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概要
本名:エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ
(愛称:ジェーニャ)
1982年11月3日生まれ。身長178㎝。
高い技術力と表現力をあわせ持つソビエトシステムが生んだ最後の遺産。
しっとりしたクラシックや力強いオペラから、金パンツで腰振り、着ぐるみ、女装、おむつ、客席に乱入など芸の広さも魅力のひとつである。
余りのスケートの上手さから「宇宙人」やら「皇帝」やら呼ばれることもある。
また、前述のように観客を笑わせてくれるような演技をすることから「世界一スケートの上手い芸人」の名を欲しいがままにしている。
ある条件の下でのみではあるが、「ブリザード表彰台」という固有結界を持っているのではと各所で噂されている。その真偽は分からない。
2009年9月12日にモスクワで式を挙げており、嫁が美人である。
嫁とはラブラブで、運動神経抜群な嫁と夫婦でセッボンしたこともある。
オリンピックは2002年のソルトレイク大会から出場しており、ソルトレイクで銀、トリノで金、バンクーバーで銀を獲得するなど高い成績を残している。
2014年のソチオリンピックにも出場し、地元ロシア代表団体を金メダルへと導くなど活躍(これがロシアが本大会で最初に獲得した金メダルとなった)。しかし、男子SPの練習中に腰を痛めたことが原因で棄権。その後「体調が最も大切だ。競技人生の終わりでいい演技をしたかった」と述べ、引退を表明した。
…のだが数日後「競技を続けたい。自分にとって5回目のオリンピックの(略」と引退撤回を示唆した。
因みに、ソチオリンピックSPで棄権し、その後の検査で人工椎間板を支える4本のボルトのうち、1本が折れていたとのこと。折れ具合によっては、脊髄損傷していた恐れもあったといい、かなり危ない状態だったようだ。本当に運が良かったとしか言えない…。
尚、痛み止めは人が服用する薬では効果が得られない為、馬が服用する薬を飲んでいるとのこと。
略歴
1997年 |
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2001年 |
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2010年 |
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2014年 |
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ロシアの名匠アレクセイ・ミーシンに師事し、14歳で世界ジュニア優勝を果たす。これは史上最年少記録であり、2016年現在も破られていない。また、シニアデビュー1年目でGPファイナルに出場(ちなみに当時15歳になったばかり)し、同シーズンの世界選手権では初出場で銅メダルを獲得。15歳での表彰台入りはこちらも史上最年少記録である。
シニアに上がったばかりの若い選手が表彰台争いをするのは女子スケート選手の間ではたまに見られる現象である(女子は男子よりも体の発達が早いため)が、男子フィギュアの世界では異例である。フィギュアスケーターとしての彼がいかに早熟であったかがうかがい知れるというものであろう。
余談
以上の情報によりプルシェンコが日本好きであるだろうことが予想される。
関連イラスト
関連動画
2001年世界選手権エキシビション(肉襦袢)
2004年ロシア国内選手権『ニジンスキーに捧ぐ』(芸術点オール6.0の神演技)
2004年世界選手権エキシビション(プルシェン子)
2009年ロステレコム杯フリースケーティング