概要
朝日姫(あさひひめ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。旭姫とも。
徳川家康の二番目の正室になる。
豊臣秀吉の異父妹とされるが、同父妹ではないかとも伝えられており、はっきりしていない。
他の兄弟は姉に智(日秀尼、豊臣秀次等の母)、次兄に豊臣秀長。
元々は副田甚兵衛もしくは佐藤日向という夫がいたが、家康を懐柔するための縁談を望んだ秀吉によって離縁させられ、1586年5月に家康に嫁いだ。この時の朝日姫は既に40代半ばになろうかという年齢であり(家康より1歳下)、事実上の人質に近かった。その後、秀吉は妹を見舞うという名目で実母も家康のもとに送り、これらもあって家康は秀吉に臣従することになった。
家康との結婚後は駿河御前と呼ばれた。
その後、朝日姫は体調を崩したらしく、1589年頃に上洛して聚楽第で療養していたが、1590年1月に京都で47歳(数え歳)で病死した。以降、家康は正室をもつことはなかった。前夫との間にも子はいなかったようである。死後は法名の南明院と呼ばれた。