君島達己
きみしまたつみ
1950年、東京都生まれ。
元々は娯楽とはまったく異なる三和銀行(現:三菱UFJ銀行)出身の人物であり、銀行時代は本店広報部や海外勤務を経て、新橋支店長を務めていた。もっとも山内溥に見出されて入ってきたのだから、「もっていた」のだろう。入社後は株式会社ポケモンの代表取締役を務めた後、10年以上の長きに渡ってNOAの社長や最高経営責任者を務め、2013年に本社に常務取締役として出戻り、経営統括本部長兼総務本部長として収支改善に努めた他、2014年からは人事本部担当も兼務。任天堂の経営統括担当として次世代の集団指導体制の構築に尽力していた。
しかしその中途の2015年7月、4代目の岩田聡が急逝。以降しばらく社長が空席となっており、その後任として、急遽第5代任天堂社長に就任した。
※岩田没後の代表取締役は2人体制でうち一人が宮本茂である(もう一人は竹田玄洋)。法的には代表取締役が最低1人いれば会社は回るので、「社長」が居なくとも問題はない。
就任当時は65歳であり、Nintendo Switchの発売を軌道に乗せた他、執行役員制度の導入や若手の積極的登用などカリスマ的トップに依存する体制からの脱却も進め、次世代の集団指導体制につなぐワンポイントリリーフを担った。2018年4月26日、組織の若返りを目指す事を理由に、6月の株主総会終了をもって代表取締役社長を退任する事を発表。任期満了で取締役も退く。その後は相談役に就くという。本人曰く、予想より少し早い交代のタイミングだったとか。そして6月28日の株主総会を無事務め上げ、予定通り一線を退き相談役に就任した。
後任となる第6代任天堂社長は、欧州畑を歩んできた古川俊太郎。
前任者がいい意味で異常すぎたのもあるが、当人は奥手キャラで、「自分が表に出て人気が出るかわからない」と表に出ることを控えていた。それなりに強面なためだろうか……。
その為か、プレゼンテーションはSwitch発表会の一度だけであった。このプレゼンの受けは概ね良かったのだが、元々君島の社長就任は次世代への繋ぎとしての思惑も強く、早期に交代することを考えていたようである。そして社長在任期間は短期で終了、高齢がネックなのもあっただろうが、Switchへの移行推進戦略を成功させてハードを軌道に載せるなど戦略眼は卓越していた。よって二度目がなかったのが惜しまれるところである。
なお休日は孫と一緒にゲームで遊ぶのを楽しみとしており、その中でも『WiiSports』がお気に入り。ただゲームの腕はあまり上手くないらしく、孫に勝つことはないと語っている。