2014年11月8日に開催・中継された、フィギュアスケートの国際試合「グランプリシリーズ」の「中国杯」における羽生結弦のこと。またはその際に滑った「オペラ座の怪人」の演技。
本項ではこの「中国杯」から「NHK杯」を経て「グランプリファイナル」へと至る、「2014年グランプリシリーズ」の一連の流れをまとめるものとする。
羽生の「オペラ座の怪人」そのものについては「オペラ座の怪人(羽生結弦)」の項目を参照のこと。
経緯
衝突事故
「中国杯」のフリー演技直前の6分間練習中に、その流血事故は起こった。
ジャンプの軌道に乗ってトップスピードで滑走中だった羽生と、中国の閻涵が激突。
二人は氷上に倒れ伏し、会場は悲鳴に包まれた。
衝撃の大きさに羽生は立ち上がることができず(演技後にインタビューをした松岡修造に対し「みぞおちに入って息ができなかった」と説明)朦朧と意識を彷徨わせた様子で、氷の上に長時間横たわっていた。
やがて駆けつけたメディカルスタッフに支えられ羽生は立ち上がったが、側頭部とアゴから流血。アゴは7針、側頭部は3針縫う怪我を負っていた。
鮮血を滴らせ、目も虚ろで足元がおぼつかない様子の羽生の様子を誰もが心配し、(「脳震盪ではないか」と疑われ、これが後日議論の的となったが、実際には羽生は頭は打っておらず、現場で治療にあたったアメリカチームの医師も「脳震盪ではない」と診断したとのことである)誰もが棄権だろうと思った。
しかし…
「跳ぶ!!」
頭に包帯を巻き、アゴにテーピングを施した痛々しい姿で、羽生は再び会場に姿を現す。
再開された6分間練習に羽生が飛び出した瞬間、会場は悲鳴とどよめきに包まれた。
中継していた報道関係者、会場にいた観客、TVを観ていた視聴者はみな「まさかこの状態で滑る気なのか?」と心配し混乱したが、羽生は「身体が一番大事だ。ヒーローになる必要はない」と冷静に諭すコーチのブライアン・オーサーの制止(オーサーは翌日「競技に出たいというユヅルの意思は固かった」と述懐している)に一応は頷くも、鬼気迫る形相で「跳ぶ!!」と叫び、再びリンクに戻っていった。
なお映像をよく見るとこの際の羽生は、ジャンプの位置などを指先や目視できちんと確認を取って細かい修正を行っている。(3本組み込む予定だった4回転ジャンプのうち、4回転トーループ1本を3回転ルッツにその場で変更した。)
更にリンクの外でも「たぶん肉離れだと思う」と脚の状態について周囲に言及している。
後日のインタビューで「脳震盪ではないという医師の診断を受け出場を決めた」と述べていることからも、自身の怪我の状態については客観的に把握しており、判断力は極めて冷静な状態にあったことが明らかとなっている。
4分30秒の闘い
オーサーと握手を交わし、羽生は包帯を巻いたままの満身創痍の状態で競技に挑むこととなった。
後日行われた精密検査の結果、この際に負っていた怪我は「頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫」で、全治2週間~3週間と診断されている。
曲は「オペラ座の怪人」。
5回転倒するなど本来の実力は到底出しきれなかったものの、転ぶたびに諦めずに立ち上がり、驚異的な執念で最後までプログラムを滑りきった。
中国の実況はこの羽生の姿を「虎のように強い心を持っている。このような強い精神を持っている選手に、我々は最高の賞賛を送る。」ユーロ実況は「信じられない。諦めることを絶対に拒んだ。驚嘆に値する。なんて男なんだ。」と称えた。
なお、フィギュアスケートにおいては、転倒することより回転不足が重なること、ジャンプの回転数を落としてしまう(例えば3回転→2回転に抜ける)ことの方が得点上痛いミスである。転倒したジャンプは、3ループ(唯一回転不足の判定を受けた)以外は「回りきってから」転んでいるため、4回転も2回認定されており、後半のトリプルアクセルを含むコンビネーションジャンプ(3アクセル-1ループ-3サルコウ)という大技もきちんと成功させている。
