細川忠利
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ほそかわただとし
江戸時代初期の大名。
長兄の忠隆が関ヶ原の戦いの後廃嫡されたため、江戸に人質に出されていた忠利が家督を継ぐ。
1620(元和6)年、忠興の隠居に伴い豊前小倉藩主となる。
1633(寛永10)年、肥後国熊本藩主の加藤忠広が改易されたことに伴い、熊本へ転封。死去まで同藩を治めた。
1637年(寛永14年)の島原の乱にも出兵し、熊本藩士・陣佐左衛門が天草四郎を討ち取る戦功を挙げた。
大名ながら剣術にも優れていたといわれている。また老齢となった、出戻りの宮本武蔵を家臣と同等に遇して庇護していた。
また、熊本県の郷土料理として知られるからしレンコンは病弱であった彼のために生み出された料理とされ、輪切りにした際の断面が細川家の家紋に似ていた事から、「門外不出の料理とされていた」という伝説が遺されている。
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