経歴
経歴
現在の九十九里町の名主の家に生まれ、婿養子に入った佐原(のちの佐原市、現在の香取市)の有力な商家・伊能家で当主として活躍した後、50歳にして江戸幕府の天文方・高橋至時の門下に入り武士として取り立てられ、測量・天文観測を学ぶ。
寛政12年(1800年)から幕府の事業として地図作製に着手、このとき56歳。彼の足跡は蝦夷地厚岸付近から薩摩までの(北海道北部を除く)ほぼ全国に及び、一説には地球一周分を歩いたとされる。ただし、北海道の測量は主に弟子の間宮林蔵が担当しており、最終的にできあがった日本地図は伊能の地図と間宮の地図を合体させたものになった。
制作意図の関係上道路、海岸線、町村等の位置関係は正確だが、土地の高低差等は計測されていない。しかしいかに幕府の支援があったとはいえ、当時の未熟な測量機器と技術を考えると完成に至ったのは彼の志の高さと測量技術の優秀性を示すものであり、驚異としか言いようがないものである。
死後
死後
日本地図が『大日本沿海輿地全図』として完成したのは文政4年(1821年)。既に至時・忠敬とも世を去っており、仕上げ作業は至時の長男である高橋景保が取り仕切った。あまりに詳細で正確な地図のため、国防上の問題を懸念した幕府はこの地図を秘匿した。
ところが、シーボルトが1828年に帰国する際、地図を持ち出そうとし、シーボルトに伊能図の写しを贈った高橋景保は獄死してしまう(シーボルト事件)。これは御庭番であった間宮林蔵に察知されたためと言われているが、実際には間宮がシーボルトから受け取ったお礼の手紙を(外国人との私的な贈答は国法に触れると考え)開封せずに上司に渡したことが露見のきっかけとなっている。伊能図が一般の日本人の目に触れるようになったのは幕末のことであった。
創作での伊能忠敬
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