダにF1復帰後初の優勝をもたらした。
ちなみに、レース前までメルセデスが昨シーズンから10連勝を記録しており、このレースに勝利していた場合、1988年にマクラーレンが記録した11連勝に並ぶことになっていたが、フェルスタッペンが勝利したことより達成することはできなかった。1988年当時、マクラーレンはホンダエンジンを使用していたことから、オーストリアでの勝利は『ホンダが打ち立てた記録に並ぼうとしていたのを、ホンダが止める』といった構図になった。
その後も第11戦ドイツGP、第20戦ブラジルGPでも勝利。この年はキャリアハイとなるシーズン3勝、278ポイントを獲得し年間3位となった。
2020年は、新型コロナウイルス感染症の影響から通常は3月に開幕のF1が7月に開幕。レース数が減ったこともありポイントは214と前年より減ったものの、前年と同じ年間3位となった。
2021年は、メルセデスのハミルトンとのワールドチャンピオンを巡った激しい争いとなった。
開幕から第4戦スペインGPまではハミルトンにリードを許すも、翌第5戦モナコGPで優勝し、自身初のポイントリーダーに。その後第10戦イギリスGPでハミルトンとの接触でリタイア、ハミルトンは2位表彰台を獲得したことによりハミルトンにポイントリーダーの座を明け渡す。
その後夏休み明けに2連勝したことでその座を奪い返すも、第15戦ロシアGPでハミルトンが優勝したことで再びその座を明け渡す。それでも第16戦トルコGPでフェルスタッペンが2位表彰台を獲得したのに対して、ハミルトンはペナルティの影響もあり5位に終わったことで三度ポイントリーダーに。第17戦アメリカGP・第18戦メキシコシティGPで連勝しハミルトンとの差を広げるも、ハミルトンが第19戦サンパウロGPから第21戦サウジアラビアGPまで3連勝を果たす。
これにより、最終戦を前にしてフェルスタッペンとハミルトンが共に369.5点で並ぶという、1974年にエマーソン・フィッティパルディとクレイ・レガツォーニが記録して以来47年ぶりの事態となった。
(ポイントが小数点であるのは、第12戦ベルギーGPが雨の影響で1周のみで終了したことで、規定により本来与えられるポイントの半分が与えられたため、優勝したフェルスタッペンは25ポイントの半分である12.5ポイント、3位のハミルトンは15ポイントの半分である7.5ポイントが与えられたためである。)
そして迎えた最終戦アブダビGP。予選でフェルスタッペンはポールポジションを獲得し、ワールドチャンピオン獲得に向けて幸先の良いスタートを切った。しかし決勝では、フェルスタッペンはスタートに失敗し、予選2位のハミルトンに先行を許す。そしてその差を段々広げられてしまう展開となった。
しかし、ハミルトンが19周目にタイヤ交換を行うと、まだタイヤを交換をしていなかったフェルスタッペンのチームメイトであるセルジオ・ペレスが首位に立つ。ペレスをハミルトンが追い抜こうとするも、ペレスが必死の抑え込みで阻止。1周半にわたり続いた闘いは結局ハミルトンがペレスを抜き去るも、その間にハミルトンとフェルスタッペンの差は5秒も縮んだ。これを受けてフェルスタッペンは無線で
『Checo is Legend(チェコ(ペレスの愛称)は伝説だよ)』
と呟いた。
しかしレースはハミルトンのマシンが高い戦闘力を持っており、それ以降その差は中々縮まらなかった。そんな中、レース終盤の53周目にニコラス・ラティフィがクラッシュ。セーフティカーが導入され、レッドブルはフェルスタッペンをピットインさせ、新しいソフトタイヤを履かせ、レース再開に備えた。一方のメルセデスは、ピットインにより逆転される可能性があったことや、残りの周回が少なかったこともあり、ハミルトンをピットインさせなかった。この両チームの決断が、後に大きな影響を与えることになる。
このままレース終了と思われた矢先、レースディレクターから各チームに対して『最終周でレースを再開する』との知らせが届く。しかし、ハミルトンとフェルスタッペンの間には、周回遅れの車が何台も存在しており、レースディレクターは『周回遅れの車はセーフティカーを抜いてはいけない』と指示していた。このため、レースが再開されたとしても、優勝のためにはフェルスタッペンはその周回遅れの車を追い越す必要があったため、フェルスタッペンの優勝は絶望的、ハミルトンのミハエル・シューマッハを超える8度目のワールドチャンピオン獲得は確実と思われた。
しかしレース再開直前、レースディレクターはハミルトンとフェルスタッペンの間にいる周回遅れの車に対してセーフティカーを追い越すように指示。上記の指示とは全く違う指示を出したため、メルセデスの代表であるトト・ヴォルフはレースディレクターに対して怒りをぶつけた。一方のフェルスタッペンにとっては最後の最後に大チャンスが訪れることになった。
そして最終周、レース再開。使い古したハードタイヤを履くハミルトンを、交換したばかりのソフトタイヤで追いかけるフェルスタッペン。そしてターン5、ハミルトンがアウト側に流れ、イン側に生まれたスペースをフェルスタッペンが突きオーバーテイクし、トップに立つ。その後、2本のストレートでハミルトンに接近されるも耐え凌ぎ、そのままゴール。フェルスタッペンはオランダ人として初めてのワールドチャンピオンを獲得。また、ホンダが支援したドライバーとしては、1991年のアイルトン・セナ以来30年ぶりのワールドチャンピオンとなり、この年限りで撤退するホンダに最高のプレゼントを与えた。