ちなみにこの3アクセル-1ループ-3サルコウは、試合で成功させたのは世界でこの時の羽生が初めてとなる超高難度のコンビネーションジャンプである。(しかも体力的に厳しい後半に決めている。)
もちろん得点は大幅に抑えられたため、パーソナルベストとは程遠い154.60点という点数(完璧に滑れば200点越えを目指せる鬼構成のプログラムである)だったが、他選手が総崩れ状態(羽生はこの大会で優勝したコフトゥンの技術点、演技構成点を共に上回っており、1、2つ転倒しなければフリーではトップに立っていた点数差)だったこともあり、この大会における順位は2位となった。
キス・アンド・クライで点数を見た羽生は、張り詰めていた緊張の糸が切れたように顔を両手で覆って声をあげて泣き「ありがとうございました」と日本語で感謝の言葉を述べた。
この際の涙の理由を後日「観客が声援を送ってくれる光景に圧倒され、ただただ嬉しかった」と語っている。
賛否
誰もが「無理だろう」と思った絶望的な状況から、最後まで諦めずに滑りきった羽生の強靭な精神力に対する賞賛の声が多く寄せられたが、同時に、一歩間違えば選手生命または生命そのものを絶たれる事態に陥った可能性もある怪我をおしてまで強行出場したことを疑問視する声も多く挙がり、賛否がわかれる事態となった。
特に、国際試合に日本からは医師を帯同させていなかったり、事故が起こった際に選手を棄権させるガイドラインが存在しないスケート連盟に対する批判が集中した。
これを受け日本スケート連盟は、遠征にドクター帯同を検討するなどの医療態勢改善へ動くことになった。
また、橋本聖子会長は6人同時に滑る直前練習について「ものすごく危険」と認識を改め、国際スケート連盟 (ISU)に問題提起する考えを明らかにした。
「流血のファントム」
「死ぬまでやる」と断言し競技に臨んだ羽生の意思を尊重するか。
生命の危険を賭してまで競技を続行する意味はあったのか。その弊害は。影響は。
周囲の大人や関係者が、羽生の決断を優先させたことへの是非など、情報不足から連日にわたり論議が繰り返される騒動となったが、羽生自身が「脳震盪ではない」という医師の診断を受けたうえで出場を決意した経緯が明らかになったことで、議論は収束をみることとなった。
何にせよ、この大会における羽生の姿が、多くの人の心に、重く大きな何かを訴えかけたのは事実である。
この大会のTV中継は、羽生の2位が確定した瞬間に最高視聴率31・8%を記録した。
著名人の見解
葛西紀明は「羽生くんの勇気と根性が好きです」と称え、内村航平は自身も怪我をおして出場した経験に触れ「僕も周りが止めても後先を考えずに出ると思う。羽生君も同じ気持ちだったのかもしれない」とアスリートの立場から理解を示しつつも「自分がコーチなら止めていた」と判断の難しさを口にした。
松本人志は「やめる方がきつい。やってる方がまだましなんやって思う」、中居正広は「自分ができるすべてを出すことに、意義があると思って出たと思う。周りがとやかく言うことではない」、坂上忍は「本人の意思。それを良くないという批判は本人に向かってしまうから、いかがなものかと思う」と、羽生の意思を尊重する持論を展開した。
本人の弁
羽生自身は演技後、車椅子に乗った姿で「(事故の直後は)俺のスケート(人生)ここで終わるのかなと思ったけど、諦めなくて本当に良かったです」と、松岡修造に笑顔で答えている。
なお帰国後に安静にしている間は、自分をめぐる一連の報道(あまりの過熱ぶりに驚いたそうである)を見ていたとのことで「アスリート全体の問題にまで発展したので、色々なことを考えてやっぱり反省しました。でもあの時は、現場の医師の診断を信じるしかなかった。滑ったのは自分の判断だったのに、ブライアンが批判されるのは本当に申し訳なくて悲しかったです。」と語っている。
後日談、及び「中国杯」の状況についての真相
この「中国杯」での羽生が世間に与えた影響や余波は凄まじく、2014年11月28日より開催された「NHK杯」では、羽生の出場や怪我の状態をめぐりマスコミが連日にわたり過剰な報道を繰り返す事態となった。
