概要
1858年(安政5年) 産まれ。若い頃から猟師を行なっていたが、樺太にいた頃鯖割き包丁1つでヒグマと格闘し退治したことから「サバサキの兄」として早速伝説を作る。
また、数百メートル離れた野鳥やリスを一撃で仕留めるなど射撃能力もずば抜けており、日露戦争にも従軍し、ロシア軍からボルトアクションライフル銃「ベルダンII M1870」と軍帽を鹵獲するなど戦争においてもその射撃能力を発揮している。
一方で酒癖が悪いとされ、日露戦争が終結し北海道の天塩地方へ戻ると「天塩一の熊撃ち」と称される一方で住人とよくトラブルを起こし、次第関わり合いを拒まれるまでになっていく。そんな中苫前郡苫前村の三毛別で人がヒグマに襲われる三毛別羆事件が発生する。既に7人が犠牲となり、地元猟師も難儀していた中苫前村の村長は兵吉に討伐を依頼。村民は「あんな男に頼むなんて」と抵抗するも村長は「彼しか頼りになる者はいない」と説得し、かくして兵吉も熊退治に参加することになった。
三毛別到着後は討伐隊とは別ルートで山に入り、ヒグマを追うことになる。すると討伐隊に狙撃されて負傷し、ミズナラの大木に寄りかかって体を休めていた目標のヒグマを発見。兵吉は身を潜めてベルダンII M1870に弾を装填し、ヒグマの心臓目掛けて狙撃し見事命中。ヒグマが睨みつけてきたが臆することなくすぐに二発目を頭めがけて撃ち、ついにヒグマは倒れ絶命した。
熊を退治した後討伐隊と共に祝杯を上げたが、次第に酒が回り乱闘騒ぎを起こし、地区長が礼金を渡そうとした時も「こんなはした金受け取れるか!」と怒り、屋根に向けて発砲した。その後兵吉は家族を呼んで三毛別に住んだが、度々住民と乱闘騒ぎを起こしていた。尤も乱闘騒ぎは酒が入っていた時に限られ、普段は優しく面倒見のいい人物だったとのことである。
1950年(昭和25年) 7月に故郷の初山別村にて死去した。最終的に退治したヒグマは300頭にのぼるとされている。