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岩田聡

いわたさとる

任天堂4代目社長。その人柄の良さから任天堂ファンからは「いわっち」の愛称で親しまれた。故人。
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「名刺の上では、私は代表取締役社長です。
 頭の中では、ゲーム開発者です。
 でも、心の中では、ゲーマーです。」

経歴

北海道札幌市出身。父親は室蘭市の市長を務めたこともある岩田弘志。

高校生時代から天才プログラマとしての頭角を表しており、独学でプログラミングを学びゲームを完成させてヒューレット・パッカード社に送ると、同社が驚いて様々な品物を岩田へ送ってきたというエピソードがある。

東京工業大学に入学した後もプログラミングに打ち込み、在学中にまだ設立して間もないHAL研究所にアルバイトとして参加し、そのまま卒業とともに正式に入社。
プログラマーとして数々のゲームソフトの開発を手掛けた。

この頃から任天堂に顔を出して『バルーンファイト』などを開発しており、岩田の技術は当時の任天堂社員よりも優れていたと言われている。

HAL研究所が和議(民事再生法)を申請した際は、立て直しのため岩田が代表取締役を務めることに(山内溥の指名であったとされるが、両者とも生前に何も言っておらず、真偽は不明)。
その後、HAL研究所は桜井政博の活躍もあり、『星のカービィ』、『大乱闘スマッシュブラザーズ』などのヒットで経営再建を成し遂げた。

2000年、山内に経営手腕を買われ任天堂に入社。取締役経営企画室長に就任した後、2002年に山内の指名で同社の社長に就任。それまで同社の社長は創業家である山内一族が務めていたこともあってか、創業家出身ではない岩田の社長就任は社内外でサプライズ人事だった様子。

任天堂の社長となってもゲーム開発の現場には参加し、交友のある糸井重里氏の影響があったのかもしれないが、晩年では社長業が忙しく、できればプログラムを書いていたいと発言していた。
HAL研究所時代から自ら積極的に前に出てプレゼンする傾向があり、社長就任後もE3用のプレゼンテーションムービー(後述)や、サードパーティー含めて新作ソフトを紹介していく『ニンテンドーダイレクト』、社内外を問わぬ社長によるインタビュー記事『社長が訊く』などその傾向が強く見られる。

また、大企業の社長と思えないほどフットワークが軽く、DSの発売日に東北大学を訪れて川島教授と会って『脳トレ』の製作への協力をお願いしたり、社長業の合間を縫ってゲームセンターCXに出演したり、『ラストストーリー』の制作発表会に飛び入りで参加(坂口氏は「リハーサルでも聞いてなかった」らしい)してみたりと、逸話には事欠かない。

コワモテかつ歯に衣着せなかった山内と違い、柔和な風貌やあくまで「任天堂からの提案」という形で新たなハードを提案するその姿は、対照的であるといわれる事もあるが、本人曰く短気らしく、任天堂社員からはどのように思われていたのかは不明。

「ゲーム人口の拡大」を就任当初から自身の課題として掲げ、その成果がニンテンドーDSWiiである。

突然の訃報

2014年に胆管腫瘍に罹患している事が発覚、6月に手術を受け一旦は仕事に復帰。翌年も数々のビッグプロジェクトの発表の場に顔を出す等精力的に活動していたが、2015年7月、突如体調を崩して入院し、同月11日早朝に容態が急変、そのまま帰らぬ人となってしまった。55歳の若さであった。

当日が土曜日であったため、任天堂より公式に発表されたのは翌週月曜同月13日であった。
これにより、任天堂の代表取締役社長は空席となり、代表取締役専務の竹田玄洋及び宮本茂が暫定的に職務を引き継ぐことが発表され、2015年9月14日に財務方面を主に担当していた常務取締役の君島達己が正式に社長就任することが発表された(その後2018年4月26日に君島氏は、組織の若返り目的を理由に退任している)。

先代社長であった山内溥の逝去から約2年後とまだ記憶に新しかった事、歴代任天堂社長の中ではメディアへの積極的な活動で広く知られていただけに、国内のみならず海外でも彼の訃報は大きな衝撃と悲しみを与え、各国のニュースで報じられた。
多くの業者関係者や著名人、ライバル社であるソニーなどからも哀悼のコメントを寄せられただけではなく、ツイッターでは「#ThankYouIwata」のハッシュタグで世界中のファンがその死を悼み、Miiverseでは彼が過去に手掛けた『バルーンファイト』『MOTHER2』等のコミュニティにおいても同様の追悼メッセージ投稿や、『Splatoon』においてもプレイヤーのコメントにて、岩田氏への追悼や感謝のメッセージ・イラストが多く見受けられ、彼がいかに世界中の人々から愛されてきたことが表れている。

バルーンファイトの作曲担当、田中宏和氏は『Dedicated to Satoru iwata.』というタイトルで、バルーンファイトのBGMリミックスバージョンを『SOUNDCLOUD』にアップしている

死去後に発売された『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』ではエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされたので本作が遺作となり、プラチナゲームズと共同開発した『スターフォックスゼロ』のエンディングでも、「This game is dedicated to our wingman who fell in battle.(このゲームを戦いの中で散った戦友に捧ぐ)」と記載された。

