概要
フルネームはヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller)。
1880年6月27日にアメリカ合衆国アラバマ州の地主の娘として生まれたが、1歳の時に熱病により髄膜炎となり後遺症で視覚・聴覚・発声を失う盲ろう者となった。しつけを受けることができずわがままに育ってしまう。
1887年に両親は電話を発明し、聴覚障害の研究もしていたグラハム・ベルを訪れて助力を求め、グラハムはマサチューセッツ州の盲学校に家庭教師の派遣を要請。そこでアン・サリヴァンがヘレンの家庭教師となり、ヘレンに指文字を教え、徐々にコミュニケーション力を身に付けていった。その後、50年に渡ってサリヴァンはヘレンの傍に寄り添った。
母親から日本の江戸時代にいた盲目の学者・塙保己一を聞かされ、彼を勉強の手本とした。
学校にも通い、ある程度の発声も可能になった。20世紀になってから様々な婦人参政権や公民権などの社会運動に参加。多くの著作を出し、全国にその名が知れ渡っていく。
1916年ごろからサリヴァンが体調を崩し始めたため秘書としてポリー・トンプソンが就き、サリヴァンがのちに病床に伏したのちは彼女の代わりを務めた。
1936年に日本から来日要請が届くが、病床のサリヴァンを思って渋っていたが、サリヴァンから来日を勧められた。サリヴァンはこの年に亡くなった。翌年にヘレンは訪日。日本各地を訪れ、昭和天皇とも会った。この来日の際に四肢を失った少女・中村久子と会い、「彼女は私より不幸な人、そして、私より偉大な人」と賞賛した。秋田犬2頭が贈られ、"カミカゼ"と"ケンザン"と名付けられた。
その後も障害者福祉向上に尽力し、世界各地も訪れ、日本にはその後2回訪れた。人種差別撤廃や反戦運動も行っていたが、社会主義的思想があるとしてFBIに監視対象者にされていた。
1960年にトンプソンに先立たれ、やがて自身も脳卒中を患い療養の身となる。
1968年6月1日に死去。享年87歳。
一度新聞記者と恋愛をしたものの親の反対で破局し、生涯独身のままだった。
エピソード
- サリヴァン先生とナイアガラの滝に行き、その偉大さに圧倒される。目の見えないヘレン・ケラーにも
- 点字が国ごとにバラバラになっていることを不便に思い、国際共通の点字を呼びかけた。