三日天下
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みっかてんか
非常に短い期間しかトップに立てなかった事の例え
戦国時代の1582年6月2日、時の天下人であり、天下統一は時間の問題とされた織田信長が本能寺において、家臣である明智光秀の謀反に遭い死亡(本能寺の変)。
光秀は当時の都である京を支配下に置き、天下を掌握したかのように見えたが、その直後に中国での毛利攻めから大返しを成功させた羽柴秀吉と戦うが敗れ(山崎の戦い)、直後の6月12日(もしくは13日)に落ち武者狩りに遭い、命を落とした。
これに由来し、非常に短い期間しか天下を取れなかった、もしくは短期間で天下を他人に奪われることを例えて「三日天下」と言う。
例:「プロ野球の◯◯は△△に勝って首位に立つものの、次の試合で破れ首位陥落となり、三日天下に終わった」
ちなみに明智光秀が信長を本能寺で討って、秀吉に敗れて命を落とすまでの期間は11日間(ないし12日)であり(京で光秀が政務をとっていた期間が3日だから、という説もある)、正確に言えば「十一日天下」であり、文字通りの三日で敗れたわけではない(この間の詳細については本能寺の変と山崎の戦いを参照)。
「三日」というのはごく短い期間の象徴的表現であって、2日以内で天下を奪われても、4日以上だった場合でも慣用句的に「三日天下」と呼ばれる。ただしスポーツ紙の記事などでは「二日天下」のように実際の日数に合わせた表現が用いられることもある。
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