逸話

  • プログラマー時代から宮本茂に尊敬の念を抱いており、その言動を観察している。
  • 開発中止直前の『MOTHER2』を前にして「これを直すなら2年かかります。イチからつくらせてもらえば1年以内にやります」と宣言しそれを実現したが、実際には「ゲームとして遊べる状態にするまでに半年、バランス調整に半年」「納期によっては出来ない」と言っていたらしく、前者の話は話に尾ひれが付いて、一人歩きしたものであるとの事。
  • 経営が赤字を記録していた時期も決してリストラを敢行せず、自身の給料を削るという処置をとった。株主から「リストラを敢行しないのか」と詰め寄られた際にも、「社員が怯えながら作ったソフトは人の心を動かせない」と返答したという。
  • 『バルーンファイト』に収録されている『バルーントリップ』は横井軍平のひらめきから生まれ、彼がわずか3日間で形にし、横井氏がテストプレイをした際に出したオーダーにもその場で瞬時に修正して皆を驚かせた(当時のプログラム修正方法は、プログラムを紙に打ち出して電話帳くらいの厚い紙の束を調べてから修正する、少なくとも1時間かかる作業だったのだが、彼はプログラムをすべて記憶し、その場で作業を終わらせられたとのこと。横井氏も彼の修正作業の速さは声をあげるくらいビックリしていたという)。
  • メトロイドプライム3』では彼の隠しメッセージが聞ける。疲れが溜まると太りやすい体質であるとのこと。
  • 大病を患った際、ふくよかな彼の姿とは別人のような痩せた姿を公の場で見せた際は多くの人を心配させ、病名を告知された際、医学書を始めとしてあらゆる情報を吟味して自分に一番最適な治療法を模索し、セカンドオピニオンを医師と議論をしていたという。


詳しくはこちらを参考。

ネタとしての岩田聡

以上のようにすごい人なのだが故に時折見せる謎の行動(言動)がネタにされがちで、ニンテンドーダイレクトが始まってからそれらが頻繁に見られるようになり、ツイッターでは私を弄る快感に目覚めたスタッフなどと発言し、本人も割とノリノリのご様子であった。

任天堂社長としての責務を果たすため、その肉体には類まれなる戦闘力を秘め、E32010においては燃え盛るクッパ城を攻略し…



E32014では、米国任天堂社長のレジナルト・フィサメィ(通称レジーコング)との拳願仕合を演じた。


(1分10秒付近から)

実はこのPV公開当時、体調不良の為E3を欠席していたのだが、後に最初の胆管腫瘍手術で入院していた事が明らかになり、これが彼の生涯最後のネタとなってしまった。

関わった作品

社長就任前に関わった作品のみ記載。

1980年代

ピンボール(1984年、FC)-プログラマー
ゴルフ(1984年、FC)-プログラマー
F1レース(1984年、FC)-プログラマー
バルーンファイト(1985年、FC)-プログラマー
ガルフォース(1986年、FCD)-エグゼクティブプロデューサー、テクニカルコンサルタント
エッガーランド(1987年、FCD)-プロデューサー
ゴルフJAPANコース(1987年、FCD)-プログラマー
ゴルフUSコース(1987年、FCD)-プログラマー
殺意の階層 ソフトハウス連続殺人事件(1988年、FC)-プロデューサー
ファミコングランプリⅡ 3Dホットラリー(1988年、FC)-プログラマー
エッガーランド 迷宮の復活(1988年、FC)-プロデューサー
エッガーランド 創造への旅立ち(1988年、FC)-プロデューサー
宇宙警備隊(1989年、FC)-テクニカルスーパーバイザー

1990年代

NEWゴーストバスターズ2(1990年、FC)-テクニカルスーパーバイザー
メタルスレイダーグローリー(1991年、FC)-プロデューサー、プログラマー
カードマスター リムサリアの封印(1992年、SFC)-テクニカルアドバイザー
星のカービィ 夢の泉の物語(1993年、FC)-プロデューサー
アルカエスト(1993年、SFC)-エグゼクティブプロデューサー
ロロの大冒険(1994年、SFC)-エグゼクティブプロデューサー
MOTHER2 ギーグの逆襲(1994年、SFC)-チーフプロデューサー
星のカービィ2(1995年、GB)-プロデューサー
星のカービィ スーパーデラックス(1996年、SFC)-プロデューサー
糸井重里のバス釣りNo.1(1997年、SFC)-製作
星のカービィ3(1998年、SFC)-チーフプロデューサー
カービィのきらきらきっず(1998年、SFC)-チーフプロデューサー
ポケモンスタジアム(1998年、N64)-チーフプロデューサー
ピカチュウげんきでちゅう(1998年、N64)-スペシャルサンクス
ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(1999年、N64)-プロデューサー
ポケモンスナップ(1999年)-プロデューサー
ポケットモンスター金・銀(1999年、GBC)-スペシャルサンクス
カスタムロボ(1999年、N64)-スペシャルサンクス

2000〜2017年

星のカービィ64(2000年、N64)-スーパーバイザー
コロコロカービィ(2000年、GBC)-スペシャルサンクス
ポケットモンスタークリスタル(2000年、GBC)-プロデューサー
大乱闘スマッシュブラザーズDX(2001年、GC)-スペシャルサンクス
ポケモンショックテトリス(2002年、ポケモンミニ)-プロデューサー
押忍!闘え!応援団シリーズ(2005年-2007年、DS)-エグゼクティブプロデューサー
パンチアウト!!(2009年、Wii)-エグゼクティブプロデューサー
スターフォックスゼロ(2016年、WiiU)-エグゼクティブプロデューサー
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド-(2017年、WiiUSwitch)-エグゼクティブプロデューサー(遺作)

関連イラスト

岩田社長、本当にありがとうございました
あるいて あたためて つたえる


無題
平和岩田聡で残り...


Thank you, Mr. Iwata
さようなら,社長


ポップル



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