2022年、レッドブルはホンダからレッドブルのPU製造部門として設立されたレッドブル・パワートレインズ(RBPT)に変更。但し、PUを製造するには時間がかかることから、2025年シーズンまではホンダPUをRBPT名義で使うことになった。
開幕から暫くはマシンやPUのトラブルに見舞われた影響でポイントを伸ばせなかったものの、第4戦エミリア・ロマーニャGPから第6戦スペインGPまで3連勝を飾り、ランキング首位に立った。その後は首位の座を誰にも明け渡すことはなく、第18戦日本GPの優勝により、2年連続のワールドチャンピオン獲得となった。その後も勝利を重ね、最終的には
・年間最多勝∶15勝
・年間最多ポイント∶454ポイント
を更新した。
2023年、序盤はチームメイトのペレスと競り合い、第4戦アゼルバイジャンGPまで互いに2勝ずつを挙げる展開となるものの、第5戦マイアミGPから第14戦イタリアGPまで優勝を果たし、単独連勝記録(10連勝)を更新。 第17戦カタールGPスプリントレースの結果により、3年連続のワールドチャンピオンを獲得した。
この年は上記の年間最多勝記録(19勝)・年間最多ポイント(575ポイント)記録を再び更新したほか、チームとしても第17戦ベルギーGPでペレスの2勝を含めた開幕11連勝を記録し、先述の1988年のマクラーレンの記録を更新。シーズンを通しても22戦21勝で、勝率95.45%を記録し、こちらも1988年のマクラーレンの記録を更新した。これにより、事実上『ホンダが打ち立てた記録をホンダが更新する』ことになった。
なお、この1年でアイルトン・セナ、アラン・プロスト、セバスチャン・ベッテルといった名だたるドライバーの通算勝利数を上回り、ハミルトン・シューマッハに次ぐ歴代3位につけている。
人物
2021年頃より、元F1ドライバーで1987年のF1年間王者であるネルソン・ピケの娘であるケリー・ピケと交際している。また、ケリーはフェルスタッペンと交際する前に元F1ドライバーのダニール・クビアトと交際しており、彼との間にはペネロペ(通称∶P)という娘を授かっているが、フェルスタッペンは彼女とも仲良くしているようで、二人が楽しく話している様子が度々見られている。
バーチャルレースにも参戦しており、レッドブルからも参戦が認められている。
2024年にはF1第4戦エミリア・ロマーニャGPと、バーチャルのニュルブルクリンク24時間レースに参戦し、
グランプリ予選
↓
バーチャルレース参戦(途中で交代し、睡眠をとり、再び参戦)
↓
グランプリ決勝
というスケジュールを敢行。グランプリもバーチャルレースも優勝を果たし、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表からは『彼はレーシングマシンだ』と評された。ちなみにグランプリ予選では、アイルトン・セナに並ぶ8戦連続ポールポジションを獲得している。
2021年からF1で開催されているスプリントレースに対しては、一貫して批判的な立場を取っている。
エピソード
ホンダとの関わり
2019年からF1の世界でホンダと関わるフェルスタッペンであるが、ホンダとの関わりはこれが初めてではない。
1998年、2000年からのF1復帰を表明していたホンダは、当時マシンも自ら製造するワークス体制としての復帰を模索していた。その過程で製造されたのが『RA099』というフォーミュラカーであった。マシンは1999年のF1合同チームテストに特別参加し、3日間にわたりトップタイムを記録した。しかし、設計担当者が急病で亡くなったり、ホンダ本社の方針変更もあり、このマシンはお蔵入りとなった。
このマシンのテストドライバーとなっていたのが、フェルスタッペンの父親であるヨス・フェルスタッペンであった。
その関係から、フェルスタッペンは1歳の頃に『RA099』に乗った経験がある(当然、運転はしていない)。その時に写真も撮影されており、その写真をフェルスタッペンは大事に保管している。
2022年の日本GPの前、ホンダの本社ビルで行われたイベントに参加したフェルスタッペンは、サプライズで『RA099』と再会。約20年ぶりに『RA099』に乗り込み、笑顔をみせた。
なお、フェルスタッペンは先述のようにネルソン・ピケの娘と交際しているが、ネルソンはホンダが支援したドライバーとして初めて年間王者に輝いたドライバーである。
応援
フェルスタッペンには『オレンジ・アーミー』と呼ばれる熱狂的なファンがおり、特に母国であるオランダ・母の母国であるベルギー・レッドブルが(国籍上の)拠点を置くオーストリアで開催されるグランプリでは、多くのファンがサーキットに訪れる。そしてファンの中にはオレンジ色の煙が出る発煙筒を持ち込む者がおり、フェルスタッペンが勝利した際には、サーキット中が発煙筒によりオレンジ色の煙に覆われるのがお決まりとなっている。