概要
代々島津氏の家臣を務めた上井氏の武将。
島津義久の側近として仕え、老中の一員として、島津氏の政治を取り仕切った。
合戦では日向国侵攻や大隅国侵攻などで活躍し、その後実質的に日向一国を任されている。
豊臣秀吉の九州征伐が始まると、島津家久に従い豊臣秀長の軍勢と戦ったものの、敗れて降伏した。
類稀な教養人でもあり、『上井覚兼日記』や『伊勢守心得書』などを記している。
双方とも、天正期の島津氏や九州の諸大名の動向などを知ることが出来る貴重な史料である。
それだけでなく、芸能や信仰生活など戦国大名家の日常に関する記事もみられる。
子孫は覚兼の祖父以前からの苗字である諏訪に戻している(この時の諏訪宗家当主である頼水から許可を得た模様)
弟たちの子孫も同様に戻している
余談だが、武士が日記を書き記すことは、この当時ではなかなか珍しかったようである。
戦国大戦において
島津家の武将として登場。
上の見出し画像は戦国大戦のカードイラストがモデルになっている。
もっとも特徴的なのは、その容姿だろう。
苗字が「上井(うわい)」だからなのか、どう見ても女の子にしか見えない。
かわいらしい容姿で瞳がハート型だったり、ポリゴンが低身長だったり、中の人が女性だったりと、特徴を挙げれば挙げるほど男性の特長からかけ離れていくが、これでもれっきとした男性である。
スペックはコスト1 武力1/統率5の鉄砲隊で、特技は「魅力」……ではなく「車撃」と「伏兵」。
武力が非常に低いために射撃の威力も火力不足気味だが、統率が高めで「伏兵」を持つため、戦力としては充分。
固有計略「鉄砲侍の援軍」で味方の兵力を回復しつつ、鉄砲隊の射撃回数を回復することができる。
日記を書いていたという逸話からか、色々な物事を記録しているらしいことが群雄伝などで語られている。
彼が記している資料の中には意外なものも……。