概要
日本全国に「天王山」とついた山は存在するが、京都府と大阪府の間にある天王山が著名である。
現在の京都府大山崎町に存在する。京都の出入口とも言ってよく、大阪方から京都に向かって左側に天王山、1キロと隔たないすぐ右には淀川が流れており、東海道新幹線を始めとする、JR、阪急、名神高速など、京阪間すべての主要交通路がこの天王山と淀川の1キロに満たない空間にひしめきあっている(京阪電氣鉄道、国道1号線などは淀川のすぐ反対側に位置する)。
京都市内(当時の)は完全に平地であり敵を迎え撃つにはあまりに不利な地形であり、自然とこの地が要撃の場となることが多かった。
歴史的にはやはり本能寺の変直後に起きた明智光秀と羽柴秀吉と「山崎(天王山)の戦い」が著名である。織田信長を討った後、すぐには信長配下の諸将は京都に戻って来れないと予想した光秀の期待を裏切り、わざか10日たらずで毛利と講和、京都に戻ってきた秀吉を迎え討つべく出陣し、数の上で劣勢だった上に緒戦で天王山を奪われ惨敗し、以降秀吉が天下人へ歩む事になる。
なお、天王山のこの戦いにおける重要性には諸説あり、実際はさほど重要ではなかったと今日では定説となっている。元々主君の仇討ちという大義名分があり、数の上でも圧倒しており、秀吉軍が戦う前から戦略的に圧倒的優位だったのは疑えない。
この戦いは、結果が大々的に宣伝されたが、天下を狙うための秀吉のデモンストレーション(特に柴田勝家などの旧織田家臣や徳川家康など、言わばこの時点での「身内」に対する)の意味合いが強く、実際は秀吉と光秀の両雄が拮抗して戦ったという戦いでは無い。
その後、千利休もこの山の水を珍重し、茶の湯に用いたといわれる。
時代は変わって、明治維新でも鳥羽・伏見の戦いでも戦いを決する重要な局面となっている。
「天」と「王」がつく語呂の良さも手伝って、今日では、プロ野球のペナントレース終盤の首位攻防戦などを指して「天王山」と表現することが多い。
関連タグ
天保山 大阪市内にある日本一低いとされてきた山、比喩的表現としての天王山の対義語(下位同士の試合など)として、スポーツ新聞やネットで使われる