怪我による練習不足や体力の低下、まだ脚に痛みの残る状態であるなど、万全とは言い難いコンディションで「NHK杯」への出場を決断した羽生は、事故後初めてとなる公の場でのインタビューで、心配をかけたことを最初に詫びたうえで「中国杯」については、以下のように当時の状況と心境を明かした。
事故について
「当たりどころがよかった。1秒にも満たないくらい、前後に時間差があったとしたら、自分はいなくなっていたかもしれない。ここにいること自体が、奇跡に近い状態だと思います。」
怪我をおして出場したことについて
「現場では米国のドクターがしっかりと診断してくれました。脳震盪の危険はないとコーチも理解した。その上で出場を決めたので、その点に関してはあまり深刻に心配なさらぬようお願いいたします。たくさんの方に無謀だったと言われたが、意思を尊重してくれた連盟、ブライアン、自分の体に感謝しています。」
「NHK杯」出場
「中国杯」での事故後ようやく氷の上に乗ったのは事故から10日後のことだった。
この時の状況を「絶望しました。「ダメだ」と思いました。初めて「諦める」ことを考え、「NHK杯」には出ないと親に言いました。」とNHK杯フリーの翌日に受けたインタビューで明かしている。
それでも出場を決断した理由を「課題を克服するチャンスを与えられた。こんなに恵まれていることはないです。立ちはだかる壁や課題はいっぱいあるけど、それを乗り越えたら絶対その「上」があるので。」と語った。
「NHK杯」の闘い
演技構成を落とす(それでもほぼ2013-14シーズンと同レベルの鬼構成である)選択を取ることで、開催2日前に「NHK杯」に挑む選択を下した羽生だったが、最終的に5日ほどの練習しかこなせず(最初の2日間はスケーティングのみ)衣装の下は全身テーピングを施した状態で、1回も通し練習無しのぶっつけ本番で臨むことになった。
復調には程遠い演技で総合4位となったが、2戦を戦って得た合計22ポイントにより「グランプリファイナル」の出場がギリギリ滑り込みの6位で決定した。
苦い復帰戦となった「NHK杯」については、以下のようにコメントしている。
「ここまで惨敗したのは小学生以来です。泣いたし、悔しくて悔しくて眠れなくてうなされました。怪我の影響だと思われるかもしれないけど、これが今の実力です。」
ちなみに「中国杯」で着用した赤と黒の衣装は、血の染みが取れなかったため「NHK杯」では白と青と金を基調とした新衣装に変更となった。
pixivには包帯の無い状態での旧衣装姿を描いたイラストも多数投稿されているが、この衣装は事故を思い出すとのことで、目に付かないようしまわれているそうである。
そして「グランプリファイナル」へ
流血の「中国杯」から約一ヶ月後。
まだ100%回復したとは言えない状態ながらも、オーサーの用意した特別トレーニングメニューで「かつてない追い込みをかけた」という羽生は、2014年12月11~14日にスペインのバルセロナで開催された「グランプリファイナル」に最下位の6位で出場。
1番滑走となったショートプログラムで94.08点(その時点でのシーズン世界最高得点となった)をマークして首位に立ち、翌日のフリープログラムは最終滑走で臨むこととなった。
フリーでは自己ベストを更新する194.08点を叩き出し、合計288.16点で圧勝。
2種類の4回転を完璧に決め、2位に約34点もの大差をつけた。
圧巻の演技で復活を遂げた羽生に、各国解説者は「ハニュー惑星へようこそ!」「別の星からやってきた」「彼一人別次元にいる」と賞賛を送った。
グランプリファイナルの連覇はエフゲニー・プルシェンコ、パトリック・チャンに続いて史上3人目、日本人男子では初。また、五輪チャンピオンがその年のファイナルで優勝するのは史上初である。
一ヶ月にわたり物議をかもした「流血のファントム」の演技、および薄氷を踏むように勝ち進んだグランプリシリーズの闘いだったが、最終的に羽生が圧勝による連覇を成し遂げたことで、「不屈の王者」の復活劇として賞賛のうちに締めくくられることとなった。
外部リンク
2連覇・羽生結弦の飽くなき挑戦。今季最高得点も「まだ完璧じゃない」。