1982年5月8日生まれ、タイ出身。
2002年ムエマラソントーナメントで小林聡に判定勝ちし優勝。
2004年7月、K-1ワールドマックス2004〜世界一決定トーナメント〜で、1回戦でオーストラリアのジョン・ウェイン・パーに延長1R3ー0で判定勝ち。続く準決勝で小比類巻貴之に膝蹴りで2RTKO勝ち。決勝戦では前年世界王者の魔裟斗を前蹴りで圧倒し、延長3-0の判定勝利し初優勝。タイ人で史上初のK-1世界王者に輝いた。
同年10月に行われたK-1ワールドマックス〜世界王者対抗戦〜でも武田幸三にもダウンを奪って判定勝ち。
2005年2月、K-1ワールドマックス〜日本代表決定トーナメント〜のスーパーファイトでアルバート・クラウスにダウンを奪われ判定負け。同年7月、ワールドマックス〜世界一決定トーナメント決勝戦でアンディ・サワーに判定で敗れ準優勝。
2006年4月、K-1ワールドマックス〜世界一決定トーナメント開幕戦〜でヴァージル・カラコダに苦戦しながら判定勝ち、同年6月K-1ワールドマックス〜世界一決定トーナメントで、キックではなくパンチ主体の戦法に切り替えマックス史上初の2度目の優勝。GPを含めK-1史上2人目の3年連続決勝進出者となる(後に[[セミー・シュルト、サワーが達成)。
2007年、K-1ワールドマックス〜世界一決定トーナメント〜で魔裟斗にダウンを奪われ判定負け。K-1参戦以来初の初戦敗退となった。
2008年K-1ワールドマックス〜世界一決定トーナメント開幕戦で佐藤嘉洋にKO負け。3度目の対戦でリベンジを許した。
2009年アンディ・サワーに微妙な判定負け。
2022年現在も立ち技中量級レジェンドとしてコンスタントに現役を続けている。